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バービーソービー

 私の祖父は前の戦争の時に満州に従軍していた。

 もともとは海軍志望で幼い頃から水泳や陸上競技などで体を鍛えていた祖父であったが偏平足だったために入隊を断られ泣く泣く陸軍に入った経緯がある。

 当時偏平足は船酔いをしやすくて海軍には向かないという偏見があったと嘆いていたが本当かどうかはわからない。

 そんな祖父は陸軍では兵長を務めており部下も何人かいたようである。

 軍隊はやはり規律にうるさかったらしく祖父もかなり厳しく部下の教育にあたったと言っていた。

 そんな男所帯での楽しみと言えばたまに酒盛りをする事だったという。
 
 慢性的な物資不足の中で部下の一等兵がどこからともなくビールを調達してきたそうだ。

 真冬の極寒の冷気で窓の側に置いておいたビールはキンキンッに冷えておりそれを大切に注いで乾杯してグビリと飲み干したときの快感は一生忘れられないのぅと祖父は遠い目をしながら言っていた。

 その時に祖父はビールの注ぎ方を覚えたようで、最初にグラスに勢いよく注いで泡が落ち着いたら二回目をそっと注ぎ、最後に泡でふたをするようにゆっくり注ぐという方法だった。

 これを祖父はバービーソービーと呼んでいた。

 語源は全くの謎だがその響きが面白くて強烈に印象に残っている。

 この注ぎ方はいわゆる三度注ぎというもので今から八十年以上前にこの方法を知っていた人がいる事に驚きである。

 いつ死ぬともわからない戦時下において束の間の宴は無礼講で日頃の鬱憤が溜まった力自慢の二等兵が憂さ晴らしに高圧的な下士官と急に相撲を取ったりととにかく盛り上がったそうで祖父は酔うと必ずあれは楽しかったと懐かしそうに話してくれた。

 私が成人してからは祖父と一緒にお酒を飲むようになった。

 帰省すると祖父が嬉しそうによう帰ってきたの、さぁ飲むぞと言ってビールを持ってきたものである。

 日が高くまだ晩酌には大分早い時間の事もあったが私も昼酒を飲むことに関してはやぶさかではないので喜んでご相伴に預かった。

 乾杯のビールはもちろんバービーソービーと言いながら祖父のグラスを満たしていく。

 自分も注いだら後はグラスをカチンと合わせてグイッと飲る。

 パハーッ、美味ぁいと声を漏らすとそうじゃろうと満足気に祖父がニコリと笑う。

 二杯目からは手酌でというのが祖父の飲み方だったので自分のペースで飲むことができた。

 その頃七十代になったばかりの祖父はまだまだ元気でお酒の味を覚えはじめたばかりの私ではとても敵わなかった。
 
 四本目のビールを飲んだあたりで酔いがはっきりと回ってきて爺ちゃん強いねぇ参ったと白旗をあげると祖父はまだまだと言わんばかりにごくごく飲みながらケロリとしていた。

 それから十年近い月日が流れた。

 色々あって実家の近所で暮らすことになった私は頻繁に祖父と飲む機会を得た。
 
 その頃の私は人生で一番お酒を飲んでいた時期だった。

 そんなある日の休日に実家にふらりと顔を出すと、だいぶ背中の曲がった祖父がおお、いらっしゃいと言って出迎えてくれた。

 顔を合わせるともちろんお酒という事になる。

 二人で乾杯をしてギュビッとビールを飲み干す。
  
 たはぁ、たまらんといつもの感想が漏れる。

 その時はなぜか手酌ではなくお酌をしあって飲んでいた。

 最初の一本はあっという間に空になった。

 一ダースあったビールを三本飲んだところで祖父が急に、はぁ酔うたと言い出した。

 見ると顔が真っ赤で目もトロンとしている。

 頭がグラングランと揺れ始めたので爺ちゃん、もう飲まない方がいいよと言ってビールを注ぐのをやめた。

 おう、そうじゃのうちょっと横になってくるわと立ち上がろうとしたら腰がくだけてフラフラと倒れ込んでしまった。

 おっと、危ない!と咄嗟に祖父を抱き起して寝室までおんぶをして運んでいった。
 
 その時に筋骨隆々でがっしりしていた祖父の身体がまるで羽毛布団の様に軽くなっていることに気が付いて愕然とした。

 私が初めて祖父に飲み勝った日であり、時の流れの無常さを知ったほろ苦い日でもある。

 それからも祖父とは一緒にお酒を飲んだが、コップ二杯のビールでもう十分と言うようになった。

 孫と飲みたいという気持ちだけで私のお酒に付き合ってくれるのが嬉しくて祖父と同じペースでゆっくりゆっくり飲んだものである。

 ほどなくして祖父は安らかに身罷っていった。

 晩年まで飲み続けられた祖父のお酒人生は幸せだったと思う。

 私も最近は一日の酒量を減らすように努力している、休肝日も増やした。

 それもこれも日ごろから己を律し節制していた祖父を見習っていいお酒をいつまでも楽しみたいからである。

 人生の達人と言うのは祖父のような人の事を言うのだろう。

 美味い酒と楽しい飲み相手がいるだけで人生はこんなにも美しい。

 

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