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赤勝て、白勝て。

 今朝はひんやりとした朝。

 目が覚めてふと温度計を見たら十六度だった。

 月曜日はゴミの日なので家じゅうのゴミを集めて集積場に持っていくために外に出たら冷やッとした空気にさらされた。

 おっとこれはいかんと思って薄手のパーカーを羽織って出直した。

 空は曇り空で月は見えなかった。

 今日はスポーツの日であるがもともと十月十日は体育の日であり、この日は晴れになる確率が高い。

 一回目の東京オリンピックの開会式でどうしても晴れて欲しかった人たちが晴れの特異点であるこの日を選んだのは有名な話である。

 たまにテレビで昭和の特集をしている時にオリンピックの映像を見かけると見事な秋晴れで気持ちがスウッとする。

 私が子どもの頃は体育の日は運動会の日だった。

 夏休みが終わって一か月くらいしてから練習が始まる。

 最初は誰が何の競技に出るかクラスで決める。

 運動の得意な子はここぞとばかりにあれも出るこれも俺がと前へ前へとがむしゃらに手を挙げる。

 それを尻目に運動がとても苦手だった私は黒板の方を絶対に見ないようにしてこの時間が早く終わりますようにと祈っていた。

 そんな中で全員参加の競技以外に立候補していないのがバレた私は担任の先生からじゃあ応援団に入りなさいと言われた。

 先生の言う事は絶対で逆らってはならないと思っていた純粋は私は断ることもできずに流れのままに応援団をやることになった。

 運動会の練習が始まると全体練習と応援団の練習にと掛け持ちで非常に忙しくなった。

 午後の授業の大半は運動会の練習に充てられた。

 それをこなしてから放課後からが応援団の練習だった。

 応援団は硬派な上級生が気合満点で迫ってくるのでおっかなかった。

 各競技ごとに応援の仕方が異なっておりそのフォーメーションを覚えるだけでも一苦労だった。

 そして私を最も苦しめたのは大きな声を出すことでグラウンドの端から端まで届くように発声練習をさせられた。

 練習は終わる頃には喉はガラガラで早く水を飲みたかった。

 早く運動会が終わればいいのにとあまり前向きではない気持ちで日々を過ごしていたが友だちからは応援団をやるのなら目立つから良いねと気楽な事を言われた。

 そうして地味に練習を重ねる事で少しづく声が出るようになってきた。

 いざ本番の日は緊張してあまり覚えていない。

 開会式が終わってすぐ行われた低学年の徒競走の応援からずっと声を張り出しっぱなしだった。

 何だかあっという間にお昼が来たので家族が待っている日陰に駆け込むと父が声が良く届くぞと褒めてくれた。

 これに少し気を良くした私は母におしぼりを貰いながらお弁当を開いた。

 お弁当の中身はおにぎりと稲荷ずし、唐揚げと一口カツと海老フライ、ウインナーとポテトサラダとご馳走だった。

 朝から大きな声を出しっぱなしなのでお腹はペコペコである。

 がっついてのどに詰まらせないように麦茶を飲みながらモリモリ食べた。

 特に母手製のから揚げは程よくニンニクが効いており元気が出た。

 散々食べてお腹をさすっていると、はいデザートと言って梨とブドウを出してくれたのも楽しい思い出である。

 食べたら少し横になっていろと父が言うので帽子を目隠しにしてウトウトとした。

 時間にして十分くらいだったと思うが体はしゃっきりしていた。

 そのうちに午後の競技を始めるというアナウンスが聞こえてきたのでじゃあ行ってくると駆け出した。

 応援団の最大の見せ場は午後の最初に行われる応援合戦だった。

 手拍子とダンスを取り入れたアクロバティックなもので緊張もピークだった。

 私の運動神経が鈍いのは団長が知り抜いていたので補助に回った。

 リズムよく応援が進んでいき団長が側転からバク転を決めた時には大きな歓声が上がった。

 そのそばで大げさに手を振りながら場を盛り上げるのが私の精一杯だった。

 応援合戦は大いに盛り上がったので私も静かに興奮した。

 それから最後のリレーまで競技は大きなトラブルもなく終了した。

 その年は確か負けたと記憶している。

 とはいえ地味な私が応援団という大役をこなすことが出来たのは大きな充実感があった。

 教室に着替えに戻ったら辺りがジャリジャリするくらい砂が大量に出た。

 家に帰宅すると玄関前でストップ!服を全部脱いで洗濯機に入れてからお風呂に入りなさいと母に言われた。

 確かに髪の毛の奥にまで砂が詰まっている気がしたので玄関で全裸になってお風呂で身体中の砂を落として念入りにシャンプーをした。

 身体もよく洗ってホコホコに温もったのでフカフカのタオルでよく身体を拭いて上がった。

 それからすぐに晩ご飯になった。

 運動会の日の晩御飯はお昼のお弁当の残りをメインにするのが決まりだった。

 好きな物ばかりなので全く問題は無く美味しく頂いた。

 運動会のご褒美に瓶のオレンジジュースが特別に一本ついてくるのも大きな楽しみだった。

 私は祖父母に今日のささやかな活躍をやや大げさに語った。

 男らしいことが好きな祖父はよくやったと私にお酒を勧めてきたが祖母に咎められていた。

 運動会の思い出と言えば真っ先にこの日の事が思い浮かぶ。

 あの日の空はどこまでも高かった。 

 

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