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アートをはじめた理由① 画家 玄(GEN)


幼少期の自分

それまで勝負をしてこない人生だった。

クラスに1人か2人はいた絵を描くのが上手い少年。
それが僕だった。
特徴はそれだけ。ただ絵を描くのが上手い少年。
その他に長けた所も無く、よく勝負をすることから逃げていた。

理由はもちろん
"悔しい思いをしたくないから"
"恥をかきたくないから"


運動会のクラス選抜リレーに推薦された時も"ダルい"を理由に断った。
(本当のところは別に足が速い訳では無いから、それで恥をかきたくなかったから)
数学や英語の勉強をそもそも大人になっても必要が無いと言い張り、勉強をしていなかった。
(本当のところは本気でやって点数が低かった時に自分にがっかりしてしまいそうで怖かったから)


伝家の宝刀"正当化"で自分を納得させるのが特技であった。


でも落書きには自信があった。

漫画の絵を描いたり、担任の先生の顔を誇張して描いたりすると、皆んな笑顔になってくれて素直に嬉しかった。


いっぱい絵を描いた。


自分の勝ち筋が見えた時だけ誰よりも全力でやるカッコ悪い奴。
それがその時の僕だった。
つまり、どの映画でも、どの漫画でも誰からも支持されない奴。
絵を描くということが僕の超絶的な才能だと過信してた。


過信が教えてくれたこと

高校生の頃になると、漫画の絵を描いたり、担任の先生の顔を誇張して描くのは止めて、オリジナルの絵を描いていた。
いわゆる「こんな絵素敵じゃね」と自分が思うモノを詰め込んだ絵。

ドクロと信号機を融合させたり、少し気味の悪い胴体の骨が丸出しになっている金魚を描いたり、、



”過信”とは凄いもので、その絵達をTシャツにして販売することにした。
(友人の後押しのおかげでもあって、今でも感謝している)

確かな勝ち筋がその時は見えていた。
「このカッコいいTシャツは確実にみんな買ってくれる」と。


結果は想像以上に売れた。
合計で300枚以上売れた。


けれど、後になって振り返るとそれは錯覚でしか無かった。
嬉しくて1着目、2着目、3着目と調子に乗ってどんどん製作していくうちにあることに気づいた。

2着目を買う人はあまりいなかったのだ。


だいたいの人はどれか1着を買ってくれた。
当時の僕はデザインが最高だから買ってくれているんだと思っていた。

次に描いたデザインは、もっと最高で、もっとかっこいい絵を描いていたつもりだった。
だから「次はもっと売れるんじゃないか」という自信すらあった。

だけどそれは大きな勘違いだった。
皆んながTシャツを買ってくれていた理由は
「友達の玄ちゃんのTシャツなら」
「後輩の玄のTシャツなら」
「先輩の玄さんのTシャツなら」
と僕との関係性の元、皆んなの優しさで買ってくれていることに気づいた。


つまりデザインなんて関係無かったということ。


皆んなの優しさに触れてすごく嬉しかった。
それと同時にすごく情けなかった。
自分の絵の才能によって、こんなに売れていると思っていた自分をすごく恥ずかしく感じた。


その時出た結論は絵を描く才能があった訳では無くて、絵を描くことが好きなだけだったということ。

好きなことっていつまでやってていいんだっけ。

@ネパールアート街プロジェクト

②へつづく↓↓↓



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