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アートをはじめた理由② 画家 玄(GEN)

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それまで勝負をしてこない人生だった

想像を遥かに越える枚数のTシャツを売ったことで、将来はTシャツ屋さんになってるんだと何となく思っていた。
他に本気になれる夢もずっと無かった。


進路選択

だけど今は話が変わってきている。
あれだけ過信していた自分には絵の才能が無いことに気づいた。
芸大志望も考えていたが、今さら将来が危うく感じてきて急遽進路変更。
その時の学力でなんとか行ける普通大学を目指し始めた。


「玄ちゃん芸大に行かないの?」なんてことを言われることも多々あった。
その時は伝家の宝刀の"正当化"である。
「才能がある奴はどこの環境でも花開く」と言って、また勝負をすることから逃げていた。


そして僕は普通大学に進学した。

絵を描くという唯一の才能が錯覚であることに気づいて、何の個性や能力も無いまっさらな自分から大学生活が始まる。
このまま何となく大学生活を送っていたら、何もせず終わってしまうことが怖い。
うつつを抜かすこと無く、1回生の時から就職に向けてしっかり頑張ろうと強く思った。



大きな勝負に出ることも無く、無難にずっと安心していられる安定した会社に入りたいと思った。
有難いことに共に頑張ることのできる友人ともめぐり逢い、就職活動に力を入れてくれるゼミに入ることもできた。



絵を描く才能が無いことは充分わかったけど、自分の中で絵を描くことへの興味、アートへの興味が今もずっしりと残っていることを常々感じていた。


 「絵を描くとは。アートとは、一体」みたいな。


だから大学を卒業してしまう前に本場のアートと言われるモノをこの目で観てみたいと思った。
僕はそこから2年間プールの監視員のバイトを頑張って、100万円の貯金をして本場のアートというモノを確認するためにヨーロッパへ行くことにした。



20歳、はじめての海外

初めての土地、初めての食べ物、建物、服、人、何もかもが新鮮に感じて胸が高揚した。


ピカソ、ガウディ、モネ、ゴッホ、ダリ、巨匠と呼ばれる人達の作品に可能な限り会いに行った。

凄かった

色が、構図が、技術が、発想が。
いや細部を理解する前にとにかく"凄い"という衝撃が走った。
作品背景やコンセプトなども重要ではあるけど、こちらに何も思わす隙を与えずに"凄い"と感じさせるその力は圧倒的だった。

そして他の鑑賞者を観て、巨匠達の作品と僕の作品とでは決定的に違う部分があることに気づいた。

それは作品を創る姿勢だった。

今まで生きてきた中で一番の絶望を感じた。
巨匠達の作品を鑑賞する人達は、作品を目の前にして、涙を流したり、吐息を漏らしたり、雄叫びを上げていたりしていた。
アートというモノは鑑賞者が存在して、そこでやっと作品として成立する。



アートを始めた理由

僕は皆んなに喜んで欲しくて、笑顔になって欲しくて描いているつもりだった。
だけど実際のところは「玄ちゃん凄い!!」「玄ちゃん絵上手いなぁ!!」と褒められたくて描いていたことに気づいた。


情けなくなった。


これまで生きてきた全てを否定された感覚になったが、それと同時に今度こそ"自分が定義した本当の意味でアートをしたい"と感じた。
自分はアートを通して何がしたいのか


"一人でも多くの人を笑顔にしたい"


その一択だった。
これが僕がアートをはじめた理由

「人生を賭けてこれを実現するには、就活はやめることになるのか?」
「架空の職業にすら感じる画家として生計を経てていくことになるのか?」
「そもそも生きていくことすらできるのか?」

様々な疑問が浮かび上がった。



だけどもう悩むのは辞めた。
やると決めた。
勝ち筋は全く見えていなかった。

「一人でも多くの人を笑顔にしたくて画家になります」
なんて言って笑われるような光景もよぎったが、それまで勝負をしてこなかった人生に終止符を打った。


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