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アジアさすらいの日々ー中国編⑨(無錫の夜)

<前回までの旅>
…船で大阪から上海まで来て3日目、僕は電車の中で出会った中国の男の子の家に招かれた。最初は彼の妹たちと楽しく交流していたのだが、次に連れていかれた場所はなんと彼が経営しているという風俗店。僕は徐々に恐怖心を感じ始め、彼が近くのゲームセンターでゲームに夢中になっている隙を見てタクシーへ逃げ込み、そのまま駅へと向かった。そして無錫(ムシャク)行きの電車の中で僕は自分の行動が本当に正しかったのかと思い返していた。

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9月25日(日)

朝起きると時刻はもう9時を回っていた。疲れていたのだろう、昨日寝たのが23時頃なので10時間も寝ていたことになる。寝ぼけ頭でバックパックから着替えを取り出しシャワーを浴びる。体はさっぱりしたもののまだ頭は働かない。それでも僕はもう一度ベッドに横になりながら昨日のことを思い出そうとする。

結局列車が蘇州駅を出たのは9時ごろで、気がつくと無錫駅に到着していた。1時間くらいの短い旅程ではあったのだが、その間何を考えていたのかはっきり頭に残っていない。ただ何とも言えない後味の悪さだけが僕の心にじっとりと沁みついていて抜けることがない。

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無錫駅に着くともう時刻は夜10時に差し掛かろうとしていて、早めに宿まで行かなければならないという思いはあったが、もう泊まるホステルは決まっていたので特に焦りは感じていなかった。実は上海で泊まったホステル(国際青年旅舎)には系列のユースホステルが中国各地にあり、事前に無錫のホステルを含め、そのホステルのビジネスカードをいくつか持って来ていた。僕はそのカードに乗っている地図に従い、きれいなライトが照らす大通りをてくてくと歩き、ホステルへと向かって行った。(写真は国際青年旅舎のロゴ。新しい都市に着くと僕はまずこのマークを求めて歩き続けることが多かった。)

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夜の無錫は住みやすそうな街並みが続いていて、危険な雰囲気を感じることは全くなかった。初めての町であるにも関わらず、僕はすこぶる落ち着いていたのだが、李くんがもう追ってくることはないだろうという安堵感がそうさせたのだと思う。そんな気持ちのまま10分ほど歩いていると、国際青年旅舎のロゴが早くも目に入って来て、そのまま僕はその木で作られたホステルの扉を開いた。

ホステルに入るとすぐに温和そうな中国人青年が迎えてくれた。夜遅かったので泊まる部屋があるか少し心配だったが、僕が「1 bed, today, OK?」と聞くと、彼は「Yes」と答え、部屋と値段が書かれた一覧表のようなものを見せてくれた。僕は一番安い8人用のドミトリールームを指さし、「Look, OK?」と続けると、彼は「Sure,」と微笑みながら答え、早速部屋まで案内しようと鍵を持ってフロントを出た。(なお当時の僕の英語力はこの程度で、今となっては恥ずかしい限りなのだが、アジアを旅していた当時は「一応伝わっている」ということで自信満々に話していた。)

9月というのはオフシーズンなのだろうか、それとももう夜10時だからなのか、テレビやソファーはあるが人の気配はない交流部屋を通り抜け、キッチンの隣の階段を上がると、目の前にドミトリー部屋があった。彼が軽くノックをしドアを開けると、そこには40歳代前半くらいの坊主頭の中国人男性が1人だけいて、もうすでに寝る準備を進めている様子だった。ビジネス用のかばんがベッドの脇に置かれていたことから、恐らくどこかから出張で無錫へと来たのだろう。僕は上半身裸だった彼に会釈し、彼も恥ずかしがることなく笑顔で会釈に応えた。僕は軽くシャワールームを確認すると、「OK」と受付係の彼に伝え、僕たちはフロントまでチェックインの手続きに戻ることにした。

ちなみに今となっては、Booking .comや他の旅行サイトなどで一度評価を確かめ、予約をしてからホテルへ行くという流れになってきているが、当時は旅行者も少なかったことから予約自体をすることがあまりなく、直接ホテルまで行き、部屋を見てからチェックインするかどうかを決める、ということがバックパッカーの常識だった(実際部屋やシャワールームに入ってみるとベッドが異常に汚かったりトイレから異臭がしたりすることがあるため)。とはいえ、僕がそんな事を前から知っていた訳ではなく、新鑑真号で出会ったアキラ君やアツシ君から聞いていただけなのだけれど。

フロントまで戻り、パスポートと入国スタンプが押された紙、そして宿泊代の40元(=580円程度)を渡すと、彼はにっこりと微笑みながら部屋のロッカーの鍵をカウンターの上に置いて、こう言った。
「Have a nice stay.」
色々あったがようやくゆっくりできる、と思ったがまだ晩ご飯を食べていないことに気づく。日本の都市部とは違い、当時の中国はよっぽどの大都市でなければ深夜も空いているコンビニはあまりなく、食べる場所がなくなる前に腹を満たさなければならない。
僕はお腹がすいたままで寝ることを心底嫌っているのだ。

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もう10時をまわっていたが、運よくホステル周辺の屋台はまだ営業していた。2、3軒を見比べ、最終的に決めたのは串ものの食堂兼屋台で、僕は手前にあったおいしそうな茶色の肉(何の肉かはわからないけれど)とイカを指さし、「多少钱(いくら)?」と言うと、店番のおばさんは「1本2元」というようなことをまるで中国人を相手するような口調で答えた。ちなみに僕はほんの基本的な中国語(「いくら?(多少钱?)」、「どこ?(哪里?)」や数の数え方など)だけは持っていた『中国語旅の会話帳』で覚えていたのだが、「1本」のような初心者レベル以上の単語を聞き取ることは当然できなかった。

それでもどうにか意思の疎通をはかり、結果として肉串2本とイカ串2本、それに適当な野菜を炒めたものと白ご飯を頼むことに成功した。注文し終わるころには確実に自分が中国人ではないということはバレていたのだが、奥の食事席でゆっくり腹を満たすことができ、値段もたったの12元(=約175円)だった。(後々わかったことだが、屋台や食堂では、土産物屋のように外国人旅行者をぼったくるということはほとんどなく、そのおかげで僕は安心して注文することができた。)

お腹も膨れドミトリー部屋に戻ると、坊主頭の彼はまだ起きていて静かに本を読んでるところで、上半身もまだ裸のままだった。正直に言うと、その日はあまり暑くもない夜で特に裸にならなくてもいいくらいだったのだが、それでも裸のままの彼を見て、僕はもしかしたら同性愛者じゃないかと疑っていた。本当に失礼な話で、もしそうだったとしても寝込みを襲われることはないだろうと今になって思う。ただ20歳そこそこで世界のことなど何も知らない無知な僕にとっては、上半身裸の見知らぬ外国人中年男性と部屋で二人きりになることなんて初めてだったし、中国で一人になって最初の夜だったことから考えれば、それは無理もない事なのだ。

そして当然その夜は何事もなく過ぎていき、僕は中国で一人になって最初の長い長い一日を静かに終えるのだった。

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