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『根のないフェミニズム』感想

韓国における、無名な市井の女性たちである「草の根運動フェミニスト」たちの記録。
『根のないフェミニズム』を読んで、まず気になった箇所を引用して感想やそれに関連する出来事などを章ごとに述べ、「さいごに」で全体を通しての所感を述べる。

日本ではSNSで女性の権利のことに関して発言をすると、男性と思われるアカウントからさまざまな罵t……いや「語気の荒いご意見やお叱りの言葉」が寄せられることがままあるが、韓国でもオンライン上での女性嫌悪とそれに伴う男女の対立が激しいようだ。

第1章 すべては告訴から始まった キム・インミョン

「花蛇(コッペム。男性たちの金を巻き上げる女性)」のミラーリングとして、ある漫画のキャラクターに向けて「チンコ蛇(チョッペム)」と書き込んだことが漫画家に訴えられて100万ウォンの罰金を払うよう命じられ、キム・インミョンさんは、裁判か罰金の支払いかを選ばなければならない状況になった。

※ミラーリング=相手が女性嫌悪的な言葉や文章、思想、行動、形態を見せたとき、登場人物や話者の性別だけを入れ替えてみせることで、社会の骨格にまでしみ込んだ女性嫌悪を鮮明にあぶりだして証明、あるいは説得するために用いる。

p.277「単語辞典」

ミラーリング論戦とウォーマドの誕生

女性たちはメガリアで、韓国社会のあらゆる分野で発生している女性の抑圧と被害を告白した。告白の波はとどまることなく、社会運動からも批判や異議を申し立てづらい聖域とされてきた障がい者とセクシュアル・マイノリティによる被害まで暴露された。男性障がい者を介助する過程で発生したセクハラ、性的奉仕の実態と、セクシュアル・マイノリティたちの間で繰り広げられる異性愛者女性とレズビアン女性への蔑視など、これまで覆い隠されたことが明らかになった。特にゲイ男性たちが、女性からの友好的な態度をいいことに女性嫌悪の先頭に立ったことがメガリア会員たちを怒らせた。

p.28 ミラーリング論戦とウォーマドの誕生

Twittteでも、女性に対する「マンコ嫌いな人~」発言への批判やオカマルトの「マンコレクション」など、マイノリティ男性による女性蔑視を見かけたばかりだ。

例①「まんこ嫌いな人~」発言

例②オカマルトの「マンコレクション」

問題となる連続ツイートを全部貼ると読みづらいので発言内容を引用すると

オカマルトの「マンコレクション」

「マンコレクション」とは、オカマルトが所蔵する女性をテーマにした本のコレクションです。レズビアン関連、フェミニズム関連の本が、多数、あります。コレ👇は、その内の一冊。

ジャッキー・フレミング 他『問題だらけの女性たち』

なんとも愉快な絵本! イヒヒと笑うか、ニンマリほくそ笑むか。
まさか怒り出す女はいないと思うけど・・・もしいたら、その女には「この腐れマンコ!」って罵倒をしてやるわ(笑)。
でもね、自分のマンコさえ満足に見たことが無い女がいるって言うじゃない?
それも社会の抑圧だとか、男性社会からの押し付けだとか、適当な言い訳をしてさ。
外性器の位置のせいだとか言うけど、鏡が発明される前の時代ならいざ知らず、いまだに言い続ける馬鹿マンコもいるみたいね(笑)。
それって、単に、女が、知的好奇心が皆無で、怠慢ってだけなんじゃ無いの?と、思うわけ。
だから、そういう女(マンコ)は嫌いなのよ。

オカマルトの「マンコレクション」

両方の例ともに女性のことを女(マンコ)と性器呼びしている。
「ま~ん(笑)」「まんさん」「お膣さん」などと性器呼びで女を嘲笑し、侮辱する男性たちと何の違いがあるだろうか。
性的マイノリティであるということでこのような女性蔑視発言が見逃されてよいのだろうか。わたしは新宿二丁目文化には疎いのだが女性はこういう風に呼ばれてきたんだろうか。親しみの証(?)としての「マンコ」呼びなのかもしれないが、そういう文化を知らない人たちにとってはギョッとする呼称ではあると思う。

話が脱線したが本文の内容に戻る。

ゲイサイトが女性を「乳凸虫」と呼んだことにより、これに対抗してメガリアたちは男性同性愛者を「糞穴虫」と呼ぶことになる。しかしメガリアサイトの運営者と運営費の寄付者がセクシュアル・マイノリティ嫌悪は容認できないとし、「糞穴虫」という言葉を禁止させ関連投稿を削除し、これに反対する会員たちを強制退会させたため、会員たちが新しく「womad(woman+nomad)」というサイトに移ることになった。
わたしはメガリアとウォーマドが分裂したことはwebで調べて知っていたのだが、セクシュアル・マイノリティの男性による女性蔑視発言が元になったということまでは知らなかった。
韓国のオンラインで女性たちがフェミニズムに関して討論していた場所が、女性蔑視発言をする男性によって分断され、間接的に破壊されたことによって、良質な投稿や議論が消えてしまったことを残念に思う。

映画「ハリー・ポッター」シリーズのダンブルドア校長は言った。正しい道か易しい道かを選ばなければならない時が来ると。当時の私にとって易しい道は罰金を支払うことで、正しい道は裁判をすることだったが、そちらは決して平坦な道ではない。私は正しい道を行こうと決意した。

p.36 「チョッペム(チンコ蛇)と罰金100万ウォン」

もしミラーリングされた言葉が男性嫌悪的だと批判されるならば、そのミラーリングの元となった女性嫌悪発言が同じように批判されないのは理不尽だと思う。
第1章ではキム・インミョンさんが裁判に立ち向かい、「無罪」を勝ち取るまでの困難な過程が書かれている。

第2章 「招待客募集」を、聞いたことがありますか? カン・ユ

カン・ユさんは「チンコ蛇(チョッペム)」と書き込んだことによって告訴された女性の友人という立場であり、「ソラネット閉鎖」(ソラネット=ポルノ共有サイト)に関わっていた女性である。

「ソラネット閉鎖」がどのような過程を経てなされたのかは、実話をもとにした、フェミニスト・ドキュメンタリー小説『ハヨンガ』に詳しく書かれている。

ちなみに2018年から2020年にかけて起こった「n番部屋事件」は第二のソラネット事件とも言われていて、

Netflixで『サイバー地獄:n番部屋 ネット犯罪を暴く』(2022、チェ・ジンソン)というドキュメンタリーにもなっている。

第3章 怒りは我が力、オンラインの魔女狩りに立ち向かう イ・ウォニュン

前半の第1章、第2章は告訴された側とその友人の証言だったが、第3章は告訴した側の証言だ。

イルベと一線交える

(※イルベ=日本でいう5ちゃんねるのようなネット掲示板)
イ・ウォニュンさんは韓国で性暴力を受けたオーストラリア人女性の支援をしていて、その被害女性が出演するオーストラリアのドキュメンタリーでのインタビュー出演を打診された。

私は(中略)丁重に断った。以前にも何度か目撃してきたのだ。この社会が女性嫌悪に対して生意気に声をあげる女たちを懲らしめ、黙らせるやり方を……。韓国社会の一部男性たちは見せしめとして魔女狩りを行い、大多数の男性たちは暗黙のうちにそれを支持し、または傍観した。

p.104 「あんたの顔がイルベに上がってる」

性被害を受けた当事者なのか第三者なのかという立場の違いはあるが、元TBS記者の山口敬之氏から性被害を受けたことを実名・顔出しで告発した伊藤詩織さんが、インターネット上などで激しい中傷や脅迫を受け、自宅に戻れなくなったため、日本にいられなくなってイギリスにまで移住したことを考えると、イ・ウォニュンさんが発言者として実名や顔出しを避けたがった理由は容易に想像がつく。
性被害に関して告発する女性に対して、誹謗中傷や二次加害がされるのはSNSでうんざりするほどもう何度もみた光景だ。

この4年間、裁判で訴えたかったことは、そう多くはありません。まず、私の身に起きた出来事に対して、司法の適切な判断が下されることでした。そしてもうひとつ、判決を通じて、私が経験したような、性被害、および被害者バッシングという2次被害が、決して許されないものなのだというメッセージが広がることで、新たに被害者が泣き寝入りしなくてよい社会になることです。

意見陳述書全文(控訴審口頭弁論)


イ・ウォニュンさんは顔にモザイクをかけて音声も変えてもらうようにオーストラリアの放送局に依頼したが、放送の信頼性を考慮してそれはできないと言われてしまった。しかし、

私の口を塞いでいた恐怖と怒りが、ある瞬間勇気に変わった。
放送局から再び連絡が来たとき、私には戦う準備ができていた。「生意気に騒いだりせず、口を閉じていろ」と言う者たちに屈服しないことを見せつけてやるつもりだった。私の顔と名前をはっきりと掲げ、話したいことを話したかった。どんなに凄んで脅迫したところで、おまえたちは絶対に私たちを止められない。そんなメッセージを投げつけたかった。

p.105 「あんたの顔がイルベに上がってる」

と思うようになったことから、実名・顔出しでインタビューを受けて、ソラネットと韓国のレイプカルチャーに関して発言し、その番組はオーストラリアで放送された。
すると、イルベで「オーストラリアで放送された韓国の性文化」「オーストラリアで韓国のイメージを肥溜めに落とした番組」と話題になり、数日後には「身元がわかった」という投稿もあがり、

・身元を晒して魔女狩りをさせようとするもの
・国家冒涜行為(?)によって国家が法的に処罰できると信じているもの
・韓国女性たちを性的に卑下する表現
・容姿を取り上げ、発言の価値そのものを下げようとする試み
・性的な侮辱の意図
・レイプカルチャーが韓国社会に存在すると認めつつ、それを悪いことと考えない開き直りの発言

などの、とてもひどいコメントが彼女に対して向けられることになる。
多くの誹謗中傷を受け取ったイ・ウォニュンさんはオンライン侮辱罪に関して実績のある有能な弁護士に会い、

できるだけ多くの加害者を特定し、直接顔を見て謝罪を受けられるようにしてほしい

p.116 生き抜いてみせるし、勝ってみせる

と一つだけ要求した。そしてその依頼はなんとか果たされることになるのだが、オンラインで酷いコメントを彼女に投げつけていた男性たちが、実際にはどのような人たちで、誹謗中傷をした女性に対して面とむかってどのような「言い訳」をしていたのかは、ぜひ自分の目で読んで確かめてほしい。

第4章 オンラインフェミサイド、今度は私たちが話す番だ クク・チヘ

女性嫌悪に左右は無い

クク・チヘさんはメガリア初期、オンラインで男性たちを相手に友軍になってくれるよう説得することを最初の運動目的とし、周囲の男性たち、とくにリベラルな男性たちは最大限メガリアの仲間になるべきだし、なれるはずだと思っていた。

ところが、彼女は男性フェミニストたちの欺瞞を暴いたせいか、男性フェミニストを一般化して攻撃し処断し排除したと、多くの男性フェミニストたちと敵対関係になり、「クク・チヘ」という名はフェイスブックフェミニストたちの間で悪名としてとらえられ、烙印のようになってしまった。

「女性嫌悪に左右はない」という見出しの通り、Twitterでも一部の左派男性の女性に対する振る舞いを観察しても(自覚的なのか無自覚なのか分からないが)女性蔑視がまま見られることがある。

わたし自身、Twitterでプロフィールに「LGBTのG」と書いてある某左派男性から「なーんもわかっとらん」「馬鹿丸出し」「誰かを叩きたいだけの蛆虫」「まっとうなフェミニストの面汚し」「お前、フェミニズム勉強したことあるか?」「ネットが生んだ屑」「人間に非ず」「低能」「印象でしか物事を語れない阿呆」と言われた経験がある。(すごい罵倒のバリエーションだ)

他にも、オンラインフェミニストたちの間で有名な男性のフェミニストが、フェミニスト女性たちの対立と分断を煽った様子が書かれていた。

現在この二人の男性は、力を合わせて「女性」の意味をめぐる論戦でトランスジェンダリズムに抵抗しているラディカルフェミニストたちを悪魔とみなし「TERF」として責め立てている。

p.150 誰が彼女たちに失われた言葉を授けられるだろう

ここで初めて「TERF」という言葉が出てきた。フェミニズムに関する本を読んでいて「TERF」に関する記述をみたのはこの本が初めてだ。

TERF Trans-Exclusionary Radical feminist トランス排除のラディカルフェミニストのこと。中立的な言葉のようだがラディカルフェミニストたち自身はこの用語を使わず、トランスジェンダーとクィア陣営がフェミニストを攻撃するために使用している言葉であり、蔑称であり、烙印である。トランスジェンダー政治学についての軽い疑問を示しただけでも嫌悪者と見なされ、TERFと決めつけられる。オンラインで活動しているラディカルフェミニストは殺害脅迫を受けもした。

p.150

この本が一部で「だいぶ問題の多そうな本」「著者のトランスフォビア言説を指摘されていることを明言します」と言われているのはこういう記述があるからだろうか。
「TERF」という言葉とそれにまつわる現象については、詳しく考察されているブログが参考になると思うのでリンクを貼る。

わたしは数年前からTwitterでこの「女性」の意味をめぐる論争をハラハラしながら見守っていて、「TERF」とみなされた女性アカウントが「差別者」だと責め立てられていたり侮辱の言葉を投げつけられる光景を何度も見た。
韓国でもオンラインで同じような現象が起こっていたとは知らなかった。

第5章 最後まで生き残ろうとする女は、汚名を着せられる イ・ジウォン

空間の主権を侵奪する男たち

「女子大に侵入する男性たち」の系譜として1996年「高麗大生たちによる梨花女子大学祭乱入および暴行事件」が紹介される。大きなイベント時に外部からの出入りが許可された1985年から、高麗大の学生たちはイベントのたびに押しかけて梨花女子大の学生たちを性的にからかい、物理的な暴力を加えた。彼らの暴力は年々ひどくなっていき、1996年には500人を超える高麗大生が綱引きイベントの隊列に押し寄せ大暴れしたことで、骨折させられた女子大生が続出した。
2017年4月21日には、東国大学史学科の男子学生たちが淑明女子大学の科学館に侵入し、淑明女子大生たちにセクハラ行為と暴力を加えた。

日本では女子校の文化祭に不審者が侵入するため、外部の入場者はチケット制になったり警備が厳しくなるという話を聞いたことがあるが、韓国ではこんな過激な暴力が何年もずっと毎年のように起こっていて傷害事件にまでなっていたとは……絶句した……

女性の空間が消えてゆく

このような背景から、梨花女子大女性主義学会学会長であるイ・ジウォンさんは淑明女子大中央女性学サークルSFAと「女子大に侵入する男性たちと、『女の敵は女』の真実」というタイトルのセミナーを準備していた。
このセミナーには、女子大においてすら安全でいられない、そんな女たちのための場所を作り、女子大に侵入した男性たちの起こした事件が性別による権力に起因する社会的問題であり、女性を対象とした犯罪であることを積極的に公論化するという目的があった。

セミナーの企画チームがもっとも力を注いだのは被害者によるトークで、女子大の外部の者である男性たちから暴力を受けた被害当事者と目撃者の女性たちがセミナーに参加し、自分たちの経験を直接語ることになった。なかには未だにトラウマから抜け出せていない女性もいたので、発言者たちの安全を確保し、身辺を保護する責任があった。
そのため、企画チームは内部での会議を経て、発言者の生存権と発言権のため「わりあてられた性別」における男性(社会的にわりあてられた生物学的性別が男性である人)の参加を制限した。

この「わりあてられた性別」における男性のセミナー参加を制限するという処置は、すぐに大きな騒ぎを引き起こし、
SNSで「トリガーを憂慮するなら『男性パッシング』(男性の見た目を持ち、男性としてパスすること)の参加者のほうが望ましくないのでは?『わりあてられた性別』という言葉の使用は、トランス女性を含めたジェンダークィアを排除することではないか?性別が男性であることに重きを置くのか、それとも男性に見えることに重きを置くのか」という問題提起がされた。

セミナーで被害経験を語る予定だった女性たちは「クィアフォビア」の烙印を押され、「私は被害者の方々が被害を受けたからといって、他の方面で抑圧の加害者となり得ないとは思わないんです」とまで言われてしまう。

男性という存在自体にトラウマがある女性たちに対して、こういった問題提起をしたり「クィアフォビア」の烙印を押すということは、被害者女性たちの口を塞いで黙らせることと同じになってしまうのではないだろうか?
なぜ女性が安心して語れる機会さえこうやって奪われてしまうんだろう。
わたしはこの章を読んで、2020年12月末から2021年初頭にかけて起こった、フラワーデモとファイヤーデモの分裂のことを思い出した。
本さんがnoteで当時のできごとについて書いていたのでリンクを貼る。

フラワーデモとファイヤーデモがどんな経緯で分裂したのかについては、資料が揃っていないし、わたしも全部を把握しているわけではないのでここでは書かないでおく。

この『根のないフェミニズム』第6章に書かれていた「女子大で女性被害者が語る場」、そして「性被害者の女性が語る場としてのフラワーデモ」において女性被害者の保護が尊重されなかったことには、やはり共通した女性嫌悪が根底にあるように思う。

女性たちの空間で女性たちは、女性であるがゆえにこの社会で味わされてきたことを他の女性たちと共有することができ、その過程を通じて互いを支持することができる。
しかし、女性たちだけの空間が侵害されてしまうと、そのような議論の場が消えてゆくのだ。こうしてすべての空間で、またもや女性は排除され、既存の空間もまた女性たちに沈黙と従属を強いるものとなってしまう。
それゆえ女性の空間は、既存のあらゆる男性の空間とは基本的な利害関係を異にするという点で、女性運動の最前線なのだ。
同時に男性によって女性の空間が侵犯されたことは、女性たちにとってきわめて政治的な事案とならざるを得ない。

p.204 フェミニズムから、女性たちが追い出されてゆく

「ノットオールメン」なのは重々承知しているが、それでも一部の男性が女性に対して見せる嗜虐心や加害欲が確実に存在するということは、ほとんどの女性たちは経験として知っているのではないだろうか。
一体どうすれば「排除」と言われることなく、女性たちだけで安心して語れる場が持てるのだろう。

第7章 フェミニストの液体的連帯を夢見る チョン・ナラ

この章では交差性(インターセクショナリティ)への批判が印象的だった。
「交差性」とは、「インターセクショナリティ(intersectionality)」として用いられている言葉で、近ごろ目にすることが増えてきた。
インターセクショナリティは『現代思想2022年5月号』の特集にもなっていて、いまジェンダー学において盛り上がっているキーワードという印象がある。

最近になってフェイスブックにはフェミニズムの議論とテーマを発展させ、女性に抑圧的な社会構造を変えようとする人々が増えており、特定のテーマに集中して声をあげようとする人々もまた増えている。
しかし、セクシュアル・マイノリティ文化での女性嫌悪を批判する意見は封じられてきて、そんな意見を出して攻撃されてきた多くの人たちはアカウントを削除したり、フェミニズムに関してこれ以上話さないとの宣言とともにオンラインを去りもした。

p.250 交差性?交差性!

フェミニズムが韓国で再燃し始めてせいぜい二年にしかならないが、その間「第二波フェミニズム」を「すでに下火」とみなし、攻撃するバックラッシュが流行していた。(中略) 状況は非常に複合的で、当然ながらフェイスブックでは多くの事件が起きていた。
一つ目は障がい者男性による性暴力被害事実を書いたフェミニストが障がい者嫌悪として攻撃された事件であり、二つ目はあるジェンダークィアによる多くのセクハラ発言公論化を支援したレズビアン、ジェンダークィアを含む人々が、セクシュアル・マイノリティ嫌悪者やクィアフォビアとして攻撃された事件だった。(中略)
「セクシュアル・マイノリティ」としてゲイ男性とひとくくりにされることに抗議し、男性セクシュアル・マイノリティたちの女性嫌悪的文化を批判するクィアとレズビアンたちが、「ホモフォビア」や「セクシュアル・マイノリティ嫌悪」と非難を浴びたり、「シヘ女(シスジェンダーヘテロ女性)」として軽い「パッシング」を受けた。
これはゲイ男性たちの女性嫌悪を指摘すればホモフォビアとして攻撃される、という代表的な例としてあげることができる。

p.252 交差性?交差性!

この本に関して「クィアフォビアがすごい」という評も見たことがあるが、もしこういう記述のことを指して「クィアフォビア」としているとしたら、日本でもまさに同じことが起こっていると証明してしまっていることにならないだろうか。
セクシュアル・マイノリティだからといって女性のことを「まんこ」など性器の名称で呼ぶことまで受け入れろというのだろうか。
まるでターゲットに侮辱的な渾名をつけて呼びながら友人だと言い張る「いじめ」のようだと思う。

「交差性」は女性抑圧の重層的構造を分析するために使う用語として、多層的な女性抑圧をあらわにすることだ。例をあげると白人女性と黒人男性はそれぞれ女性と黒人という点でマイノリティであるが、同じ差別を経験しているわけではない。フェミニズムの中で交差性を問うということは白人女性に加えられる抑圧と黒人女性に加えられる抑圧の差を多角的に分析することだ。
しかし、これを男性にまで拡大して適用し、白人女性と黒人男性の「交差性」を比較することになると、多様で多層的な差別を一元化し、結局は権力の作動方式と過程、そして各種の社会的マイノリティたちが置かれる脈絡を一元化させることになる。したがって女性と男性の交差性を問うと現実的でない議論を呼び起こしがちだ。

p.252 交差性?交差性!

この後に「交差性の誤用」とはどんなものか、具体例を挙げて説明されている。
たしかにTwitterで「#男と女で見えてる世界が違う」タグをみると、経験してきたことと受けてきた抑圧において、男性と女性の間には無視できないくらいの大きな隔たりがあるように思う。

交差性の適用範囲に対するシビアな批判は、特にSNSの場以外の書籍では読んだことがなかったので新鮮だった。
本来、女性が置かれた交差的抑圧を探るものであった「交差性」を違うやり方で使用する者たちに対して、「交差性の誤用」だと反論し、意見表明した人たちは嫌悪者のレッテルを貼られ追いやられたそうだ。

松谷マヤさんのnoteでもインターセクショナリティについての批判がなされていたのでそちらも併せて読んでいただくと大いに参考になると思う。

社会が求める「女性らしく」「明るい」女性が「主体的」で「フェミニズム的」だという最近のフェミニズム議論を見ると、フェミニズムはそんなものではないと言いたくなる。女性たちがやりたいようにやっても何の問題もないときがまさに性の平等が実現したときであり、これは男性たちのジェンダー権力が解体されて初めて可能になる。
進歩派の男性たちは女性の主体性を例としてあげ、女性たちが何でも自由に選ぶことができ、性的にも自由でいれば平等と言えるとする。しかし依然として女性がフェミニズムについて声をあげるだけで解雇され、就職が難しくなるこの時代、女性たちが現実的に持っている自由の中に、社会的主体となれる自由は含まれているのだろうか。
(中略)
現実からかけ離れた議論は私たちが今平等であるように錯覚させ、現実を覆い隠す。生き方の問題を錯覚させる議論に騙されないためにも、私たちのフェミニズムが絶対に必要だ。

p.262 フェミニストの液体的連帯を夢見て

ちょうど最近、フェミニストの「主体性」について考えるきっかけになる出来事があった。
2022年8月20日、サマーソニックでMåneskin(マネスキン)というバンドの女性ベーシストがニップレス姿でステージにあがり、それを日本の某バンドメンバーが揶揄していた。
また、インスタグラムでフェミニストを自称する女性たちが露出した写真を載せたり、「私はセックスが好きなフェミニストです」や「I am a feminist and bitch.」と書いたり「私は、フェミニストで性的同意をちゃんと取るセックスがすごく大好きなとても良い子で悪い子です」と記載されるアクセサリーを作っていたのを見かけた。

女性が性的客体となる表現がうんざりする程あふれている世の中で、わざわざmale gazeに迎合するような手法で「性的主体」や「女性の解放」をアピールする意味とは何なんだろう。
(こういうことを書くと「中世純潔主義ピューリタンの保守老害フェミ どうせモテないBBAの戯言だろ」と言われてしまうのかもしれないが……)

いくらフェミニストが性に開放的だったり「フリー・ザ・ニップル」運動によって女性の「主体性」を表現しても、それに伴って男性側の考え方も一緒に変化していかない限り、結局のところ、よくある既存の「女性蔑視的な性消費」の文脈に回収されてしまうのではないだろうか。

メガリア-ウォーマド単語辞典

巻末にある単語辞典は、ミラーリングを駆使していたり新しい漢字を作り出したり、辛辣さと皮肉とユーモアにあふれていた。たとえば、

【オメガ】地下鉄の妊婦用座席に座る男性を指す。オンラインフィクション文学の世界観において、「オメガ種」の男性は妊娠が可能である。

p.289「単語辞典」

という説明には爆笑した。まさかの「妊婦用座席に座っている男性は妊娠している男性」という解釈……
もし自分が「メガリア-ウォーマド単語辞典」の日本語バージョンをつくるとしたら、どういう言葉にするだろうかと思わず考えこんでしまった。

さいごに

わたしが2015年くらいにTwitterを始めてフェミニズムに関して発信するアカウントをフォローしていたときは、一時期、韓国のフェミニストたちに影響を受けたツイートがRTで回って来て、「ミラーリング」という、決して言葉遣いは良くないながらも、女性蔑視の構造を可視化するために生みだされた言葉たちをみて「この発想はなかった」と感心していたのだが、いつの間にか見かけなくなってしまった。

メガリアとウォーマドは頻繁なサイト移動とコミュニティ閉鎖、社会的な圧迫と警察による捜査のため、その言葉と業績が記録される間もなく消えてしまった。韓国社会を揺るがした爆発力に対して残っている記録が不完全で貧弱という事実は、韓国社会でメガリア/ウォーマドがどう位置づけられたかを示す指標となるだろう。

p.317「タイムライン」

巻末に載っているタイムラインは2015年から2018年の記録のみで、2018年6月以降は途絶えてしまっている。「メガリア」「ウォーマド」の女性たちは、今はどうしているのだろう。

『根のないフェミニズム』は男性フェミニストたちの欺瞞、セクシュアル・マイノリティの男性による女性嫌悪的な文化、左派男性や高学歴男性の女性蔑視などに言及しているため、一部の界隈、特に男性にとっては図星で責められているように感じる内容なのかもしれない。
しかし、だからといって現実に存在するそれらの女性嫌悪や女性蔑視を見て見ぬふりをすることはできない。ましてや、そのことによってフェミニストたちが分断されてしまうなんてことは本末転倒だと思う。

この本に関して「日本におけるトランス排除言説の広がりは、韓国のそれの影響を部分的に受けている」との意見があった。
日本のフェミニストたちが韓国のフェミニストたちの影響を受けているのは、韓国や日本の女性たちの怒りが、「魂の双子」と言われるほど似ている韓国と日本の男性たちの「女性蔑視」という原因によって引き起こされているからではないか。
そもそも女性差別が無ければフェミニストは生まれないのに、その原因となる韓国と日本で共通の「女性嫌悪的文化」に目を向けないのはなぜだろう。

怒りをエネルギー源にする女性運動は適切な解放運動と言えるのか、と指摘した人がいた。この言葉はどこまでも、故意に女性運動を妨害するものだと思っている。女性運動が怒りを動力として過激化したのは、現実が女性たちをそれだけ過酷に苦しめているからだ。

p.182 自分の怒りを信頼するという宣言

今後、日本のオンラインで活動している草の根運動フェミニストたち、無名の女性たちの証言を何らかの形で残すことも、今後の貴重な資料になりうるのではないだろうか。
わたしは『根のないフェミニズム』を読んで、世界の女性運動を今やリードする存在になっている韓国の草の根フェミニストたちの活動に勇気づけられたし、彼女たちから学ぶ点は多く、韓国と日本という相似形の女性蔑視に立ち向かうヒントとして大いに参考になると感じた。

前回と同様に長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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