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川辺市子のために/【『市子』感想文】

陽気な鼻歌が、死体遺棄のニュースと相まって不気味さを感じさせる。
開幕の不穏な空気から、メンタルをサスペンス待ち構えモードに切り替えた観客は少なくないと思う。
市子の失踪という物語の起こりは息をつく間もなく、その後も関係者への聴取および回想によって徐々に市子の素性が明らかになっていく。

序盤でサスペンス待ち構えモードをガチガチにして本作を捉えると、ある程度先が読めてしまってやや物足りなく感じてしまうことだろう。

しかし本作は紛れもないヒューマンドラマであり、最も焦点を当てるべきはやはり、市子の置かれた境遇とそれをうみだした社会の構造、そしてなによりも市子の心境だと思う。

貧困、法制度の穴、ヤングケアラー etc...

多くの社会問題が重なり合った状況下で生きる市子の胸の内は常に振り幅大きく揺らいでいるようにみられ、その様子が生々しいまでのリアルさを私たちに感じさせる。どうしても他人事としてはみられないのだ。

そしておそらく北も、気丈に振る舞いつつも不安定さを漂わせる市子への「ほっとけなさ」から、次第に彼女に惹かれていったのだろう(単に顔面が好みだった説あり)。

しかし結果として北は、市子のヒーローになると言っておきながら自分の欲望を優先させるような言動にはしる。人間なのだから見返りを求めることは当然ではあるが、結局のところ北はあの頃の、高校時代の「月子」の像を追っていく。元交際相手の田中も同様である。

そして、ここで際立つのは長谷川の存在である。
市子の素顔を追い、関係者の証言を訊いて驚く長谷川をみるに市子は、彼に自身の抱える不安定さを見せていなかったのではないか。そもそも長谷川と過ごしているなかでは見せる必要に迫られなかったのではないか。
それは長谷川が市子にとって、月子としてではなく、市子としてのありのままを受け入れた最初の交際相手だったからだろう。

義父を殺害したあの日、月子としての自分を否定し生きることを決めた彼女が最後、再び市子ではない人生へと進んでいく。

冒頭と同じ調子であるはずのあの鼻歌は、どこか寂しげだった。

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