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前編 アウシュビッツに行ってきた

はじめに
2月の後半にアウシュビッツ(Auschwitz)に行ってきた。
行ってきたというより、ベルリン(Berlin)で知り合った友人が行く計画を立てていたので、この機会に便乗して付いて行った。

ちなみに、現地でどいう話を聞いたかとか、どういう体験をしたかということは基本的にここでは書かない。ここで書くより、実際に現地に行ってみた方が5億倍良いと思う。ヨーロッパでは最先端の教育の1つとしてアウシュビッツに訪れるプログラムを組んでいる学校が増えているみたい。僕も実際に行ってみて、めちゃくちゃ良い体験をできたと思っているし、非常に多くの学びがあったことは間違いない。ホロコーストは世界的にも、歴史的にもかなり重大な出来事の1つで、人類が抱えている根源的な問題が極端な形で立ち現れた例のように思える。だから、そこから派生して考えられる事が大量にあるように思う。今現在、社会や日常に存在しているいろいろな問題の根源的な側面は既にこの出来事で露呈していて、今起こっている、あらゆる問題の本質的な部分を考えたときに、ホロコーストの事例に触れざるを得ないんじゃないかとさえ思えたりする。つまり、人類はまだこの問題を完全には解決しきれていなくて、ホロコーストで表面化した問題が別の形で、現在も世界の各地に現れているというようにさえ思える。それ故、遠く離れた場所の出来事だけれど、触れてみる価値が十分にある。後編の方で書くけれど、問題だけじゃなくて楽しい発見もたくさんあった。
とりあえず実際に行ってみることをおすすめします○


ちなみに
じゃあここで何を書くのかというと、個人的に考えたことや個人の体験をベースに文章を書きたい。アウシュビッツではいろいろ考えるきっかけをもらった。終始興奮しっぱなし。その勢いに任せて文章をダダダッーと書いていたのだけど、時間を置いて寝かせて、大きく2つの構成でまとめることにした。前半では少し真面目な?内容。後編はどちらかというとハッピーな内容。今回は前編。


ざっくり旅行の概要
当日の早朝4時頃に起きて(実際は起きれるか心配だったので、前日からずっと起きていた。)、電車とバスを使ってベルリンのテーゲル空港まで行き、ライアンエアーという格安航空会社の便でポーランド(Poland)のクラクフ(Kraków)という場所まで飛んだ。
ライアンエアーはネット上では悪評しかなく、荷物の大きさなどかなり心配したけれど、まったく問題なく、座席でも特にストレスも感じず、乗ることができた(機内では爆睡)。荷物は規定の中でも最小のサイズである400mm×250mm×200mmサイズのバックパックに詰め込んだし、座席指定も特にせず、プライオリティも付けなかったので、ベルリン~クラクフの往復で33€くらいにおさまった。ホテルは1泊1000円くらい。

期間としては2泊3日。早朝の便で戻ったので、まあ大体2日間、ポーランドを楽しんだ。1日目はクラクフの建築を巡った。雨が降っていたけれど、けっこうな距離を歩き、4つほど建築を訪れ、ポーランド料理を楽しみ、翌朝が早かったのと、たくさん歩いたり、早朝に乗った飛行機の疲れもあって、早めの21:00頃に就寝した。

2日目の朝はトラムで大きめの駅まで行き、バスに乗ってアウシュビッツに向かった。バスの運転手さんからチケットを買い、バスに乗って1時間半くらいで到着。着くと、多くの人がすでに居た。簡単な売店があり、そこで簡単な朝食を買い、食べた後、日本人ガイドさんのところに集合して中に入った。


被害者から加害者へ
ベルリンで生活していて、コロナが蔓延し始めた時期にいろいろ嫌な気分になることをされたりすることがあった。単純に「コロナ~」と言われたり、汚いようなものを見るような視線や態度を頂いたり。個人的には、そういうのに出会っても軽く流せる体質なので、そこまでダメージは無いのだけど、心の奥底では傷ついているのかもしれない。まあそういう人も居るんだなという気持ちで笑いながら受け流す。そのことをドイツ人の友達に話すと、「ごめんね」と謝ってくれたり、全員がそういう人たちばかりではないことも確か。むしろ、一部の人たちだけだ。

アウシュビッツに行って、ガイドさんの話を聞いている中で一番重要だなと思ったのが、ユダヤ人迫害のきっかけとして、知らないうちに”被害者が加害者になる”という過程が存在していたということ。
最初はユダヤ人が伝染病を持っているという噂話から始まり、それがヘイトに発展。「害虫出ていけ」という言葉になって、それがどんどんエスカレートして最終的には殺虫剤で大量虐殺されたという話を聞いた。

この被害者が知らないうちに加害者になるという状況はいろいろなところに存在しているように思う。特に日本では加害者への風当たりが強い。その事象に関係の無い人達がむやみやたらに加害者を叩きまくる状況を日常的に目にする。
被害者の人たちは基本的には被害者という立場にあるけれども、それがエスカレートしてしまって、結果として、攻撃的で加害者的な側面をそこに見いださざるを得ない状況も多々ある。今回のコロナをきっかけとしたレイシズム的な発言なども、まさにホロコーストの時と同じような状況のように思えた。

でもでも
よくよく考えると、その時の被害者の最初の攻撃的な発言は自分や自分の大切な人を守るためのものだったのではないかとも思ったりする。自分や、自分の家族が知らないところから来た人の影響で病気になってしまったり、死んでしまう可能性があったとしたら、その人達を追い出したい気持ちも分からなくない。
例えば、外国人労働者が増えて、自分の職が失われる可能性があった時、ここは自分の国なのに。という気持ちを根源に攻撃的な発言が出てくるのも当然のように思える。
被害者は自分や自分の大切な人を守るのに必死になって、気がついたらそれが加害者になってしまっていたりする。

いじめにあったことがある
あまり人前で言わないことだけど、いじめにあったことがある。まあけっこう本格的なやつ。もちろん当時は辛かったし、嫌な思いはめちゃくちゃした。けれど、1つだけ通常の?いじめと違うことがあって、それは当時いじめをやっていた主犯格のヤツと今はめちゃくちゃに仲が良いということ。多分、当時仲良くしていた友達よりも仲が良い。
どれくらい仲が良いかと言うと、電話すると毎回5~6時間は話しっぱなし。東京に居たときは定期的に飲みに行くし、毎回朝まで飲む(これはお互いに沖縄出身だからというのもあるかも)。いろいろ議論も交わす。建築の話や、文学の話や政治の話や沖縄の話や、上げるとキリがない。極めつけは、当時のいじめをネタとして相手をイジれるくらいである。まあ、普通の友人以上の関係であることは確かだと思う。

もちろん、すぐにそんなに仲良くなれたわけではない。多くの時間をかけて、今みたいな仲になったと思う。最初はめちゃくちゃぎこちなかったと思うし、どう接していいか分からないところもお互いにあったと思う。


クラクフの美術館で見たドキュメンタリー
クラクフの現代美術館Museum of Contemporary Art in Krakow MOCAKに行った際、とあるアート作品を見た。(英語の映像作品だったので、完全に理解できているか分からないけれど。)映像には子供の時にアウシュビッツに収容されていたた老人が出てくる。老人の手には当時の収容者を識別するための番号がTattooとして記されている。そのTattooは本人の老化とともにぼやけて、辛うじてその番号が認識できる状態である。映像を作ったアーティストの提案は、番号が鮮明になるように当時のTattooを鮮明に入れ直すというもの。その過程がドキュメンタリーとして映像に記録されている。
その過程で老人はいろいろ語り始める。老人にとっても、周りの人にとっても、このTattooは確かに辛い過去の象徴ではあるのだけど、この記号を元にして思い出される記憶が溢れてくる。
例えそこに辛い過去があったとしても、それ以外のささやかな幸せな時間も同時に思い出されてくる。このTattooはその老人にとってかけがえの無いものであるということが画面越しに伝わってくる。


赤いパーカー
今でも覚えているのは、そのいじめていた友達と一緒に時間を過ごすようになって最初の時期、何人かで一緒に服を買いに古着屋さんに行ったこと。
高校くらいの時だった記憶だけど、僕はその時に買った赤いパーカーを今でも着ている。ざっくり10年以上は着ていることになるので、当時の記憶と共にとても身体に近い存在だ。
赤いパーカーはその老人の腕に記された番号と少し似ている。僕の場合は過去の辛い象徴という訳ではないけれど、ここから思い出されてくる記憶はたくさんある。ぎこちなかった、やり取りも含めて、まあいい思い出である。なんか、いじめられていたこと自体が今の仲の良さを作ったのでは?とか思える。
その友達とはそういう過去の話をすることもある。いろいろ話すと、「いじめをしたくてしている訳ではなかった」ということ。彼なりに必死な状況があって、その結果としてそういう事になったということ。
スクールカースト的なシステムは当時もやはり存在していて、その中で生きていくってのはそれなりに大変である。
そして、こういうことを言うとめちゃくちゃお怒りを受けそうだけど、いじめられていた僕にも原因があったということ。多分頑固だったし。今みたいな関係があるからこそ、こういうことを言えるんだけれど、そういう風に思う。


被害者と加害者と第三者
アウシュビッツのような大きい事象に限らず、小さい事象でも被害者と加害者と第3者とがいる。被害者と加害者はまとめて当事者と言える。
例えば、その当事者間の問題が手に負えない状況になったり、ひどい状況に陥った時、第3者が介入したり、事件化して大勢の第3者の目に触れる状況になったりする。
アウシュビッツの例もそうだけど、基本的にメディアを介して見る事件や事象に関して、僕らはその事象とはほとんど全く関係のない第3者であるということを自覚しなければいけないように思う。
その事象を知ることで、学ぶ事は大いにあるのだけれど、基本的に当事者しか分かり得ないことは山ほどある。
美術館で見た映像の中の老人にとってのTattooはそれを物語っているように思える。一見すると、消し去りたい最悪な出来事の象徴だけれど、その中にさえも、当事者にとってかけがえのない記憶が詰まっている。
他の人はどうこう言うかもしれないけれど、僕とその友達の関係においても、僕らにしか分からない部分が膨大にある。


想像力
この力は、人間特有のものだと思う。いま、ここに無い状況や、自分以外のこと(他者)に対して、思考を回すことができる力。
僕はこの想像力をまずは当事者として使いたいと思う。今、自分自身が直接的に関わっている関係に対して。大変な状況になると、なかなか使えないことも多いけれど、できる限り落ち着いて、大変なことは回避しながら、できる限りの想像力を発揮したい。
そして、それから、第3者としても想像力を使いたい。例えばニュースで目にする凶悪事件があった時、どうしてもその事件に直接的に関係する言語的な情報や事実関係だけを見てしまう。けれどもそこに、もう少し想像力を使ってみると、例えば、加害者の気持ちが分かるかもしれない。その加害者の気持は回り回って、将来的に自分自身が体験することになる気持ちかもしれない。


確かに
生きているといろいろ辛い状況がある。余裕が無くなると、想像力を働かせられない状況も多々あるかもしれない。
けれども相手の状況であったり、第3者に対して想像力を働かせて考えてみると違った視点に出会える。自分の状況も客観的に見れるかもしれない。そしてこの想像するという行為は意外と楽しかったりもする。どんなにひどい状況だったとしても、少しずつ想像力を働かせ時間が経過した時にそれが肥やしとなって、後に良い状況ができているかもしれない。


まあいろいろ書いたけど
ひどいことをされると悲しいし、うれしいことをされるとうれしい。

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