加賀谷卓史

音楽家/整体師/詩/在家仏教徒/ 21歳からプロとしてギタリストになり 活動、20代…

加賀谷卓史

音楽家/整体師/詩/在家仏教徒/ 21歳からプロとしてギタリストになり 活動、20代後半から整体師となる。 30代からソロギターで創作 祖父の影響でフィルムカメラや 妙法蓮華経に傾倒し法華経の精神を伝えるべく音や詩 写真に宿す事を信条とし日々 研鑽中 DM等はお気軽に

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オウムの1滴/仏教

こんなお話しがあります。 ある所に一羽のオウムがいました そのオウムが住んでいる森が大火事になり オウムはこの火を 消さなければとくちばしに水をつけ 1滴1滴森に垂らします それを見ていた他の鳥や動物は オウムをバカにして笑っていました。 ですがそれを見ていた帝釈天が その健気で純粋な姿に感動し 大雨を降らしてくれます。 その雨によって森は鎮火したそうです。 これは説明するまでもないとは思うのですが 森とは欲望で燃え盛るこの世界です オウムとはそんな世

    • 発明ではなく発見、謙虚とは何か?

      関節技の鬼こと藤原喜明さんは プロレスの神様と言われる カール・ゴッチさんのもとでプロレスの基礎や 関節技を学ばれたそうです。 ある時 藤原さんは練習中にある関節技を発明したと思い カール・ゴッチさんにその話をした所 こんな事を言われたそうです。 「いいか藤原、パンクラチオンの時代から 何千年と経っているんだ、その中で お前が発明したと言えるのか? 誰もやっていなかったと言えるのか? お前のは発明ではなくて発見に過ぎない。」 と言われ

      • 生きているだけで/写真詩

        食べられる 寝られる 話せる 歩ける 生きているだけで金メダル

        • 母の日の親孝行/写真、仏教

          今日は母の日ですね 母は花が好きなので 私は昨日、紫陽花をプレゼントしました。 皆さんはどう過ごされているでしょうか? 日蓮聖人は生前こんな言葉を残されています。 孝養父母は第一にて候 どういう意味か何となくおわかりかと思いますが 両親に親孝行していく事はどんな事よりも 第一であり大きな功徳がある そんな意味合いです。 人それぞれ親孝行の仕方は様々かと思います。 ですが産んで育ててくれたくれた恩を 少しでも返し両親の幸せを願う これ程有り難く 尊いも

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        オウムの1滴/仏教

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        記事

          春がいっぱい/写真詩

          生まれたばかりの命 見えるものから見えぬ命の喜びが 放射する まさに歓喜だ

          春がいっぱい/写真詩

          触れる/写真詩

          優しい言葉に触れ 優しい音に触れ 優しいものを観て 心穏やかに それだけでいい 慈しみの心は何よりも無上也

          触れる/写真詩

          呼吸が出来る/写真詩

          只々 、此処に座り 呼吸出来る それは 仏様に生かされているということ 私はそれ以上の幸せを知らない

          呼吸が出来る/写真詩

          減らすのは物ではない/写真詩

          いくら物を減らした所で 欲は減らすことは出来ない 減らすのは物ではなく欲を減らす事だ それが満たさない豊かさ幸せではないか これこそ少欲知足也

          減らすのは物ではない/写真詩

          「と」から「の」へ、他人事から自分事になる慈悲の精神/仏教、写真

          読ませてもらった本の中で川端康成さんが 「美しい日本の私」と言われたことについて 書かれてありました。 この日本「の」私という言葉が素晴らしく 日本「と」私ではなく 日本「の」という所が大切なのだと 書いてあります。 何故なら 「と」であるならば「私と誰か」という体外的な 個別した自分から離れた言い方になります。 ですが〇〇「の」私ならば1人1人離れて いるように見えるけども 本来は皆1つであると言う 意味合いになります。 お釈迦様は生きとし生ける

          「と」から「の」へ、他人事から自分事になる慈悲の精神/仏教、写真

          怨みと報いは布施で消える/仏教、写真

          自分にとって都合の良い報いを得る事を 考えている時点で そんな報いは 仏様は与えません。 何故なら相手の為に何かを施したならば それがもう既に私にとって幸福であり それがもう善なる報いなのです。 施しは無条件の慈悲の思いから表れるものです。 相手の幸せを願う 貴方のその心自体が 幸せであり善果が生まれるのです。 人を怨み憎む心というのは自他共に 苦しく辛いものです。 それを消そうと思うと これは中々消えるものではありません。 断食をしたり火の中に入

          怨みと報いは布施で消える/仏教、写真

          何者にも成れず/写真詩

          鳥には鳥にしか出来ない事があり 猫には猫にしか出来ない事があり 花には花にしか出来ない事があり 人間には人間にしか出来ない事があり 鳥は猫に成れず 猫は鳥に成れず 花は鳥に成れず 鳥もまた花には成れず 人間は鳥にも猫にも花にも成れず みんな違っていい 違っていて当然なんだ それが調和なんだ それが平和なんだ

          何者にも成れず/写真詩

          嘘は/写真詩

          自分を守る為に嘘をついても それは守ることにはならない 守るどころか自分も相手も傷つける 口が虚しくなるだろ? だから嘘なんだ

          嘘は/写真詩

          布施をすると人の気持がわかるようになる/仏教、写真

          人の苦しみはその人にしかわからない 理解なんか出来ないと言う方がSNSでも いるかと思います。 確かにそうなんですよね 痛みや苦しみや悲しみは体験しないことには どんな思いかわかりません。 だから半端に共感しようとすると相手を傷つけることもあるのは事実です。 ですがこの一生で受ける苦しみや悲しみは限度があります。 全ての苦しみを味わうことは不可能ですし それをわざわざ自ら味わおうとするのは 偏った苦行のようなものですので誤りです。 仏教の教えに六波羅蜜と

          布施をすると人の気持がわかるようになる/仏教、写真

          思いのこもった手料理には/写真詩

          三星の高級店や 高いお肉やお魚はとても美味しいけれど 思いのこもった手料理には敵わない 何故なら相手のことを 心の底から思って作っているから そんな料理には目に見えぬ力があるの だから元気になれるんだよ

          思いのこもった手料理には/写真詩

          私は悪人/写真詩

          命に大きいも小さいもない どんな命だって尊いんだ 全てにそんな思いを持てたら どれだけ幸せか まだまだ足りない自分の心 足りない、足りない 私は悪人

          私は悪人/写真詩

          欠片/写真詩

          今日一日生きた 今日一日を振り返ったら 辛い事ばかり、悲しいことばかり 苦しい事ばかり でも その中でも一欠片だけとっても嬉しい事があった それを発見出来たらその一日は幸せなんだよ だってその一欠片は大きな尊い宝物だから

          欠片/写真詩