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発明ではなく発見、謙虚とは何か?/仏教、写真

関節技の鬼こと藤原喜明さんは

プロレスの神様と言われる

カール・ゴッチさんのもとでプロレスの基礎や

関節技を学ばれたそうです。


ある時

藤原さんは練習中にある関節技を発明したと思い

カール・ゴッチさんにその話をした所

こんな事を言われたそうです。


「いいか藤原、パンクラチオンの時代から

  何千年と経っているんだ、その中で

  お前が発明したと言えるのか?

  誰もやっていなかったと言えるのか?

  お前のは発明ではなくて発見に過ぎない。」


と言われたそうです。


パンクラチオンとは古代ギリシャの
オリンピックでおこなわれた
総合格闘技の事を言います。


人はすぐオリジナルとか個性とか言って

自分のものだと声高に言いがちです。

そういう気持ちになると人は

自分の力だと過信してしまい

思い上がり 人を見下したり 馬鹿にして

自分自身を見失ってしまうことが
多いかと思います。


カール・ゴッチさんは藤原さんに思い上がらず

謙虚に生きる事の大切さを指導されたのでは

ないかと思います。


また

お釈迦様はこの世の真理を

命を懸けて悟られました。

ですがこれは私のオリジナルだと

独特のものだと仰いません。



「道なき道を歩けば轍が生まれ道が出来るのと

  同じようにこの世に現れた方々が悟られた事と

  同じものを悟ったのだ。」

そんな意味合いの事を仰っています。


「自分」というものがなく何処までも

  謙虚であり無私の状態であります。


謙虚の虚とは自分がという我を虚しくする

という意味です。

即ち 人の幸せを願う慈しみの心を育む姿と

言って良いかと思います。


昨今、SNSでは

自分を主張する為なら人を悲しませ傷つけても

構わないと言う人もいますが

本当に愚かな事です。


一体 何がしたいのか?

そこまでして一体 誰が幸せになるのか?

今一度 考える時が来ていると思います。



謙虚な心を持つ事こそ

人の本来の姿ではないでしょうか。

























 






















































































 








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