見出し画像

Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:母への詩

Gutsヒロです。今日は母の日です。私も日頃の感謝を込めてプレゼントをしました。決して高いものでは無いですが、母が欲しいと言った野菜植えセットをプレゼントしました。早速、母は野菜の苗を植えて、作物ができるのを楽しみにしています。

こちらが、植えた野菜達です

今回のnoteでは、私がいつも通う就労支援センターのプログラムで作った詩を贈りたいと思います。「Gutsヒロのスイーツ・ストーリー」を読んでくれている方は非常に多く、フォローも沢山して頂いています。「Gutsヒロのスイーツ・ストーリー」を濃縮した心を込めて作った詩ですが、実はこの詩は2年前に作った詩です。まだnoteを知らない頃です。
その日の就労支援センターのプログラムでは、「今の想いを絵や詩にしましょう」という課題で私は、絵もかけないし、詩も書けません。お菓子作りは得意ですが、そういうものの能力は皆無なんですね(笑)でも、私の人生を振り返るといつも母の存在がありました。それを紙に書いたものが画像の写真です。プログラムでは最後に発表するのですが、泣きながら聞いてくれた方もいました。その詩を書いて2年経ち、今の私がいます。人生には山あり谷ありの人生だったですが、今では大好きなお菓子作りをさせて頂いております。それはいつも私を支え続けてくれた母の存在が大きかったのが1番だったと思います。感謝を込めて、詩の発表をしたいと思います。

プログラムで書いた実際の詩です。

障害のあるボクから母へ 感謝の言葉

母さん、ありがとう
職場を転々するボクを信じ続けてくれたこと

母さん、ありがとう
就労移行で時給200円でも応援してくれたこと

母さん、ありがとう
29才で学校に行きたいと言ったボクを賛成してくれたこと

母さん、ありがとう
仕事がうまくいかず酒浸りのボクを待ち続けてくれたこと

母さん、ありがとう
家に引きこもっていたボクを何年も待ち続けてくれたこと

母さん、ありがとう
高校卒業したのが20才。それでも喜んでくれたこと

母さん、ありがとう
学校でイジメられていたボクを毎日、元気づけてくれたこと

母さん、ありがとう、本当にありがとう、ありがとう

母さん、ありがとう
暗いボクの人生に灯びを与えてくれたこと

母さん、ありがとう
とりえのないボクを最高のパティシエに育ててくれたこと

母さん、ありがとう
ボクの作るお菓子を信じてお店を建ててくれたこと

母さん、ありがとう
苦しく辛くてそんな日々でも生きる喜びを与えてくれたこと

Gutsヒロ


私の人生を綴った大切な詩です。もし、この詩に興味を持たれた方は「Gutsヒロのスイーツ・ストーリー」を読んでいただければと思います。なぜなら私の人生のキーパーソンである私の母が常に登場します。
「創作大賞2024」の企画がありますので、最後に「Gutsヒロのスイーツ・ストーリー」のあらすじを紹介します。お時間ある時で大丈夫です。ぜひ読んでいただけたら幸いです。

Gutsヒロの紹介した内容です。これからGutsヒロの人生が語られる最初の投稿です。Gutsヒロとはどんな人なのか?どんな人生を歩んだのか?それが少し語られています。

幼少期のお話です。私がパティシエになったきっかけの「クリスマスケーキ」を手作りしたお話です。私の家庭は貧乏でケーキを買うことはできませんでした。ケーキを食べたい私に母が与えたのはスポンジとホイップクリームと缶詰のフルーツでした。私はその材料でお店に売っているようなケーキを作り始めますが、結果的に作れませんでした。しかし、そのケーキはみんなを幸せをするケーキになりました。

幼少期篇その②です。私は小学5年生で不登校になり引きこもりになりました。ひとりぼっちで寂しい毎日を過ごしていた私の楽しみはお菓子作りと料理でした。毎日、お便りをくれたクラスメイトに卒業式の日にお礼としてお菓子のプレゼントする企画をしました。家庭用の小さなオーブンで全てのクラスメイト、先生、37人全員にプレゼントするべく徹夜でお菓子を作ったお話です。

私は29才でお菓子作りを学びたいと思い、調理師専門学校に入学する決意をします。厳しい学校生活の日々の中で、陰で支えてくれた母に卒業制作展で「感謝の花」を咲かせたGutsヒロのおすすめストーリーです。


私は、調理専門学校を主席で卒業し、パティシエとして働くことになりました。成果を出すものの、会社の厳しい扱いで難病の潰瘍性大腸炎を発症し、退職することとになります。その後もお菓子作りをするのですが、職場の環境が悪く私は苦しんでいました。そんな私を見た母が言った言葉が、「あなたの厨房作るわよ」でした。その言葉が実現し、今は自分のお店でお菓子作りをしています。辛いことや苦しいことは嫌ですが、この経験がなかったら今の私はいません。私にとっての試練のお話です。

お店開業するにあたり必要な準備を綴ったストーリーです。現在の私は、この記事通りに進んでいます。努力や経験や知識は裏切りません。でも、開業して1番大きかったのはnoteを始めて皆様と出会えたことだと思います。noteの出会いで私の人生は変わったと言っても過言ではありません。今では、私のお菓子を沢山購入してくれる嬉しい人にも出会えました。


noteを書くとき、母と作ります。あの時のことは何だったのか?あの時は何を思っていたの?実は私の母は、元保育士でした。子供を育てるにあたり、障害を持つ私を育てたのは大変苦労していたと思います。私と母の絆のトークを綴ったストーリーです。


私は20代の時はフランス料理や洋食の仕事をしていました。しかし、その年月が料理人として実る日はありませんでした。いつも雑用の仕事ばかりであと1年も経てば30才。でも頑張ればいつかは!と思った矢先に手術をして先生から「料理の仕事は辞めなさい」でした。目標を見失い、途方に暮れる私はある人から心に響く言葉を言われます。「お兄さん。今、料理辞めたら死ぬほど後悔するぞ。人生一度きりだ。やれるのは今だけだぞ!」私の心臓は大きくドクンと鳴った。私は新たなスタートへ進みだすのです。

仕事を辞めても、過去の栄光がなくなっても、自分自身が決意する勇気があれば立ち直ることができます。落ちこぼれていた私に偶然出会った「スイーツコンテスト」の募集でした。私はコンテストに参加して入賞しました。私はまだまだやれる!今は通過点に過ぎないんだ!と思えた経験を綴ったお話です。

29歳で調理師専門学校に行く決意はあったものの、心境は複雑で、とても不安で怖くて仕方ありませんでした。卒業できない理由ばかりが私の頭を巡ります。何百万円もする入学費を無為にはできない。そんな時に母が言った言葉が「ヒロの将来に可能性があるなら、それが仮に1%の確率でもヒロのやりたいならやるといいよ。無理なら辞めたっていいじゃない」でした。臆病者の私の背中を押したのは母の言葉でした。


私の学校生活で最も影響のあった3人のクラスメイトとのお話です。今月3人のうち1人のクラスメイトがお店を開くことになりました。今でもその友情は本物だと思います。友人であり、ライバルであり、お互いを支えあった日々があったから今の私がいます。その友情を綴ったお話です。

私は、小学生の時に不登校になり、家にいるときはいつもお菓子作りや料理をして楽しんでいました。将来は、「食」を通してお客様を幸せにする仕事をしたい!そう思って最初に就職したところが水商売をするお仕事でした。食の世界は様々な種類があり、形も環境も違うけれど本質的な部分は共通していて私はその幸せを生み出すことのできる価値ある仕事に魅力を抱き料理人になる決意をしました。

私のお店が開業し、初めて自分の商品を出したnoteです。私の人生はたくさんの人の応援のおかげがあったから今があります。その応援の期待に応えるために、愛と幸せを提供するお菓子屋さんを努めるのが私の使命となりました。今では沢山のお客様との交流があり、沢山のことを学ばせていただいています。本当に幸せなことです。私はいつも励まされてばかりなので、お菓子を通して恩返しできればと思います!

20代のフランス料理や洋食の時代は本当に厳しい環境で体も心も壊れてしまいました。しかし、料理人になるためには頑張るしかありませんでした。でも助けてくれる人はいません。そんな私を支えてくれたのが「本」の存在でした。私は沢山の本で料理を学び、仕事に繋げてきました。今では私のお店には大きな本棚があります。全ての本は私にとって大切な本です。持っている本のほとんどは暗記していて、レシピ作りに役立てています。

私のnoteにコメントをくれた「小田々農園」様。そのコメントをきっかけに交流して、出会ったのが「自然農法 土佐文旦」でした。この文旦が本当に美味しく、食べた瞬間にインスピレーションが沸いて、「自然農法 土佐文旦」の全てを使って作った商品を紹介したnoteです。noteで「小田々農園」様と運命的な出会いをして、Gutsヒロの傑作の商品が生まれた素晴らしいnote です。

「#仕事のコツ」のテーマに綴ったnoteです。幸せに仕事をするためにはどのようなことが大切か。Gutsヒロは常にどうしたら幸せに仕事ができるか葛藤して参りました。そして、たどり着いたのが「コミュニケーション」です。そして「感じる」ことです。自分を表現し、相手を知ることの大切さを綴ったnoteです。

私は令和5年9月に腰の捻挫をしました。そして、令和6年3月に改めて同じ場所の腰を痛めました。頑張りたい時、頑張らないといけない時に、思い切って諦める勇気の大切さを知ったnoteです。実際に休んでいる間は本当に何もできませんでしたが、「みんな」が私の復帰を待ってくれたのです。本当に嬉しかったです。感謝を込めて商品を紹介したnoteです。


ネット販売でお客様との交流も増えた頃、叔母から「うちのお祭りでお菓子の出店していいよ!」と言われました。そうです、初のオープンです!お客様と実際に交流して一生懸命に作ったお菓子を販売する楽しさは嬉しいものでした。Gutsヒロのお菓子人生で新たな一歩を踏み出したnoteです。




ここまで読んでいただきありがとうございました!
Gutsヒロのスイーツ・ストーリーはこれからも続きます。どうぞGutsヒロを今後も宜しくお願いいたします!

そして、インスタグラムのストーリーズで「障害のあるボクから母へ 感謝の言葉」を動画で流します。こちらもぜひ宜しくお願い致します。

Gutsヒロのインスタグラム



この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

最後まで読んで頂きましてありがとうございました!とても嬉しいです♪ これから更新して頑張って参りたいと思いますので今後とも宜しくお願い致します!