当たり前に生きて行きたい。
懐かしの「ニューヨーク恋物語」主題歌です。桜田淳子と真田広之が個人的によかった。
朝ドラ「カムカムエブリバディ」の神回がYouTubeから消えてしまったので。
ひと休み。
あしたの夕方に とても大事にしてくれた人がいなくなって つめたい夜が来るから 豆乳鍋をひとりでつつきながらわたしは 初めて、自分が本当は何をしたいのか考え始める 冬の雨が襲ってきて 濡れたシャツやタオルケットをあわてて浴室に取り入れていて たぶんもっとあかるく普通になりたいと言うのは はんぶん本当ではんぶん嘘 母とおとうとを 泣きながら挽き肉機にかける夢をみながら わたしはハグミーハグミーと叫んでいる まだ見ぬこいびとだかしんゆうだかマリアさまだか それとも無表情な父親に 黙
みんな幸せになりたくて生きている。
昨日、先生に言われたこと。 「詩で他人を傷つけてはいけない」 シデヒトヲキズツケテハイケナイ シデヒトヲキズツケテハイケナイ その言葉は私を何だか不意に打ちのめした 帰り道にいろんな人の姿を見て 若い手を繋いだカップルや 自転車に乗った小母さんや くたびれたベレー帽を被ったお爺さんや たぶん皆が皆 それぞれの思いを抱えて くすくすと笑ったり ビルの影でしのび泣いたりしているのだと思うと 黄葉し始めた木々の葉っぱの匂いや、 道端の定食屋の油の匂いや、 選挙のポスターの糊
私を痛めつける人たちから離れよう。
平凡に、今いる場所で深呼吸しながら、道端の花を見つめながら生きてゆきたい。
自分の生活習慣が、きちんと確立してくることは、まだ小さな樹であっても、根がしっかりと大地へ這ってゆくことにとてもよく似ている。
今年の母の日は、これまでは青や黄緑色のカーネーションばかり活けていたのに、どういう訳か普通に赤やピンク色のカーネーションも花瓶に挿していた。いろんな色をたくさん無造作に活けた。何故、平気になったのかはよくわからない。
早朝少し散歩する。夜8時にお風呂に入る。おやつは控えめにする。そしてやさしいヨガに通うこと。
毎日毎日、特に変わり映えのしない小さな努力を、自分の心と体のためにたんたんと続けてゆこう。
あなたは私の愛を映画館で囓るポップコーンのように放り出して「もうキミは要らないよ」と呟いた。私がコーラをあなたの背中にぶちまけるとみるみる内に褐色の染みが広がった。あなたは黙ってスーツを脱いで「クリーニング店へ行ってくれないか?でなければ別れる」と言った。私は空になったコーラの瓶であなたの後頭部を強かに殴った。あなたは床に倒れて動かない。 私は119番をコールしようとしたけれども、何故だか電話機のプッシュボタンからは1と9がなくなっていた。あなたは昏倒したまま動かない。ドア
カウンセリングを受け始めて、私は元気が出てきた。我が家は9060問題の典型例だった。それは、両親にも問題があったし、私にも責任があった。もっと言えば、一種の社会問題の先駆けだった。
毒家族から離れ始めたら、幸福な景色が見えてきた。