公の場で自分の名前を間違われると、怒りを感じる人は少なくないだろう。「名前=私」。だから間違われると、腹が立つ。でもここで、「それは本当?」と問いかけてみよう。否。この世に生まれた瞬間は名前などなかった。少なくとも認識していなかった。その原点に立ち戻れば、名前は服。私ではない。
自分の中の『手放したい思い』を見つけた。 多分それは承認欲求に近いもの。 思えば悩む時には、子供の頃からその4文字が絡まっている事が多いように思う。 もういいよ。誰かを気にし過ぎなくとも、 私は私。誰かは誰か。 思い煩うことなく、楽しく生きるのだ。
おはようございます☀ 五月晴れの愛知です♪ こんな日は通勤も気持ちが良いです😙 年末から少し悩んでいた問題も思い切って、手放してみました。 とても清々しい朝となりまして、もっと早く行動すべきだったなぁと‥