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みんなでやる音楽、ひとりで描く絵。音楽の人たちとの断片。

冒頭から全然関係ないっすけどリボンにヒコクミン(非国民)って刺繍しました。特に意味はないんだけどマジョリティに嫌な圧をかけられてる時の自分の気持ちです。

たまに書いてますが最近カウンセリングで過去をえぐられているので今まで考えないようにしていたことを考えてしまい、忘れていた方が楽なこともあるなぁと思った。

わたしは家族や学校以外で年上の人たちと関わってそこそこチャンスを得て、才能を伸ばす努力をすることもできて幸せな方だったと思う。家族に虐待されて外にも出られなくて病んでる人はたくさんいるし、才能を伸ばすための努力さえできない人もたくさんいる。わたしも一歩間違えたらもっと病んでいただろうし、道を踏み外して犯罪を犯していたかもしれない。関わってくれた人たち圧倒的しぇいしぇいって感じ。でもわたしに構ってくれた人たちもドライな人間が多かったので若い時のわたしはとても満たされなかった。いや、贅沢言ってんのはわかるんだ。自分は他人の優しさを受け止められる人間じゃないのも自覚している。
昔わたしは自分のことを話せる人がいなかった。家でされてる扱いについてもうまく人に言えなかった。ていうかそこそこ仲良くしてくれる人たちにも何も言えなかった。集まってもほとんど黙っていた。今思うとバンドやっててほぼ毎週とか集まるのにほとんど口をきかないやつって何なんだw でも言葉を発することが難しかった。だから昔の友人たちもわたしのことを知らないと思う。わたしの置かれていた状況も、わたしが何を考えているのかも。
人間関係って、だいたいどこも入り組んでてお気楽なもんじゃないし、なんでも話せばいいってもんじゃないのもわかる。でも昔のわたしは誰にも何も打ち明けられないことを苦しいと思っていた。どうでもいいことばかり話していた。明るく振る舞えないのに無茶をして、ゲロを吐いたり怪我をしたりもした。ゲロについては人と会う前に緊張して吐いたり、飲み過ぎて吐いたりいろいろ。
今昔のわたしに声をかけるならなんだろうな。「無理して周りに合わせなくていい、穏やかに過ごせる場所を探せ」とかかな。「みんなでやることよりひとりでできることをやれ」かな。わかんないな。とにかくそこから逃げればいいとも言えない。音楽関係のコミュニティで社会勉強させてもらったようなものだからだ。本当にみんな優しかった。特に会うたび気にかけてくれるお姉さんたちはありがたかった。わたしみたいなわけわからんもんを気にかけてくれる人って本当に天使かなと思う。なんか思い出すと泣けてくるな。特にHさんという人は、たまーーーに会うくらいの感じだったのにわたしが九州某所に引っ越す前にサシで会ってくれた。なんかこんなことって字の通り有難い、マジで普通ならほぼないことなんだよな。
なんかずっと寂しくて、何をやってもダサくて、みんなのために努力しても気づかれなくて、離れてよかったとさえ思う。思い出すことのほとんどが優しくて悲しい。

まぁでも家族からも地元からも友人たちからも、離れてよかったと思う。わたしの自閉傾向を考えるとひとりで活動する方が向いてると思う。わたしはわたしのためだけに生きられてうれしい。絵を描けてうれしい。みんなでやってた音楽も好きだけどね。

生きていたいし絵を描きたいし文章書きたいしごはん食べたいと思う。