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2種類の「お守り」について

「毎日note」の悪いところは、書きたい事などなにも無いのに、書くためだけに書く、という不毛なことをさせるところだろう。
手段の目的化とは、しばしば戒められる目標管理の罠であるが、理念を見失うとその罠に嵌まる。(例えば、オリンピックは手段なのか目的なのか。)

形から入る、ということを私は否定したくないと思っているが、日本及びアジアは、本来「形から入る」ことに寛容な文化圏ではないかと思う。
しかしながら昨今は、理念や主義、自己の信念を振りかざして、「形から入る」という形式主義を目の敵にする者が増えてはいまいか。不安な時代に納得性を強く求める気持ちはわかるが、「形」に安全を求めようとする人を攻撃することは不毛であろう。(そもそも、他を攻撃しないと自己を守れないと信じる者は、多くの場合何かにマインドコントロールされているのではいか。)

冷静な自分を担保する「お守り」になり得るものを、しっかりと持つようにしたいものである。「お守り」には2種類あることが考えられる。一つは純粋に、スピリチュアルなもの。もう一つは、要注意人物のマッピングシートや「言質」を確実に記録する記録シートなど、目に見える武器と防具を「お守り」に見立てることが考えられるのではないかと思う。

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