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読書メモ②センスは知識から始まる

センスの定義

センスとは、特別な人に備わった才能ではない。数値化できない事象のよしあしを判断し最適化する能力であり、誰もが等しく持っている。数値化できない事象には、ありとあらゆるものがある。それを最適化するとなれば、多角的・多面的にものごとを測った上で普通を見つけ出し、設定する能力が必要である。普通を知るということは、ありとあらゆるものを作り出せる可能性がたくさんあるということ。

「センスのよさ」がスキルとして求められている時代

産業革命による工業化で、安価で粗悪な大量生産品が広く出回った。そこでウイリアム・モリスによるアーツアンドクラフツ運動が起きた。技術がピークを迎え停滞したとき、人々の意識が変わる。ノスタルジックな思いに身を寄せ、美しいものを求めるようになる。これは、センスの時代への変換ともいえる。技術とセンス、機能と装飾、未来と過去。対になっている時代の間を皆が行ったり来たりしている。市場は既にセンスの方向に動き始めている。

日本企業は、市場調査を中心としたマーケティング依存により弱体化している。市場調査には、悪目立ちするものに目が行きがちであるということ、新しい可能性を潰してしまいがちであるということの2つの落とし穴がある。また、調査だけに頼っていると、自分の頭で考えなくなると同時に責任の所在が曖昧になる。

商品というアウトプットは「もの」であり、視覚に大きく左右される。どんなにいい仕事をしていても、どんなに便利なものを生み出していたとしても見え方のコントロールができていなければ、その商品は全く人の心に響かない。本当に簡単なことを重要だと認識し、日々実践していくこと。その繰り返しを続けること。

センスとは知識から始まる

センスとは知識の集積であり、全ての仕事において「知らない」は不利。過去に存在していたあらゆるものを知識として蓄えておくことが、新たに売れるものを生み出すには必要不可欠である。アウトプットの前段階においては、知識に基づいた方向性の決定が大切。

イノベーションは知識と知識の掛け合わせ。新しいものに接したとき、過去のものや過去の知識に照らし合わせて考えるのが自然である。みんなが「へぇー」と思うものは、ある程度知っているものの延長線上にありながら、画期的に異なっているもの。つまり「ありそうでなかったもの」である。従来の考え方を遠ざけ独創性ばかりにこだわりすぎると、独りよがりのクリエイティブになってしまう。ものをつくる人間は、新しさを追い求めながらも過去へのリスペクトを忘れないことが大切。

センスの最大の敵は思い込みであり、主観性。思い込みを捨て、客観情報を集める。センスは決して生まれつきではなく、研鑽によって誰でも手にできる能力である。

センスで仕事を最適化する

流行っている=センスがいい、ではない。場合によっては賞味期限のあるセンスもある。

効率良く知識を増やす三段階のアプローチ

王道から解いていく 王道は定番、1番、ロングセラーと言い換えることもでき、その製品らしいシズルが必ず含まれている。王道を知ることで、そのジャンルの製品を最適化する際の指標ができる。

②今、流行しているものを知る 王道の真逆である一過性のもの。両方を知ることで知識の幅を一気に広げられる。

共通項や一定のルールがないかを考える 分析や解釈による知識を精製するプロセス。

人の間隔はとても繊細で敏感なもの。だからこそ求められる精度の高いアウトプット。差別化という言葉は本来、「ほんの少しの差」を指す。デザインは細部に宿る、ブランドは細部に宿る。新しいものをつくるというより、すでにあったものを少し飾ってあげる。

感覚とは知識の集合体。美しいと感じた体験の集積が、自分の中の「普通」という定規になる。

センスを磨き、仕事力を向上させる

現代社会においてセンスはマナーである。知識とは不思議なもので、集めれば集めるほど、良い情報が速く集まるようになる。

客観情報と対極にある「好き嫌い」で物を見るのは禁物。

センスを磨く上で、思い込みは敵である。自分という人間の枠組みを決めているのは自分自身であり、自分というものをつくっている要素は周りの環境である。周りの環境を変えてみると、センスの多様性が育まれる。まずは、いつもと違うことをするなど、日常の工夫で思い込みの枠を外す。日常から離れる非日常はである。旅という学びは、感じる力を育てる素晴らしいもの。

知識の集積に懸命になりすぎると、人は時として自由な発想を失う。センスを磨くには知識が必要であるが、知識を吸収し自分のものとしていくには感受性好奇心が必要。


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