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錯乱

16世紀のプレミア・チケットが手に入り、Kは大学都市へ向かう。広場は観衆でひしめきあっている。三日目のフィナーレに突入したようで、異様な興奮に包まれている。とりわけ刑場の周囲は、見物場所の確保に忙しい人だかりだ。前日の、メアリー・スチュアートの公開処刑が、よほど盛りあがったらしい。牛をひく田舎者も、売春宿の女将も、人々はいまだ余韻に浸っている。「あれこそ女王として完璧な最期だな」「あんなに綺麗な死装束、あたしゃ観たことないね」。断頭台へ歩を進めた女王メアリーのドレスは、黒褐色のビロード。テンの毛皮をあしらい、漆黒の絹のマントを上から羽織っていたという……。今際に黒ずくめの衣装をはらりと脱げば、内には真っ赤な下着が壮麗に観衆の目を射抜き……。

「さあ、今日は誰だ?」
「早く出せ! 囚人の顔を拝ませろ!」

やんやの喚声が引きも切らない。人混みを掻き分け、Kは待ち合わせた刑場の裏でようやく母を呼びとめる。

「ああ、おまえかい。よかったよ、会えないかと思ったよ」
「すごい人だね。あれっ、父さんは?」
「それが、どこへ行っちまったんだか。ちょいと用を足してるうちに、はぐれちまってさ」

しばらく待ってはみるが、あまりの鮨詰状態に身の危険さえ感じる。先に劇場へ行こう、とKは提案する。「入場券は渡してあるんだろ? せっかくの解剖ショーを見逃したら台無しだよ」「そうだ、そうだ」。刑場に続く劇場小屋も、すでに熱狂の渦。かがり火は揺れ、手書きポスターはほとんど外科医の狂信的ファンに剥がされている。「ホント、いい男じゃないか」と母でさえ見とれる。「まだ20代だってさ。今度、新しく大学に赴任してきたんだって」。前列を埋める若い女たちに加え、羽根飾りつきの帽子を被った貴婦人たちが、街の有力者と桟敷席を陣取っている。

Kたち二人は、ようよう指定席まで辿り着く。「そこ、ひとつ空いてんじゃねえか?」「いいえ、あとから来ます」。

メインの死体が届くまで、まずは前座の理髪師が仔猫の解剖を始める。きらりと光るメスを操って、瞬く間の執刀ぶりだ。血がだらりと流れる。満場の喝采を浴び、次に登場するのは屠殺屋。ホルマリンに漬けられた幼児の肢体を、華麗な手さばきで肉塊に切り刻む。そのアクロバティックな腕前は、続く外科医の華やかさを否が応にも約束するのだ。外から聞こえる一段と大きなどよめき。ギロチンが下ろされたにちがいない。

「さあ、いよいよ外科医だ」と母は言う。

「父さん、遅いね…… 」Kはなにやら胸騒ぎを覚える。

刑場から運び込まれる、首のない死体。死にたてのほやほやだ。白布で覆われたまま、手際よく台座に乗せられる。首のない頭部が、止まらない血で滲んでいる。徐々に高まる興奮は、満場一致の手拍子となり、外科医の登壇を急かす。黄色い悲鳴とともに、おもむろに外科医が舞台に上がる。「なんか嫌な予感がするんだよな」とK。外科医の容姿に釘付けの母は「おまえもかい? 実はあたしも同じことを考えてたんだよ……」。

思わず、二人は顔を見合わせるのだ。固唾を呑み、勢いよく台座の白布がめくられて、母子のとめどない悪夢はまだ始まったばかりだ。



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