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第2章① 育った環境に意外な影響を受ける事もある

ひょんなことから逆ナンをした私。その男性グループにいた、17歳年下のヒロと付き合う事になってから、2年半が経過していた。



自分の家族にヒロの存在を言い出せない私。



それでもヒロは、家族に秘密でもいい、結婚できなくてもいい。その代わり毎日一緒にいたいと言っていた。



その願いを叶えるべく、飲食店を開業した。


最初こそ上手く行かなかったが、お店も軌道にのり始めた頃、私たちの関係はギクシャクしていた。


機能不全家族に育つ


もしかしたら…多くの人は「なんで娘たちに、彼氏がいる事を言えないのだろう?」女の子だし、理解してくれるんじゃない?



と、思う人も多いと思う。



実際、身近で私とヒロの関係を知っている、数少ない人たちも「言っても問題ないよ~もう大人だし」と言っている。



でも、私にはどうしても言い出せない理由があるのだ。



私は1968年に生まれた。両親の長女として、初めての子供として生を受けた。私を筆頭に弟、妹と3人兄弟。



ごくごく一般的な家庭のように見える。



でも、我が家は完全に機能不全家族だった。



母は九州の人で、私たち家族が住んでいる都心には、親戚も友達もいない。だからこそなのか?私は物心ついた頃から、母の姉のように扱われていた。



更に母は、私に何かして欲しい時にだけ、猫なで声で優しくするが、普段は悲劇のヒロインぶり、父の悪口を私に吐き出し、いつもメソメソしていた。



そして、何かにつけて「あゆはお姉ちゃんなんだから、ちゃんとして!」と、私にキツく当たる。



思えば私は、母に何かを褒められた事が一度もない。



お手伝いを頑張っても、母に喜んで欲しくてお料理をしても、一度も褒められた事がないのだ。



でも、その寂しく虚しい気持ちは父に向かった。全ては、父が母に優しくないせいだと思っていた。



父は厳しい人だった。厳しいというより「俺様」だった。頑固で傲慢で女はこうあるべき!と、女を足蹴にするような人だった。



気に入らない事があると、モノを投げるし手を上げる。



気の弱い性格だからなのか、酔って気が大きくなり、少しでも思い通りに行かないと、食事が乗っているテーブルをひっくり返す。



家の中は大惨事だ。



しまいには、母を殴る。最低の男だった。



私は下の兄弟達を守る為、母を守る為にも、父と離婚をして欲しいと、母に何度も頼んだ。



でも、母の答えはいつも同じ



「あんた達の為に我慢してるのよ」



この言葉が一番きつかった。私たちの為に離婚して欲しかった。そう言ってお願いした事もあった。でも母は…



「大人の事に口を出さないで!お父さんは私がいないとダメなのよ!」



違う・・・父は母の事なんて必要ではなかった。父は誰の事も必要としていなかった。


父は世間体で結婚しているんだ。少なくとも、私の目にはそう映っていた。


大人になって分かった事だが、母は「共依存症」だった。



誰かに依存する事で「ありがとう」と言って貰いたい。自己肯定感が欲しい。私たちや父の為に別れないのではなく、結局、自分の為に父に依存し別れなかったのだ。



それでも、私は母が大好きだった。父が嫌いな分、母に愛して欲しいと常に思っていた。


母への嫌悪感と私の決意


中学生くらいまで、父の存在が怖かったし、母の言動が私の心をいちいち揺り動かしていた。



高校生になってからは、私自身の世界も広がり、バイト先で様々な大人の人と関ると、中には私の事を褒めてくれる人にも出会えた。



あゆちゃんシッカリしてるね~と言われると、自分に自信が持てるようになっていた。



そんな頃から、母の様子が今までと変わってきた。



父のお弁当よりも、明らかに豪華なお弁当を作るようになった。特に何も聞かずにやり過ごしていると。



母から突然、告白された。



お父さんに言っちゃダメよ。お母さんね~○○で知り合った人と仲良くしてるの~時々一緒に出掛けたりしているんだ~


え?


私は内心「何言ってるの?」と思ったが、幼いころから母の姉役だった為、平静を装い、「ふ~ん」とだけ言葉にした。



母はその後もその男について、私にペラペラと語ってきたが、ほとんど聞いてなかった。



母の不倫はこの時だけではなかった。



違う男、違う男の話をいつも聞かされた。その中でも若い男の話が一番嫌だった。その男はデートに生まれたばかりの我が子を連れてきて、母に抱かせたらしい。



母は私にこう言った


なんか、私になついちゃって、お家に帰って奥さんが抱っこしたら泣いちゃったんだって~(笑)


私はこの時、怒りが爆発しそうだったが、必死にこらえた。父に虐げられて生きてきて、私まで母に辛く当たるのが可愛そうに思えたからだ。



我慢してやり過ごしたのも束の間・・・



5歳年下の私の妹(当時小学生)が、私に言いにくそうに話しかけてきた。


お姉ちゃん、お母さんの恋人っていう人に会ったことある?私ねこの前会ったんだ・・・すごく嫌だった。お父さんが可愛そう。


私は、この時ばかりは母が許せなかった。頭がおかしいんじゃないか?とさえ思った。怒りを通り越して、呆れていたかもしれない。


そして、私は決意した。


私は、この先結婚しても、嫌な事があれば絶対離婚する。子供のせいにはしない、不倫はしない、自分の子供に現在進行形の恋愛話を、絶対にしない!絶対に!母親の恋愛話が、どんなに子供を傷つけるのか、お前に分かるか!クソばばあ!!


言葉に出来ない怒りと悲しみを、心に秘めて私は大人になったのだ。



この時誓ったように、大して嫌な事もないのに簡単に「離婚」した。もしかしたら離婚するために結婚したのでは?と思うほど、相手は良い人ばかりだった。


結局、私は母に思い知らせたかったのだ。


なんでも人のせいにして、人生悲観しているバカ女は、お前だけだ。と


今思えば、自分の人生を使って、母に何かしたところで、母は変わらないし父も変わらない。他者を変えることなんて出来ないなら、関わらないのが一番。


こんな簡単な事に気付くまでに、私は相当時間と心を使ってしまったのだ。


でも、感謝している


若いころは、親への恨みもあった。


でも、今は完全に許しているし、何とも思っていない。じーじになって、孫大好きの父の事も好きだ。



考えてみれば…



父は戦時中の昭和18年、母は戦後すぐの昭和21年に生まれた。



私が育った時代よりも、もっと厳しく、軍隊のような教育を受けていたと思う。女は黙ってついて来い!という時代、それが当たり前に育ったのだ。




親だって完璧じゃない。若くして私を生んで苦労も多かったのだと思う。今はとても感謝している。



くそばばあって思ってゴメンね(笑)



余談だが、今でも、父と母は毎日喧嘩している(笑)


理由は「お父さんがが浮気している!52年も連れ添って裏切りだ!」と、でもこれは母の勘違い(笑)



散々自分が浮気をしていたから、些細な事が異常に気になるのか…それは謎だけど、父は無実を毎日責められ、ちょっと気の毒(笑)



まあ、夫婦の事に口を出しても仕方ないのでそっといているが、両親を見ていると、本当に結婚って修行なのだと感じてしまう。


私も母の様に思われるかもしれない。という恐怖


こんな経験を経て私は大人になったので、中々自分の事を娘たちに話せない。話たいと思ってはいるけれど、私の事をどう思われるのかが怖い。



たとえ、彼と結婚する事になっても、両親には話す事はない。秘密にし続けるつもりだ。



でも、娘たちには、いずれ言おうと思っている。



今までもそうだったけど、
ずっと秘密にしているのは辛い。



でも、だからと言って私の重荷を下ろすために、娘たちを傷つけても良いのか?



それとも、そんな事は私の思い込みで、もう母親の恋愛で傷つく年齢ではないのか?



自分自身、母親の恋愛話を聞かされた事で「くそばばあ」と、恨んだ経験がどうしても、娘たちに告白することを引き留めるのだ。



冷静に考えれば、親子だからといって一生一緒に過ごすわけではないし、もし娘たちに、嫌われてしまったとしても、私にはヒロがいる。



嫌われたっていいじゃないか!



頭ではわかっているけど…やっぱり怖い(笑)



そんな私のことや、娘たちに秘密にしている理由も、ヒロは知っている。



だからこそ私に強制はしない。でも、きっと…みんなに隠していなければ…お店を手放すこともなかったかもしれない。



つづく

無名の私の文章に興味を持ってくれてありがとうございます!今後の活動のための勉強代にさせて頂きます!私の文章が、誰かの人生のスパイスになれば嬉しいです。ありがとうございます!