好きの賞味期限は3年だと知って

好きの賞味期限は3年だと知って、自分を整理するために書いてみようと思う。

私はうつ病になっていた(今もだけど)(まだちょっと軽くなった)
その時の私は授業中なにもしてないのに勝手に涙が出たり、どんどん頭にもやがかかったり、動けなくなっていったり、そりゃもううつ病チェッカーのどのサイトでも全部あてはまるみたいな典型的なやつ。

正直、毎日死ぬことしか考えられなかったし、自分が生きている意味がわからなかった。(今もわかってないけど)
今でも死にたいなと不意に思うことが多々ある。でも前より重くない。

なぜなら平野紫耀くんがアイドルでいてくれたから。

高校三年生になり大学受験が時が刻一刻とセンター試験が近づいていく、焦燥感。勉強しても点数の上がらない模試。

その時には歯車はもう狂っていた。

母は機嫌の起伏が激しく、常に気を張らねばならないこと。
母は人と物に当たるタイプで毎日、ふすまを勢いよく閉めて自分が怒っていることをアピールする。常套句は「誰が育ててやったと思っている。」と思えば「○○はかわいいね~!」基本的には面白い母だが、何せ感情の起伏がゲリラ豪雨。傘をさすタイミングがわからない。
父の悪口を常に暇さえあれば伝えてくる母。そして、たまに、あんたは「とーちゃんと似てるからね。」と本人は気にさず言っている様だったが私には包丁で刺される位の勢いがあった、母からの言葉の暴力。

そして、父からの誘導尋問のような、進路相談。話す度になにもしていないのに勝手に涙が出てきてしまい、逃げていると言われ続けた。ちゃんと将来を考えているのか?と今一番自分が悩んでいることを尋問してくる父。話をしても通じない父。

そして、私はしっかりとしたうつになる前、成績がそこまで悪くなかった。田舎県の女子高生、最寄りの田舎の国公立には受かるだろうという甘い考え。両親からのプレッシャー。そして下に二人がいるということで国公立という条件は外せなかったので受験した。でも調子を崩した私が受験したところで結果は目に見えてわかる。

妹がキスマイにハマった。芋づる式に母と私もハマった(宮玉ありがとう)来月の雑誌が宮玉の対談だと知り、本を買いに行った。これが、平野紫耀くんと私の出会い。

第一印象はかっこいいだった。こんなにMr.KINGかっこいいのにデビューしてないの!?!?という驚きと共に。(デビューに立ち会えたのは本当に私の人生にとって幸せだよ!)

これはのちのち知ることになるが、私が好きになった時期、彼は事務所を辞めようと考えていたらしい。そのなんともいえない目の奥の寂しさ、いつか泡となって消えてしまうんじゃないか、みたいな所に無意識に惹かれたんだと思う。私の目には安い比喩をすると透けて見えた。あまりにも儚くそして、美しかった。

田舎県のため私立の四大がない、近くの県の看護学部のある私立の四大があるところに出向いたのだった。

母がいない生活は楽で料理だって適当なもの食べて、自分のタイミングで洗濯できるし、スマホだって構い放題。ご機嫌伺いもなくなった!(実家の時は親の見えるところで使用し、スマホのパスコードを教えなければいなけなかった)(プライバシーとは)

でも、父からの誘導尋問で決めた看護学部で更にメンタルがダメになってしまった。
人からの差別には慣れてたけど同級生からこき使われるのは普通に苦痛!しかも実習!寝る時間三時間!次の日には動きまわる!無理!しかもモヤモヤがかかってる脳で勉強できるはずもない!!!シャーペン持って手が動かなくて泣く!!!!テスト期間には縄跳びを買って毎回首に巻いて吊ろうと頑張ってた!無理だった!!!!!飛び降りするほどの高い建物もない!!!!誰も車で引いてくれなかった!!!!!!(期待すんな)
「3年の後期からバイトに入れなくなって稼げなくなる(実習と国試で忙しくなる)からバイトで今のうちにお金稼いどけよ。」の父の言葉で、バイトをハイパーMAXで入れて、勉強して、頑張って頑張って頑張っていた、HP0の私は、言葉の意味を噛み砕くにも時間がかかって、意味が分かった頃には泣いていた。

そこも紫耀くん、君のおかげで何も考えなくていい時間をつくり出せてたんだ。自分をどんどん嫌いになっていくけど、紫耀くんを見てる時間はその事だけ考えてられた。努力している姿がかっこよくて、バブちゃんで意外とわがままで母性本能くすぐられるし、でも紳士で優しいし、筋肉はすごいけど中身は繊細で危うくて、顔は何度見ても何回見てもかっこいいし、正直全部好きだから上げればあげるほどきりがない。そして、そんな紫耀くんのCMや映画などのお仕事が決まる度に嬉しくって嬉しくって。また新たな顔の紫耀くんが見れるんだと思うと嬉しくて。

でも、自分がうまくいっていないから時に見れないこともあった。テレビ消してスマホの待ち受け全部初期設定にして、見えないようにして。皆から応援されてる紫耀くんが羨ましくて、どんなことも頑張ってて、才能の塊で、かっこよくて、輝いていて、嫉妬してしまう時もあった。(失礼の極み)(アイドルって頑張ってる姿を表に出さない、人には見せない、こともよくわかってるけど!けど!)

そして、限界突破して、何もできなくなった
私は休学することになった。
父は看護に通い続けろ、母は表向きは好きなようにしたら、だったけど金がないから学校やめろというメッセージがひしひしと伝わってきた。(これは今もネチネチ言われるけと)
でも、私は休むことにした。もうなにも、分からなかったから。

その時にはもう人とコミュニケーションがとれなくて、ずっと眠気がすごくて、寝ることしか出来なくて、何も出来なくて、ツイッターで話しかけられるのも怖くて(ごめんなさい)それはもうメルカリもできないくらい(表現)

そこでキンプリちゃんのファーストコンサートの当落だった。

このキンプリコンサート前にキスマイコンに妹の友達代打で行ったのだか、コンサートへ行くことへの罪悪感で急に涙がでたり、どんどん体が動かなくなるし、電車でパニック障害、不安な要素これでもかというほど盛りだくさん!

応募の時は好きだし、ファンクラブ入ってるしキンプリ好きなお友達いないから一人で応募~~~~ッと思い、応募しておいたのだが、いかんせん体調は悪くなる一方。そしてキスマイコンで致命的なまでに外出が厳しくなっていることがわかってしまった。
正直当たらない方がいいなと思った。当たっちゃダメだって。

当たるんだよな~~~~!!こういう時!!!

当たるな!当たるな!と思いながら当落を見た、本当に失礼な話である。

入金、本当に迷った。でも、やっぱりキンプリちゃんがキラキラ輝く姿が見たくて。本物を見てみたくて。
一人で夜行バスとか、電車、バスとか乗る不安がものすごかったけど、やっぱり見たかった。

いろいろな障害を乗り越えてなんとか、なんとか、キンプリのコンサートに行った。

スタンド席だったけど、でもバクステ側で近くて全てが正面から見えてどう考えても最高の席だった。しかも暖かい会場で最後、何回もアンコールが響いた素敵な公演だった。

身震いがした。
これのために生きなきゃいけないんだ、と思った。(生きたくはないのがモロバレ)

言葉にできないってこういうことをいうんだなと思った。

ここから、後期から、学校に通いはじめて、病院にも通いはじめた。(病院は親に頼んだがあんた元気だから行かなくていいじゃんと言われ行ってなかった。)

今、学部を変えて、少し余裕が生まれた。学校に通う年数は一年延びたけど。

9月で賞味期限の3年になるけどまだまだ賞味期限はきれそうにないよ。まだまだ賞味期限がきそうにもないよ。応援させてね!大好きだよ!

最近発売された、ジャニーズ辞めようと思ってた時期の紫耀くんのういらぶ。のメイキング見たら泣いちゃったよ、あの寂しさを感じさせる目、行動、これで最後だ。みたいな雰囲気で懐かしくて。
今の紫耀くんはイキイキしてて寂しさなんて感じさせないよね、最後じゃなくてこれからだみたいなキラキラした目をしてて。これからの紫耀くんの活躍を見るの楽しみだよ、オタクにも遠くからだけど応援させてね。それが、幸せだから。

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