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Zyagaimoの不安日記。5日目

こんばんは、Zyagaimoです。

もうすっかり、年末ですね。

今日の関東は、少し暖かかったです。

絶対悪はあるのか?

SNSの海を漂っていると、たまに争っている人々を見かけます。

大抵の場合、物事の善悪を話し合っているように感じます。

ニュースがツイートされたら、その善悪を発信したり、

賛否が分かれる内容のツイートに対して、自分の意見を述べているようです。

基本的にこの話し合いは、決着がつかないみたいです。

まだ私は、話し合いの中でお互いの同意が生まれ、解決に至った例を見たことがありません。

私は、それは絶対悪がないからだ、と思います。

善や悪を、「ある特定の個人にとって、ためになること/ならないこと」であると私は考えます。

「良いこと/悪いこと」という解釈では、あまりに抽象的すぎると感じたからです。

この定義に乗っ取ると、絶対悪とは「誰にとってもためにならないこと」であると考えられます。

でも誰にとってもためにならないのなら、何故人は悪事を働くのでしょうか?

自分にとってもためにならないのならば、”悪事”をやってみよう、なんて気は起こらないのではないのでしょうか。

これは、自殺の問題にも言えることだと思っています。

私は決して、自殺行為を肯定しているわけではありません。

しかしながら、「自殺は悪いことだから、やめなさい。」という言葉が、私にはどうも腑に落ちないのです。

自殺が誰にとっても悪いこと(=ためにならないこと)であるならば、何故自殺をしてしまう人がいるのでしょうか?

その人にとって、その瞬間、自殺が「悪ではないもの」に見えたからではないでしょうか。

そうであるならば、自殺の善悪を論じたところで、彼・彼女の考え方を変えることなど、本当に出来るのでしょうか。

自殺の善悪ではなく、彼・彼女にとって「自殺よりためになるもの」が見えたとき、初めて彼らの考え方に変化が訪れるのではないでしょうか。

私には、そう思えてならないのです。

暗い話になってしまいました。

また明日、お会いしましょう。

Zyagaimo


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