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残された家族のメンタルの違い

数日前に母方の祖父が亡くなりました。
94歳でした。

数年前から入退院をしていましたが、ギリギリまで頭はとても元気で、親父ギャグを言っている様な祖父でした。
最後の1年は残念ながらコロナの影響もあり、家族は見舞う事は出来ず。
最期も病院で一人でした。

とても悲しい事ですが、
年齢も年齢だし、
親族も少しずつ心の準備が整っていました。

お疲れ様。
ありがとう。
と言う気持ちでいっぱいでした。


15年位前。
同居していた父方の祖父が亡くなりました。

この時はとんでもなく悲しく、
凄く後悔しました。

祖父が亡くなる数年前から、
祖母の認知症が始まり、壮絶な介護でした。
主に母と祖父が対応していたのですが、
最中にふと手術の必要があり入院した祖父。

当時の私は若かった事もあり、
あまりお見舞いも行きませんでした。
なかなか病院から帰ってこないので
一度だけ行きました。

でも、その数日後にあっと言う間に、
生きるのをふと諦めた様に亡くなったそうです。

とても愛してもらっていたのに...
思春期と言うのか?
介護の件で家に居たくなかった。
朝の挨拶も避ける様になったいました。
今思うと逃げていました。

母が一番お見舞いに行っていたと思います。
誰もお見舞いに行かないし、
祖母で大変なのも理解していたのでしょう。

誰もが帰って来ると思っていましたが、
孫が会いに行って安心したのか、
息を引き取りました。

この時は全く心の整理が出来ませんでした。

お見舞いも行かなかった。
ごめんなさい。

祖母の介護をもっと手伝えば良かった。
ごめんなさい。

もっと優しくしてあげれば良かった。
ごめんなさい。

もっと顔みて話してあげれば良かった。
ごめんなさい。

暫く引きずってました。

介護をしていた母もこの時は号泣でした。
ごめんね。
ごめんね。
と言っていました。
ありがとう。
よりもごめんね。
が沢山ありました。

時が経ち。
認知症が進んだ父方の祖母も亡くなり。
私は流産し。
旦那の父も亡くなりました。

死の経験を積んだ事は大きい。
死に対する免疫がついた事もあるかもしれません。

父方の祖父の時の後悔を元に、
母方の祖父には可能な限りお見舞いにも行きました。
孫の中で一番行ったと思います。
入院初期に死をちらつかさられてから
3年位頑張って生きた母方の祖父。

私も親族も悲しみに暮れると言うよりも、
お疲れ様。
ありがとう。
と言う気持ちでいっぱいのお葬儀でした。


心の整理をする準備期間が
あるか、
ないか、
によって、
こんなにも送り出す気持ちに差が出るのかと。
強く感じました。


今回まで、
死と向き合うと残された者は必ず後悔する
のだと思っていました。
いくら介護などで尽くしても
必ず後悔するものだと。

でも、そんな事はなかった。
私含めて皆、
心の準備は出来ていたみたいでした。
最期はみんなで思い出話に花を咲かせました。
良いお葬儀でした。



心の準備期間があったと言えど、
悲しいものは悲しいです。
ただ、
若くして突然家族を亡くした場合の
辛さは計り知れないと思いました。
だって心の準備も整理も出来ないのだから。
後悔は消えない。
悲しみがなかなか終わらない。

そう言えば、
流産も心の準備が出来ていました。
早期に育ってないと言われたいたので。
悲しいけれど、想定していました。
看護婦さんには落ち着いて居ますねと。
言われました。


だから、心の準備を完璧に整えて
送り出せる機会はそう多くはないと思うけれど、今出来るチャンスがある方は、
お見舞いでも良いし、
朝に顔を見て挨拶するだけでも良いし、
電話するでも良い。

大切な人に
あなたが大切だと伝える行動を
してみて欲しいと思いました。

みんないつどうなるかわからない。
残された者となった際に悲しみに暮れぬ様。
去る者も、残された者達に
悲しみに暮れる人生を送って欲しい
とは思わないはず。
でも時々思い出して欲しいはず。
時々ね。


と言う訳で、
大切な人に大切だと伝えて、
心の整理をしておこうと思います。

また久しぶりに
手塚治虫の『ブッダ』でも読もうかな。


心ってホントに扱いが大変。
明日も誰かを大切に出来る私でいられます様に。


今日も悩む私。

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