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戦い、について考えたこと。

※「いくか、死ぬかだ。(DOGFIGHT備忘録)」の感想と自分語り抜粋

ここ1週間くらいの世界情勢を見ていてこの記事を書いたことを思い出したので載せたかったんだけど、推し語りが結構入っていたのでそれ以外の感想と自分語りの部分のみの抜粋も置いておこうと思って作りました。

もしご興味あれば元記事も読んでいただいても嬉しいです。


・2021.9.27観劇、11.7に脱稿した文章です。

DOGFIGHT本編についてはこちらから。
https://www.tohostage.com/dogfight/


海兵隊とベトナムについて

正直、今回はテーマが重たい(そんな言葉で片付けるべきではないのは重々招待ですが)ので初め一瞬チケット取るの躊躇したくらいでした。

パンフレットにもありましたが、ドッグファイトという絶望的なほど下品な"伝統"を持つ海兵隊。
そしてそれに嬉々として参加するエディたちは一見、
浅はかで愚かな存在です。

でも、よくセリフを聞いていると、その端々からそう切り捨てるのは正しくないことがわかります。

彼らは、無礼で人の心がないのではなく

「幼くて」「無知」なのだということ。


戦争にいくことが、死につながることだと思っていない。
帰ってこられないかもしれないなんてちょっとも考えていない。
彼らにとってベトナムに行くことは「ちょっとひと暴れしてくるだけ」で、まさか自分たちが殺し合いの中心になるなんて思ってもいない。
(エディはローズにおれたちはアドバイザーとして行くだけだから怖くなんかない、と言ってたはず)


そして、「ひと暴れ」して帰ってきたら地元のヒーローになれると本気で信じている。
みんなから尊敬されて、女にもモテて、国からも報奨金とともに功績を讃えられるのだと。

それが、きっと、彼らの全ての言動の根拠が「だって俺たちは"海兵隊"だから」につながる理由なのです。
俺たちは、国を守っている勇ましい"ヒーロー"だから。

だから、刺青を入れるのも痛いから怖がるような、昨日までチェリーだった少年が、胸を張って嬉々として戦地に赴くことができる。
バーンスタインのビビりでヘタレで、でもなんだか憎めないキャラクターが、その切なさや哀しさを引き立たせているように感じました。


「本当の怖いことってなんだ。
俺たちはそのために訓練して、銃の使い方だって習ったし、もし仮にわからないことがあったって、その場で学んでいけばいいじゃないか。俺がお前を守るし、お前は俺を守る。何が怖いもんか。」
これは刺青を入れながらバーンスタインがボーランドに言った台詞です。
(※細かい部分や言い回しは違うかもしれませんごめんなさい)

…その場で学んでいけば良いなんて、そんな学校みたいな環境じゃないのに。


多分ボーランドはあの中で唯一そのことをうっすら分かっていて、だからそれに対してぼんやりした言葉しか返さなかった。
これは私の解釈ですがあの隊員たちの中で彼だけが、「(それでも100%ではないだろうけれど)戦場に行くことの意味を理解していて、その上で意図的に人の心を捨てようとしている」のではないでしょうか。
もしかしたらドッグファイトの本来の意味も、わかっているのかもしれない。
だからこそ金でマーシーを買ったのかもしれないなと思うのです。

個人的には今江くん演じるスティーブンスの、前半(出征前まで)のあの超笑顔の「少年らしさ」が、海兵隊員たちの中でも特に、
その「ヒーローになれると本気で信じている、ある意味で残酷なほど無知な純粋さ」
を体現していたように思います。


Twitterで前評判を見ていた時に、「楽しそうにお芝居する今江くんがとても輝いていた」というような褒め言葉を結構目にしていました。

わたしも序盤はふつうに「板の上でたのしそうだな〜、いい笑顔!」と思っていたのですが、
ストーリーを追いながら自分の中で解釈していたら、
「もしかしたら、後半の戦場シーンおよびその後のエディへの振りとしてあえてめちゃくちゃ笑顔を大きくしてるのでは??だとしたら役への解釈が天才じゃない????(というか正解は分からないのでわたしと一致している、ってだけだけど)」と思いました。

まあ真実はわからないけどね!私の都合のいい一解釈だから!!

そしてこの舞台はセリフにくだらなくて下品な下ネタが多いんですが、それは彼らが子供であることを示すのに加えて、海兵隊という組織の「ホモソーシャル」な価値観の、隠喩なのかなと思います。


だからこそ、「女にモテること」や「女を弄べること」はトロフィーで、『今までで一番の客だってさ!』は最強の自慢だけど、
「女」はあくまで手段でしかないし、価値判断の材料だから、
「不細工で価値の"ない"女(=ローズ)」に感情的に惹かれたエディはバカにされる対象になる。

消費する対象である「女」に、"対等に"心を動かされることなど、彼らの価値観ではあり得ないことだから。
そう考えると、ローズとの対話を通じてその認識をとびこえたエディは、
やっぱりまだ若くてイデオロギーに支配されきっていないから、純粋で素直なんだろうな。​

女性学/男性学も、もう少し勉強したらもっと解析度が上がるんだろうな…、文学表現の派生でしかちゃんとは勉強してないのが悔やまれる…もっと勉強します…。

もっと色々分析したいところだけど自己満すぎるので一旦この辺りにする!



感想と自分語り

そしてこの作品を見て、強く感じたこと。

結局、犠牲になるのは「無垢な少年たち」であるということです。

よくニュースなどで流れる、イスラム圏のテロ組織が年端もいかない子供に銃を持たせて、兵士として戦わせている映像は「かわいそうなもの」として捉えられます。

でも、それって、エディたちと本質的には何が違うんだろう。

日本の「特攻隊」と、何が違うんだろう。

もちろん、エディたちは一応志願兵のはずなのに対して、
イスラム国の場合「半ば強引に誘拐して、最終的に親を殺させることで覚悟を決めさせる」とかかなり人道的に間違っている部分はあるのですが、それって方法論の違いに過ぎないんじゃないでしょうか。

エディも、父親も海兵隊員という設定だったかと思いますが、実際アメリカでは親が軍人で息子も軍人という例は結構一般的に良くある例です。
そんな彼らから見える世界の「戦争」や「軍隊」は、本当に正しい像が見えているのか。

環境要因で、そもそも選択肢などさほど与えられていない若者たちを、
あくまで「自分で決めた」「英雄的行為」として、戦争の渦中にいざなう権力の無責任さ。
それは本当に本人の意思なのか?
彼らを「殺した」のは誰なのか?


つい最近、海の向こうではふたたびテロリストが政権を獲得してしまった今の時代に、もう一度世界中の人が考える必要があるのではないかと思いました。

上で、急に例えとして「特攻隊」を並べたのにはひとつ理由があります。


私は昔、自分が演劇をしていた頃、特攻隊を題材にした作品と向き合ったことがありました。
しかも、その時私が貰った役は、「飛行機の整備不良で帰ってきたら、戦争が終わってしまった"死に損ない"」というもの。

「死ねない苦しみ」ってなんだろう。
わからないながら向き合ったあの役柄とその記憶が、物語終盤のエディと重なりました。


 俺が、死んだらよかったのに。
 あいつが死ぬのを俺はこの目で見た。なのに俺はなんで生きてるんだろう。
 あいつらはもういない。
 俺だけがこっちに残ってしまって、恨んでるだろうか。

そして私があの夏を丸ごと捧げたと言っても過言ではない台詞。
「俺は逃げたんじゃない、、、逃げたんじゃないんだ!」

主役も、一番やりたかった役も貰えなかった代わりに、この一言で全てをかっさらいたくて、毎日怒鳴られながらも必死に解釈を考えていたときに、
ふと思いました。

正気の人が、死にたいと思うはずがない。

正常な判断を奪われた人の決断は、本当にその人の意思なのか?

あの頃、ちょうど地球の裏側ではイスラム国のテロが頻発していました。
先生(注:学校の先生ではなく部活のコーチです)は、
「彼ら(特攻兵たち)は、国を、家族を守りたかったいと思ったから行った。自分の来世のためとか出世のためじゃない。だからテロリストとは違う」って言ってるけど、ほんとうにそうだろうか?と、私はずっと疑問に思っていました

島々がどんどん陥落して、もう絶対に負けることが自明な本当の戦績が正しく伝えられていたとしても、本当に少年たちは操縦機を握っただろうか。


ベトナムで殺し合いに巻き込まれて、帰ってきても誰にも祝われないことがわかっていたとして、本当にスリービーズは征っただろうか。

5年ぶりくらいに改めて、このことを深く考えさせられました。
「戦争責任」って突き詰めていったら誰にあるのか。
実際に手を下した個々人が無罪だなんて思わないけれど、私にはどうしてもそれが本当の意味で『彼らの』責任だとは思えないのです。


そして権力がそこに向き合わずに、「英雄」「尊い犠牲」、そして「英霊」などという聞こえの良い言葉だけを用いるのは、私は本質的な議論や責任から逃げているように思えてなりません。

これに関しては思想信条によって解釈が異なるし、判断が難しい部分は大いにあります。
私の考えや解釈が必ずしも正しいとはもちろん思っていませんが、この舞台を見て改めて「正義」や「戦争」について考えるきっかけになりました。

繰り返しになりますがこの舞台に出会えて、本当によかったです。
またいつか、再演されることを心待ちにしています。


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