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誰のためにもならない話をしよう

これから書くのは、誰のためにもならない話です。
読むか読まないかは、あなたの自由だ。

もうすぐ30代を迎えようとしている。
ぼくが生きた30年の中で、環境や考え方に少なくはない変化があったように、世界にもたくさんの変化があった。

特にここ10年の変化は目まぐるしい。

スマートフォンの普及を皮切りに、インターネットがより身近で使いやすいものになったのではないかと思う。
Twitterや掲示板など、一般の人が発言する場は昔からあったが、それがより当たり前に多くの人に受け入れられ、形や色を変えながら生活の一部へと変わっていった。

小説、絵、歌、詩、写真に動画や音声作品。
たくさんの表現を発信すること、それに触れることが容易になった。
このnoteもその変化の一部だと思っている。
もちろんそれによる悪い影響も多いが、今はやめておきたい。

ぼくの生活にも例外なく、顔も知らない誰かの表現を目にする機会が増えた。

「承認欲求をこじらせている」

なんて言葉を耳にすることもあるが、ぼく自身はそうは思わない。

感情を文字や言葉にすることも、価値観を共有することも、自分自身を切り売りして武器にすることも、月並みな言葉だが、ぼくはそれらが素敵だと思う。

というのも、ぼくも小説を投稿していたりする。
それは稚拙で、およそ作品とは呼べない粗末なものだ。
中学生の頃、携帯小説が流行り出した時に、母親の携帯を借りて書き出したのが最初だった。
当時のぼくはいじめにあっており、靴を隠されたり、給食のおかずを全て混ぜられたりしていた。

その時のつらさや苦しみを詳細に思い出せるわけではないけど、
常に喉に異物があるかのような違和感や、身体の動作がワンテンポ遅いような感覚に、自分を上空から見下ろしているような感覚、視界の端が真っ暗になっているかのような感覚は覚えてる。
まあ、わかる人にはわかるよね。

いじめの事を家族に話したことは一度もない。
足を蹴られて転ばされた時に、ふとももに違和感を感じたことがある。
その痛みはしばらく続いていて、自転車で通学の時には、大きな登り坂が登れなくて、泣きながら押して歩いた。
それでも、なんでもないかのように振る舞っていたら、しばらくしたらいつの間にか治っていた。
後で調べてみたら、それは肉離れの症状によく似ていた。

今でもぼくの家族はそんなことがあったなんて知らないままだ。

それは自身で選んだことだったが、幼い心には荷が重すぎたのだろう。
『言いたくても言えない。いや、言わない。』
今思えば、そのジレンマが湾曲した表現となって、小説になっていたのかも知れない。
まあ、違うかも知れないけど。
ただ今言いたいのは、当時のぼくにはそれが必要だったということだ。
心の安定の為に。
そう思えば、大人になった僕が、誰かの表現に魅力を感じるのは自然なことなのかも知れない。

僕はただ、我慢して欲しくないだけだ。
泣きながら自転車を押して欲しくないだけだ。

でも僕は、大人になった。
人に嫌われない話し方も、上手な笑い方も覚えた。
嫌な言葉は受け流せるようになった。
不満の伝え方は、まだ下手かも…。
そして、必死になって生きているうちに苦しかった思いも忘れてしまった。
どれだけ苦しくても、いつか過去になる事を知ってしまった。
自分に起きた現実を、まるで悲劇のように話す僕にはもう
「分かるよ」
なんて言えないのだ。

だから何気なく、話してみようと思う。
こんなことがあったんだって。
こんな世界があるんだよって。
誰のためにもならない話しを。
ただ、何気なく。
一緒に時を過ごした世界が作ってくれた、あの時にはなかった可能性で。

いつか電波に血が通って、鼓動の音が誰かに届くまで。







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