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デッサンしなさい の理由

 "景色が変わるわよ"

デッサンは、単に 絵を描く勉強のためだけに 勧めるわけではないのよ。色々な角度からモノを見る練習は、多くの視点を得ることにつながるの。だから、デッサンをすると、いつもの帰り道が違って見えるわよ。

 

何かを描いたり作ったりする人にとって、デッサンは基本中の基本なのだろう。でも、私はやってこなかった。

 オリジナルデザインを創るときにも、デッサンをしてから、切り取ったり、拡大・縮小をしたり、デフォルメしたりして出来上がっていく。フリー素材が溢れているので やりがちかもしれないが、他からとってきたものを模倣してちょっと変えるだけ、というのは違う。できたものが素晴らしかろうがそうでなかろうが 0→1の裏には、とてつもない労力や創造性が必要で、その隠れた部分を見ようとしないと 人を見誤るようにも思う。あくまでも個人的な感想だが、タフで根っこがしっかりした人が多いと感じる。

 根無草のような私は、絵を描く人になりたいわけではないからと、デッサンを億劫に感じて避けてきて、その結果、独自性がなく意味もない作品が出来上がっていく。

 

観察力を磨くために、いいトレーニングになりそうだ。漫然と眺めるだけでは、見えているようで見えていないものは記憶に残らず、視点や解釈の獲得につながっていかないから。「気づき」の数を増やしていこう。


 この秋、「手のひら芸大」の愛称で親しまれている 京都芸術大学の通信制の芸術教養学科に3年次編入学をした。

 デッサンのススメは、入学ガイダンスで学科長が話してくれたものだ。

 芸術教養学科は実技があるわけではないが、せっかく芸大に入学したのだから、デッサンの効用を知ってほしいと。



 私にとって、大学は割と身近に感じる存在だ。大学で仕事をしていたことがあるせいかもしれない。最近は、生涯学習や社会と連携したプログラムが数多くあり、敷居はより低くなっている。

 以前にも他の芸大で、陶芸の実技をひととおり経験できるコースに通っていたことがある。学生さんに混ざって一緒に実習を受け、当然、窯の担当を受け持ったり、掃除も一緒にする。

 トップの写真は、夏休み中の大掃除の日の写真。

 私もこの中に写っている。若返っている。

 楽しそうにしているが、実を言えば、ロクロの授業が始まってからは、いつも身体のどこかが痛くて辛かった。腰痛や腱鞘炎は、結局止めることでしか治らなくて、要は挫折したのだ。上達が早く、疲れを翌日に持ち越さない学生さんがとても羨ましかった。若さに囲まれて気持ちは元気になるのだけど。


 「大学で学ぶ」とだけ聞くと、なんだか堅苦しそうに聞こえるかもしれないが、世界が広がり豊かになるほか、社会人が疎遠になりがちな "自由な楽しさの中に身を置く" ことができる。最近の若者の姿を知るのも楽しい。

 今回は通信制なのでオンラインでの学びになる。学科長の専門の教育工学が生かされているのだろう、ストレスの少ないWebデザインが嬉しい。年代もさまざまな学生と教員が、mixiによく似た専用のシステムを利用してコミュニケーションが図れるようになっている。卒業生サポーターの存在も心強い。

 ただ、苦手な活字ばかりで入学してから しまった!と正直思った。けど、もう仕方がない。卒業できようができまいが、肩肘張らずに楽しめたらそれでいい。最大7年まで在籍が許される。


 上智大学の「グリーフケア講座」も気になって迷っていたが、基本的な教養を学ぶほか、視野拡大と視点獲得につながるだろうと、デザインやアートから学んでいけたらと思った。

 ああ、でもこれも気になるのよ...



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でっさん?僕たちがモデル??

動くから難しいね...

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