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【軍隊生活の思い出 -2話-】入隊一年目



入隊一年目

初日

連隊へ着くと、営庭では式場が出来ています。

テーブルの上には紅白の餅と、りんごが待っていました。

部隊長から挨拶があり、それぞれ中隊の係から各班に部屋に連れて行かれ、いろいろ説明がありました。

短時間に全ての説明があるので、中々一遍ではわかりませんが、それでは済まないのが軍隊であります。

一日目はこれで終わりました。九時に消燈しょうとうラッパが鳴ります。


♪初年兵は、可哀想だね、又、寝て泣くのかねー♪


そして夜が明けると、今度は起床ラッパが元気よく鳴ります。


♪今年の新兵さんは朝寝ごろ起きろと言っても起きはせぬー♪


同時に、週番下士官が竹刀を持ってオソイ、オソイと大声で柱や壁板を叩いて回ってきます。身も細る思いがします。

「一夜明ければ鬼となる」

と言われていましたが、本当でした。


朝の当番

朝の点呼が終わると、食事当番は先任兵の指揮で朝食の準備にかかります。

残った者は厩舎へ向かい、中へ這入ると、大きな馬が数十頭待っており、一頭ずつ外の係留場へとつないでいきます。

氷の張った冷たい水を鉄の容器に入れ、蹄鉄を打った大きな足をかかえ、水洗いしてきれいに蹄油を塗り、それから毛並みの手入れを済ませ、厩舎に入れます。

その間、手の空いた者は馬が夜寝た敷き藁を外に出して干します。


これで朝の作業は終わり、兵舎に帰ります。帰ると、先に帰っている当番の手で朝食の用意が出来ています。

ほとんど毎食、アルミ製の茶碗に麦が半分入った飯と、豚汁、副食には大根の漬物二切れでしたが、大変美味しかったものです。

それが終わると、当日の訓練と服装について指示があります。

時間になると急いで営庭に集合です。


訓練

やがて教官が来て、訓練はそれぞれの分野に分かれて行われます。
私は砲手である為、ほとんどが大砲の訓練でした。

大砲には、少しでも弾丸が敵の陣地に正確に着弾するよう、一ミリ単位の計器が付いています。最も大事なことは、大砲を一秒でも早く操作することです。

その他、馬術等いろいろあります。

一期の検閲が三ヶ月で終わると、一人前の兵隊に仕上がるわけです。


外出

いよいよ、待ちに待った外出の日がやってきます。

服装も二装(二番目に良い服)を着て営庭に集合します。そうしていると、上司から軍隊手帳と外出証が渡されます。

その時、

「貴様等も時には娑婆しゃばの空気を吸って来い」

と、いかにも監獄にでもいるような事を言われたものです。


熊本は兵隊の街で、どちらを向いても兵隊ばかりです。

いつ上官と出会うか分からないものですから、右手の指は何時も伸ばして歩きます。

なぜなら、敬礼を失すれば大変なことになるからです。早く隊に帰った方が、気楽で良かったです。


そのうち同年兵は、満州か中国か分かりませんが、出征して行きました。私は下士官を志願していたので、ゆくゆくは教育隊へ配属となります。


演習

何時の間にか夏が過ぎ、十七年秋になると、師団の秋期演習が鹿児島と都城の広範囲に渡って実施されました。

鹿児島から都城へ行軍するのですが、途中霧島地区の田團たんぼの中で小休止がありました。

戦友と二人歩哨ほしょうを命ぜられ、藁小積わらこづみに体を寄せていたのですが、いつのまにか眠ってしまいました。

歩哨:警戒・監視の任に当たること


しばらくして何か音がします。

すると分隊長が迎えに来ていました。目をさますと、部隊はその辺には見当たらず、分隊長が「俺の後からついて来い」と言います。

馬の後から約千メートル位駆け足で走ったところに、部隊が小休止していました。

中隊長の所へ行きましたが、何も注意されずにほっとしました。

あくる日、都城の平野で紅、白、両軍が出会って、終了しました。




「入隊二年目」につづく


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