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たまたまだけど『プラネテス』を読んだ後に『チ。』を読んだ

久しぶりにプラネテス読もーと思って、朝4時くらいまでかけて読んでた。

わたしはやっぱりこの漫画が好きで、考えてもどーしようも無いことばっか考えてる自分をちょっと諦められる気になる。

主人公のハチマキは色んなことを考えに考えまくってて、結果あんまり答えは出ないんだけど、かといって何も変わっていないわけでもない。
すべてのことを愛で片付けるのは無理があるって思う自分もいるけど、同時にすべてのことは愛に通じているのかもって思う自分もいる。

別に眠くはなかったけど、プラネテス読了後に何もする気にならなかったから何となく目を閉じてみた。

次の日。
昼頃に布団から出たら、ネットで注文していた魚豊さんの漫画『チ。地球の運動について』の1・2巻が届いていた。

さっそく読む。ヨムヨム。

1巻。

面白すぎてなんか涙出た。

予備知識ゼロで読んだから最後の展開には普通に驚いてしまったし、「あ~そういう感じね~。ハイハイ。……おもしれー漫画(泣)」って感じになった。

本を閉じた後にふと表紙を見て、「そういうことねー!」って言った。


興奮持続状態のまま、2巻へ。

天国に行きたい系男子と、火星が円と化すのを待ってる系男子。

後者の方はワクワク気分で星空を見上げ、絶望し、もう色々と嫌になっちゃう。「それくらいで」って一瞬思ったけれど、案外そんなもんかもしれない。信じていたものに裏切られるって、それがたとえ一方的なもんだったとしてもきっと辛いよね。

一方、こちらも新登場の性格ねじ曲がり聖職者くんは、なんか突っ走ってる。院長の机の上に置いてあった禁書を見つけて、急にアクロバットに窓から飛び込むシーンは普通に笑顔になっちゃった。冷静を装ってるけどみたいだけど、内心興奮してたのか。


オクジーさんとバデーニさんが邂逅。

あの台詞。

聖職者・バデーニさんが教えてくれたのよ。

惑う人(プラネーテス)

⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉

そうなの⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉

え、全然知らなかった。

いや、知らないのは知らないでそーですかって感じかもだけど、何せその前に『プラネテス』って漫画読んでたからさ。

びっくりしちゃったのよ。

だからあの漫画って、プラネテスってタイトルだったんだって思って。

だってハチマキ、惑いまくってたんだもん。

ふたつのコンテンツが交錯した瞬間だったわけよ。テンション上がったぜそりゃ。窓から飛び込んだバデーニさんくらいにね。


ハチマキは、タナベに愛を教えてもらった。(もちろんタナベからだけじゃないけど)

それは人から人への愛もそうだけど、それだけじゃなくて、自然とか宇宙とかもう全部に向かう愛。結局、宇宙もわたしも大差ないらしいし。

チ。にも、愛が登場しますよね。

星空への愛。積み上げられた歴史への愛。追求することをやめられない好奇心という名の愛。

まあ、愛って結局のところ一種類しかないんだろうけど、それがどこに向かうかによってその人の行動が決定されるということをチ。で思い知らされました。


昨日、3巻を読んだ。

ついに女の子がでてきて嬉しかったけれど、まあ予想通り簡単には研究に参加させてもらえない。異端という言葉がより重々しくなってきた。

さて、ずっと天国にこだわっているオクジーさん。学が無い人ほど信仰を曲げたりできないってのはわかる気がする。

この漫画の面白いところ(どこまでが史実なのか知らないけど)は、言うてもみんな神を否定してないってところなんだよね。わたし的に。

天動説の世界では、地球は最悪だから宇宙の底に張り付けにされていて、他の星々からは見下されている。オクジーさんの星空コンプレックスのきっかけですね。

これって西欧世界において、例えばイヴが原罪を犯したのが悪いから女性に月経や出産の苦しみがあるんだとか、自然災害が起こるのは神が怒っているからだとかって考えられていたことと同じで、まあ、そういう思考回路が常識だったと思うんです。つまり、人間の都合→自然の摂理っていう視線。

チ。に出てくる研究者たちって、こういう人間本位な思考回路に異議を唱えているだけで、宗教に反しようだとか、神不要論を唱えているわけじゃあない。

あくまで信仰はあって、「神が創った世界なんだから曖昧であるはずがない」「もっと美しいはず」っていう考えがずっとブレない。

オクジーくんは、まだあまりそのことに付いていけていなくて、「よくわからないけど教会に背く思想を追っているから多分やばい」っていう不安に襲われてる。でも、だからこそ彼って、冷静なんじゃないかと思うんですよね。輪の中に入れない分、全体を見渡しやすいっていうか。……目も良いしね。   別にこの話に結論はありません。



プラネテスでは、確かな情報と発達しすぎた文明の中で彼らなりの虚学を構築しようと奮闘していた。

チ。では、未完成の思想と不確定な知識の中で、全人類を飽和し得る実学を極めんとしている。(いまや天文学は実学ではないのかもしれないけれど)

なんつーか、真逆のはずなんだけど、やっていることはとても似ていて。
表裏一体てやつ?


この二つの漫画に共通項を見出してどうこうしたいわけではさらさら無いんだけど、突発的なイベントの詰め合わせみたいな雑な人生の中で偶然何かが連結する瞬間って、とても嬉しくなるんですよね。なんか。

つまり何が言いたいかと言うと、どっちの漫画もおんもしれ~ってことです。

ツイッターで書かずにノートで書くの何?って感じだけど、これは単なる人生メモ。

魚豊さん、チ。書き終わる前に死んだりしないでくれや~。



もうひとつ。

3巻の巻末にあった4巻の予告ページに、宮沢賢治の詩が載っていた。

何度も言うようで悪いけど、わたしの中でチ。とガッチリ連なってしまったプラネテス。そっちでも、作中に宮沢賢治の詩がちょこちょこ出てきていたんですよ。だから、わたしも改めて彼の詩集を読み返すか~って思った。


文字が読めると、時間と場所を超越できるから良いですよね。


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