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手紙6_宮田から本藤へ


本藤さん

返信を書くのが遅れてしまい、すっかり秋めいてしまいました。
急に気温が下がり気圧の変化も影響しているのか、頭痛がよく起こります。
もともと頭痛持ちの家族が居るのですか、僕にも遺伝してしまったのか、本格的に頭痛持ちになってしまったみたいです。

さて、逗子アートフェスティバルの開催も迫っているので早速ですが本題に…。

前回の手紙で、変化や素直について書き綴って頂いたと思います。
同じ表現という行為でも、その背景は人によって様々なものだと実感させられます。

証明というよりかは思考する為の手段に近いですね。
私は答えのないものについて考えるのが好きで、その補助具として手を動かし始めた様な気がします。
で、その結果として生み出された作品をまた介して、未だ見ぬ誰かと出会えたらきっと素敵だなと思って制作しています。

本藤さんは、「答えのないもの」に対する思考について触れてくださいました。
僕もそうかもしれないですね。僕の場合、正確には「形のないもの」や「目に見えないもの」に思いを巡らすのが好き、といったところでしょうか。

昨年の往復書簡で、海や木々などの美しい風景を見た時に感ずる詩的な感情から楽曲が生まれる、と綴ったと存じますが、この詩的感情も形のないもの、目に見えないものであり、そういったものを見える化・聴こえる化し、ひいてはCDという形あるものに昇華し、リスナーと共有する…。これが自分の音楽活動を通して具現化したかった事柄かもしれません。

言わば「感性の可視化・可聴化」ですね。

まあ、この辺りの話は過去の往復書簡に譲りますが…。

何れにせよ、本藤さんの指摘する通り、僕は<変化>をポジティブに捉える人間ではないのです。

それが何故か、については後述します。

<純粋>というワードが自然に出て来たのは以前から変化に対するネガティブな想いが根底にあったからだと思います。
(楽曲制作を始めてからは多少改善されている気もしていて、それ故に逗子アートフェスに飛び込むことが出来たという経緯もありますが)

これまで生きてきた中で、環境の変化に適応するまで異様に時間のかかる人間だったのは確かです。

もちろん、時間がかかるというだけで変化しながら生きては来ているのですが、変化に対応し切れず体調に異常を来すこともあり、特にここ1年近く世の中が大きく変貌し、正直疲弊させられていたりもします。こういった時代背景も、<純粋>というワードを想起させた一因だったかもしれません。
(まあ、完全に鎖切ってしまうのはまずいと自覚はしているのでニュースは見ているのですが)

本藤さんのように、変化をプラスに捉え、変化を見つめるべきだと分かっているのですが、どこかしらで緊張の糸が切れてしまいます。

<純粋>というワードに縋り付きたいのは、変化に対する畏怖の念であったり、何らかの外的要因により自分で自分が分からなくなってしまうのではないか、という恐怖や先入観が人一倍強いからなのでしょう。

で、ここからは〈素直〉という言葉にしましょう。素直。

そこで、今回新しく出て来た「素直」というワード。僕達の考える共通項がこれだとして、最も「素直」な状態の自分とは何か…。

つい先日逗子アートフェスティバルの広報からインタビューを受けました際にも、インタビュー応対にあたり、変化の大きいこのご時世の中、自分自身を見失わない為に、本藤さんの言うところの「素直」な状態とは何か、つらつらと考えたものです。

素直な状態の僕とは、「空想や物想いに更けり創作表現すること」、そして「男の子でも女の子でもないこと」です。

前者は今までの往復書簡にて語り尽した分で代えさせて頂くとして、今回お話したいのは後者の方です。

第三の性別「X-Gender」

そもそも、なぜ僕が「変化」に戸惑う人間なのか…。

それは、二次性徴という「変化」のトラウマに由来しています。

もっと言えば、世の中や自分の身体に変化が巻き起こった時に、「お前は男でいろ」と都度要求されている気がしたからです。

僕は昔、女の子に間違われることが多々ありました。風貌、所作、思想などが「一般男性」のそれとは少々乖離している部分があったらしいのです。

子供の頃、同性との付き合いが全く出来なかった訳ではないにせよ、クラスでよくお話する人、一緒に帰る人といえば、どちらかというと女子の方が多く、自分としても女子の輪に入っている方がしっくり来ていると思っていました。

身体が男性であるという自認はあります。しかし、男子のコミュニティ特有の「横ノリ」や「空気感」ってありますよね?あれがどうも自分とはソリが合わず馴染んだこともなくて、仲の良い女子と駄弁っている方が性分に合っていました。

小学校も高学年に上がりこうしたことが日常化していくと、女の子として生きて行ったほうが良いのではとか、今からでも女の子として生きみては、と思ったりしてしまうわけです。

ですが、そこで待ち構えていたのが二次性徴という大きな「変化」だったのです。
変声期を迎え、あれよと言う間に声は低くなり、毛も深くなり身体つきが徐々に男性になる。

拒絶反応の一つや二つを顕にしたくもなります。

その後、男子校に進学したこともあり、女性の居るコミュニティが日常から無くなり、女性としての感覚を少しずつ忘れていき、高校から大学にかけては比較的男性に寄っていた時期もありました(全く馴染みませんでしたが)。

しかしここ一年少しの間、世の中や自分の周囲を取り巻く環境変化が巻き起こり、本来の素直な自分とは何なのかを考える機会が増えました。

そして今年の1月、Amazon Primeでセーラームーンシリーズの配信を全部見返した時に思い出してしまいました。

「僕はセーラー戦士になりたかったんだ」と(笑)
子供の頃、誰にも言わなかった夢です。

セーラームーンは、今でいうところのジェンダーフリーを彷彿とさせる描写が多々織り交ぜられていて、自分自身の思想に知らず知らずのうちに根付いていた部分もあったかもしれません。

僕は身体は男性ですが、「男性は○○」「男性だったら××」で括られるのが今も昔も死ぬほど嫌いです。

ただ、男性の身体を持って生まれたからには、手術をしない限り女性にはなれません。
それに、「男性は○○」という括りが嫌いなのと同じように、「女性なら××しろ」みたいな観念にも同様に疑問を持っているのです。

その観念に当てはめられる位なら、いっそのことどちらでも無くなってしまえ、と。

僕は男性でも女性でもない第三の性別、いわゆる「Xジェンダー」であると自認しています。

しかし現代においては、表向きにジェンダーフリーを謳い始めているとはいえ、旧態依然としたジェンダー観が未だ根強く残っている側面は多々あります。

男性観を要求されるのは、自分にとっては耐え難いことです。
今後、自分の中に根ざしている余計な男性的要素は少しずつ捨てていくつもりです。

生物学的に女性ではありませんが、男性的要素を捨ていくと自然に女性寄りになっていくでしょう。即ちニュートラルであり、それが最も素直な状態と確信しています。

ニュートラルであるということは世の中に対するささやかな自己表現です。

視聴覚派としてやってみたいこと

思えば私と宮田さんは色々と反対側(此岸)の人間の様な気がします。
それは関心事である性(生)と死だったり、発想のリソースが内面と社会だったり、出自がオタクとヤンキーだったり__

僕と本藤さんの対局性が「視聴覚派」というプロジェクトの本質的な部分かもしれません。
僕は確かに根は相当オタク気質で、発想のリソースに関しても殆どは内面からくるもので、創作の際に社会を意識したことはありませんでした。

創作を通して社会全体にメッセージを投げつけるといったことには今まであまり関心が無いというか、それが義務だという発想自体が無かったんですね。

ただ、もし自分が創作を通して何かメッセージを投げかけることが出来るとしたら誰に対して出来るか。また、何が出来るのか。

例えば自分と同じように、セクシャリティに悩み世の中で何となく居場所の無さ、生きづらさを感じている人達…いや、セクシャリティに関わらず何らかの要因により疎外感や孤独感、閉塞感を抱えている人達に、生きる指針の一つを示すことなら出来るのではないか。

具体的に何をどうやって、という部分はまだ漠然としているんですけどね。

でもこの視聴覚派は、表現や創作が好きというファクターだけで陰キャとヤンキーが共に活動してきているわけですよね。思い切って知らない世界に飛び込んだ時、また、素直な自分を表に出してみた時、傷つくこともあれど予想だにしない出会いもあるでしょう。

素直であることも大事ですが、素直さを共有出来る人と出会うことが最も重要なのだと思います。そうすれば新しい道が開かれる。自分にとって逗子アートフェスティバルがそうであったように、です。
こんなことを、孤独に苛まれている人に作品を通してメッセージを投げつけることが出来ればさぞ素敵だろうと思っています。

この往復書簡にしては珍しく前向きな締めくくりになりました。

何れにせよ今年の視聴覚派は、これまで以上に素直さを極めて表現に臨みたいものです。

気がつけば逗子アートフェスティバル開催まで残りわずかとなりました。螺旋の映像祭は12月ですが、インタビュー動画撮影もしましたし、一層気を引き締めて参りましょう。

2021/09/20
宮田涼介 / Ryosuke Miyata

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本藤太郎/Taro Motofuji a.k.a Yes.I feel sad.

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逗子生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒。カメラマンとして撮影現場を奔走する傍ら2016年より美術活動を開始。写真作品を中心に舞台やインスタレーション、楽曲や映像等を制作し国内外のアートフェアや地域アート等で発表している。 ZAFには2013年の「逗子メディアアートフェスティバル」の頃から雑用として関わっており、2017年には作家として参加。基本寝不足。
https://www.yesifeelsad.com/
https://www.instagram.com/taromotofuji/?hl=ja


宮田涼介 / Ryosuke Miyata

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神奈川県在住の音楽家。ピアノ楽曲や電子音響作品を中心に、国内外でアルバムを発売。
2021年5月に新アルバム「slow waves」を配信リリース。
また、カフェやWebコンテンツでのBGM制作、シンガーへの楽曲提供・編曲を行う。
http://ryosuke-miyata.com/
https://www.facebook.com/ryosuke.miyata.music/

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