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幽かな音_或いは霊について_はたまた近況と振り返り

宮田さま

我々にとっての2度目のらせんの映像祭が無事に終わった事に胸を撫で下ろしております。お疲れ様でした。

また、今回の様々な試み(kinotope含)を通し、宮田さんの中でジェンダーを中心としたアイデンティティの様なものが確立されつつあることを、一友人として喜ばしく思っております。

ジェンダーに纏わる諸問題については、私も視点は違うかもしれませんが強く問題意識を抱いています。

私は基本的に異性愛者であり、尚且つ性自認は男性です。また、思想はリベラル寄りのフェミニストです。それは、美術や人類の〈歴史〉を学ぶうちに、あまりにも視線の多様性(いつだって記述者は強者です)の少なさに気がついた事もありますが、何より私の母が常に〈有害な男性性〉と闘っている姿を見てきたからです。



g   h   o   s   t  n   o   t   e



ゴーストノートとは、楽器の演奏における装飾音の事で、和製英語です。音程感の無い音を出す事によって旋律に立体感が生まれますよね。

今回の視聴覚派の作品としての《g h o s t n o t e》のゴースト(幽霊/亡霊)には大きく二つの意味があります。

一つ目はそのままの装飾音としてのゴーストです。私は都市を歩きながら、凝視しなければ見落としてしまう様な些細な何かを掬うべく写真を撮っています。世界の放つ幽かな音に目を凝らしているのです。そんな最近のシリーズに「ghost note」という名前を付けています。

ヒトは普段無意識のうちに見るものや聞くものを取捨選択して生活しています。〈見る事〉と〈聞く事〉について考えてきた「視聴覚派」は、そんな人々の無意識の部分をステージから刺激したいと目論んでいます。

それについては視聴覚派としてのステートメントにも記載されていますね。


そして二つ目のゴーストはこの数年のうちに立て続けに死んでいった家族や友人たちの亡霊のことです。

この4年間で飼っていた犬、猫、父方の祖父母、そして父が急逝しました。


亡霊たちの音


典型的な、伝統的な家族像を良しとする、家父長制のモデルの様な父の実家では女性は働き手として家事労働に勤しむ事こそ価値であり、男が家事の為に厨房に近づくと訝しまれる様な世界でした。

フェミニストの母がその世界に馴染めるはずがなく、何か意見を言おうものなら総出で口を封じられていました。そうした中で精神を病んでしまった事もあり、次第に母は父の実家から距離を取る様になりました。一体この人たちは何を根拠にこんなに踏ん反り返っているんだろう。私はまだ子供でしたがそんな事を思っていた事を覚えています。

父は父で家庭内では長い事、精神的/身体的虐待を私や母や弟にふるい続けました。

それでもそれに耐えていたのは経済的理由に他なりません。

そして私が大学生になった頃、父は勝手に家を出ていきました。我々家族は一瞬の安寧にホッとしましたが、それが地獄の始まりでした。

詳しくは2020年に書いた記事があるので良かったら参照ください。

要約すると、父は自身の両親の介護を口実に実家へ戻り、両親の(私にとって祖父母の)財産を酒と風俗とギャンブルで使い果たし、アルコール依存症由来の認知症を患い、そして死にました。あっけなく。大量の課題を残して。

例えば泥酔して路上で転んだ時、どこに連絡が来るでしょうか。

〈家族〉です

例えば病院で、年金事務所で、裁判所で、簡易宿泊所で、福祉窓口で、焼き場で、サインをさせられるのは誰でしょうか。

〈家族〉です

たとえ除籍をしてたとしても、直系の血族だという理由でひっきりなしに電話が鳴るんです。散々暴力を振るってきた者のケアをしなくてはならなくなったとしたらどんな気持ちになるか想像してみてください。

マジでキツイです。

「オムツは生活保護費では出せません」「もうこの病院では診れません」「手続きは窓口でお願いします」「大浴場で転んで脱糞しました」「迷子になりました」「早く振り込んでください」「遺骨はどうしますか」

そんな事を聞かされ続けた日々がこの数年でした。

最近では減りましたが、私はそんな亡霊たちの声が常に背中の辺りでしている様な気がして、突然冷や汗を吹き出したり、吐きそうになったり、身体が震えたり、スーパーマーケットの真ん中で動けなくなる様な事がよくありました。

とまあ、そんな精神状態だったので逗子アートフィルムに拾ってもらえたのは幸福な出来事でした。地元で、現代美術の領域としての映像についての事業に関われるとは思ってなかったからです。忙しく走り回る中で次第に亡霊たちの声も遠くなっていきました。

で、景気付けに一発それらを振り払ってやろう!と思ったのがなんとライブ前日です。今まで作り込んでた映像を削除し、しんどかった期間に撮った写真を時系列順に並べる事によって、奴らを遠ざけることが出来ると考えたのです。

それが今回の私としての《g h o s t n o t e》でした。

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葬_火_愛について/或いは個人的な事


自然のなかには鋼鉄など存在しない。青銅器時代に生きた人でもそう言えただろう。自然の中にあるのは、鋼鉄を生じさせる潜在的な物質である。それ以外は何も存在しない。では、その「潜在的なもの」とは何であろうか?これも人間の精神の産物にほかならない!すなわち、幽霊である。             《禅とオートバイ修理技術》_ロバート M パーシグ

これからやそれからについて。

体調が戻りつつあるので、趣味を二つ始めました。焚き火とオートバイです。

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焚き火もオートバイの運転も同じく〈火の世話〉〈火のケア〉です。

ファイヤーディスクの上で、内燃機関の中(キャブ車に乗ってます)で、効率よく燃焼を起こさせて暖かくなったり明るくしたり遠くまで運んでもらったりするのです。

火の事を気に掛けている時は、自分が人間である事を実感する事が出来て心が穏やかになっている事に気が付きます。ありがとうプロメテウス。

そう。これから私は人間らしさを取り戻していきたいと考えています。


そして、唐突ですが恋人が出来ました。

正直ずっと相当荒んでいたのですが、気軽に誰かに「助けて欲しい」と言う事が出来るということはこんなにも素晴らしいものなのだと改めて実感しました。

そして、他者の事を気にかける、ケアをする(し合う)という事は、とても幸福なものなのだと思い出しつつあります。リルケは若い詩人に〈恋愛詩はやめとけ〉と言っていましたが、私はもっと長い射程で愛するという事についても考えていきたいと思っています。


私小説とロードムービー


今後について少し書いて筆を置こうと思います。


昨年よりらせんの映像祭に関わる事によって感じたのが、ジャンル(?)の異なるどの作品からも「自由に何でも出来るよ!」と強張った筋肉を解される様な、幸福なエネルギーを受けとれた事です。

更に、映像祭全体を通して、極めて私的な感覚や感情を蔑ろにせず、素直に向き合う事をもっと大切にしようとも思いました。
スコセッシ先輩も「最も個人的なことは、最もクリエイティブなことだ」って言ってるますしね。

それで、今年は個人としては「私小説とロードムービー」をテーマに映像作品の制作を開始しました。身近な事柄や、自身の内側の事をもっと眼差そうと思います。

これも、映像祭を通して学部の頃の悩みであった〈何でも出来るが故の何にも出来なさ〉を、〈持ってる武器全部でブン殴ろう〉に変換出来た事が大きいです。発想が結局野蛮ですが。


私は私という人間にもう一度なりたいのです。


視聴覚派としてはまだ何をしようかとか何も考えていませんが、宮田さんも映像を作り始めたとのことなので、どこかで何かがドライブするだろうなという予想はしています。焦らずのんびり今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


2022.1.1.自宅にて

本藤太郎

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視聴覚派


本藤太郎/Taro Motofuji a.k.a Yes.I feel sad.

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逗子生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒。カメラマンとして撮影現場を奔走する傍ら2016年より美術活動を開始。写真作品を中心に舞台やインスタレーション、楽曲や映像等を制作し国内外のアートフェアや地域アート等で発表している。 ZAFには2013年の「逗子メディアアートフェスティバル」の頃から雑用として関わっており、2017年には作家として参加。基本寝不足。
https://www.yesifeelsad.com/
https://www.instagram.com/taromotofuji/?hl=ja


宮田涼介 / Ryosuke Miyata

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神奈川県在住の音楽家。ピアノ楽曲や電子音響作品を中心に、国内外でアルバムを発売。
2021年5月に新アルバム「slow waves」を配信リリース。
また、カフェやWebコンテンツでのBGM制作、シンガーへの楽曲提供・編曲を行う。
http://ryosuke-miyata.com/
https://www.facebook.com/ryosuke.miyata.music/

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