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あの日から1年

9月30日
この日が何を意味するのか、
去年その日に何が起こったのか、
ヅカオタ、特に宙組ファンであれば、嫌というほど覚えているだろう。

忘れたいと思っても、
事実無根のデタラメだと思いたくても、
避けることのできない現実であると思い知らされた。
そんな1年だった。


9月29日
ただ盲目に宝塚を愛することができた最後の日だった。
宙組公演パガドとスカイ・ファンタジーの初日。
実際に観劇こそできなかったけれど、流れてくる記事の写真の数々に心を奪われた。
紫の羽を背負い笑顔を見せる贔屓の姿が、眩しかった。
東京公演が始まるのが待ち遠しかった。
気に入った写真をスクショして、眠りについたのを覚えている。
その夜、悲劇が起こっていたことなど夢にも思わなかった。


9月30日
その悲劇が明るみに出た日だった。
何気なくツイッターを利用していたら、不穏なツイートが流れてきた。
言葉を濁した形での発言だったので、一体何があったのかと調べたら、普段目にしない新聞社のオンライン記事に出くわした。
「団員死亡」
非現実的なその言葉をしばらく受け入れられずにいた。
そのニュースをどの時間帯に目にしたかは覚えていない。
また恐らくこの時点では宙組生であると発表もされていなかったと思う。
ただ、これからどうなってしまうのだろうという漠然とした不安を感じたのは覚えている。
まさか宙組生ではないだろう、と。
昨日初日を迎えたばかりなのに…
衝撃を受けつつも、まだ実感はなく、人の死を受け止める覚悟はできていなかった。

その日の夜には、私は新しい仕事先での研修を受けていた。
オンラインで数時間だけのことだったけれど、気丈に振る舞いつつも心中穏やかではなかった。
終わり次第、ツイッターを開いて情報収集をした。
そこで、最初に目にした新聞社とは違うところも同じ内容の記事を出していることを確認した。
写真フォルダにニュースの記事のスクショは残っていなかったが、宙組公演の貸切をしていた会社が劇団よりも先に公演中止の連絡をしてきたという旨のツイートのスクショは残っていた。

団員の年齢がいつ公開されていたかは確かではない。
でも25歳ということを知った時、「贔屓じゃないんだな」とホッとしたのを覚えている。
贔屓じゃなければいいのか、という話ではないけれど。
ひとまず安心し、一体誰なのか不安になった。
もし宙組生であり休演者であるのならば、2人可能性がある。
もし一番可能性が高い子なのであればそれは、数ヶ月前に出た週刊誌記事との関連があることを考え、怖かった。


10月1日
宙組公演の中止が発表された。
この時はその当日のみの中止だった。
しかしこれから何度も、「何月何日まで中止」「何日以降の公演は追って発表」という文言を目にすることになるとは、思いもしなかった。


10月2日
パガドの公演グッズが複数売り切れになっていることを示すスクショが残っていた。
パンフレットとバッグ、スチール写真を購入したのを覚えている。
その後、エクスカリバーのブルーレイを予約注文しているスクショもある。
どちらも、「欲しいから購入した」というよりも、「販売中止になるかもしれないから購入した」に近かった気がする。
その数時間後には、彼女のプロフィールのスクショを取っていた。
この時点ではもう、亡くなったのが彼女とほぼ確定していたのだろう。


10月3日
花組の公演中止を知らせる公式発表のスクショが残っていた。
元宙組で、週刊誌にも名前が上がった子がトップ娘役の組。
それ以外にも宙組と関連が深い組だった。
とくに、トップコンビが退団発表をして間もなくのことだったからこそ、公演を完遂できないことへの悲しみを吐露したファンのツイートが流れてきたのを覚えている。

そしてその夜には、週刊誌の記事予告のツイートのスクショがある。
この件に対する考えは幾度となく変化し最近まで落ち着くことはなかったけれど、大きな転換点となったのはこの日だったに違いない。

それからは、止まらない週刊誌報道の連続に、度重なる公演中止の発表。
ネットには中傷コメントが書かれ続けた。
ネットユーザー、世間の声、組を問わずヅカオタからの非難と文句。
当時使っていたツイッターでフォローしていた同じ宙組ファンは、静かに鍵をかけ非公開アカウントにした。
私もそれに倣い鍵をかけ、情報を共有し合い、不安を打ち明けあった。
心が疲弊し、荒んでいった。

様々な人の情報を見ながら、焦り恐れる気持ちを何とか落ち着けようとしていた。
当時の気持ちをまとめているノートがある。
そこには最初は週刊誌への恨みと、劇団と宙組を信じるという旨の内容が書かれている。
当時の私は、例の件に関して事実無根であるとした劇団の声明を信じていたし、大好きな宙組でこんな悲劇が起こるなんて信じられないと思っていた。
ちょうど旧ジャニーズ事務所が総攻撃を受けていた時だった。
宝塚も標的にされ同じように潰されようとしている、と思った。
今では全く別の問題で、共通の敵などいないと分かっているけれど…
当時は、そう思うことしかできなかったのだ。

時間が経ち10月後半には、ノートに書かれていることは精神的に不安定だと感じられるほど言葉遣いが荒くなっていった。
恐らく皆、程度は違えどそうだったと思う。
理性と感情がせめぎ合い、自分の大事なものを守るために責任を他に押し付け非難する。

中には亡くなった彼女に恐ろしい言葉を投げかける人もいた。
私はそうした人を見る度に、辛くて仕方がなかった。
遺族の「宙組に所属していなければ」という言葉に怒りを覚えたこともあったけれど、それは遺族として当然の感情である。
大事な家族を亡くしたわけではないのに、怒る資格などないのだ。
公演中止になり週刊誌にマスコミに中傷されようと、それは亡くなった彼女のせいでも遺族のせいでもないのだ。
ましてや不満を亡くなった彼女にぶつけ、その名を貶めるなど、人間のする行為ではない…。

この頃から私は、誰にも怒りも不満もぶつけることができず、ただその思いを自分の中にしまい塞ぎ込むようになっていった。
そして私は次第に、自分がヅカオタ、宙組ファンであることを人に話さなくなっていった。

当時働いていた仕事場では自己紹介をすることが多かった。
そのため私は決まって、ヅカオタであることを話していた。
興味を示してくれた人には、特に宙組が好きであること、今度観劇やお茶会に行くことも伝えていた。
いつか機会があったら見てみてください、と勧誘した。

私にとって、趣味は趣味というよりも、アイデンティティの一部分のようなものである。
生きる意味。
働いてお金を稼ぐ理由。

もちろん毎公演実際に観劇するわけでもなく、他のファンのように複数回観劇するのも稀だった。
でも宙組が好きだった。
自分を良い方向に変えてくれた大事な存在だった。
でもこの件を受けて、自己紹介で宝塚と宙組の名前を出すことが出来なくなった。
相手になんと思われるのだろう。
軽蔑されるのではないだろうか、と怖かった。
一方で、そうすることで自分を偽っているような感覚にもなり、辛かった。

その恐怖は正直今でも残っている。
この問題と関係ないところで宝塚が話題に上がるたびに、このことを言われるんじゃないか、と不安を感じる。
当時は特にそれがひどく、テレビのニュースなどは見ることが出来なかった。
宙組や宝塚にナイフのように鋭い中傷の言葉が投げかけられる度に、私の心も血を流した。

好きなものを好きだと言えない。
それがあんなに苦しいことだとは思いもしなかった。
大好きな人を守りたいのに、無力でどうすることもできなかった。
この状況の中で贔屓が元気なのかも分からなかった。
ちゃんとご飯を食べれているのか、眠れているのか。
もし全て報道の通りなら、安全な状況にいるのか。
同じように命を絶ってしまったりしないだろうか。
不安は治ることはなかった。


11月14日
調査報告書が出された。
外部弁護士による調査チームとはいえ、完全な第三者とは言えないことから劇団の息がかかった報告書とされたものだった。
マスコミはパワハラについて認めなかったことに関して責め立てていたけれど、私はもう報告書の内容を受け入れるだけで精一杯だった。
過重労働が実際にあったこと、特に亡くなった彼女の状況は酷かったこと、この件以外にも団員たちが状況の改善を求めたのに聞き入れられていないこと。

過重労働だなんて、前から知っていた。
パワハラもあるだろう、過去には裁判沙汰になっているいじめ事件もある。
こんな状況、十分に考えられた。
それでも私は何もしなかった。
何か意見を言ったり、改善するよう劇団に求めたりもしなかった。
それがただ辛かった。

その日は印刷した報告書を深夜まで読み続けた後、声を殺して泣いた。


11月16日
初めて贔屓に手紙を書いた。
ファンクラブには以前から入っていたけれど、ツイッターで呟いているだけで満足していた私は、今まで一度も手紙を出したことがなかったのだ。

本当は、最初に出す手紙には違うことを書くつもりだった。
あの時の役が好きでした、とか。
お勧めしていた作品を見てハマった、教えてくれてありがとうございます、とか。
そんな普通のことを書きたかった。
でも代わりに、「あなたが元気で、無事であればそれでいい。タカラジェンヌのあなたではなく、あなた自身を大事にしてほしい。」と伝えた。
そして、「待っている。でも無理はしないでほしい。」とも伝えた。
後悔しないように、今感じている確かな気持ちを、届けたかった。


11月21日
仕事の帰り道、電車で週刊誌報道に贔屓の名前が挙がったことを知った。
それを知り心臓が掴まれたかのように、一瞬息ができなくなった。
まだ週刊誌報道の内容を信じてはいなかったけれど、もうすでに名前が挙げられた人たちがネット上でどんな風に中傷されているのかは見ていたから、贔屓も同じ目に遭ってしまうのではと恐れていたのだ。
結局、その中で贔屓は悪く書かれていなかった。
報道を信じているわけではないのに、安堵した。
嬉しかった。
同じように中傷されないのだと分かり安心した。
でも一方で、そう報道されたことで逆に中傷されるようにもなっていった。
情報が錯綜する中で、誰を何を信じていいのか分からず、混乱していた。


12月5日
葛藤する気持ちの中で、パガドの東京公演の全日程中止の連絡が入った。
そこでもう、一気に力を失ってしまったと思う。

贔屓は変わらず好きだったけれど、もう待っているのが辛かった。
その時点でチケットは持っていなかったから、上演するとなっても観劇することはできなかったかもしれない。
でももし上演してくれれば、劇場まで行きその様子を見届けたかった。
この目で見ることは叶わなくても、宙組の皆が、贔屓が元気だったと、笑顔だったと、知りたかった。

公演ができないなんて、分かりきっていた。
それでも、やって欲しかった。
応援し続けてもいいんだと、思いたかった。



それからも、遺族たちの声明に、終わらない報道、止まらない中傷の書き込みが続いた。
希望の光が見えないまま、信じていたものが崩れ落ち、手の中からこぼれさっていく感覚に陥った。
そんな中で110周年イベントが中止になり、ファンの悲鳴が上がった。
タカスペも大運動会もない。
ファンの皆が待ち望んでいた機会が失われた。
全部宙組のせいだ、という声がたくさんあった。
それに対し冷静に反論する気力はもう残っていなかった。

嬉しい発表は何も入ってこない。
それなのに週刊誌報道は止まらない。
そんな中で、私のこの件に対する気持ちも変わっていった。

劇団の声明を信じていたのに、裏切られた結果になったこと。
守りたいのに自分には何もできないこと。
そして何をすべきか、何をしたいのかも分からなかった。

なぜこうなるまで誰も彼女を救うことが出来なかったのかと、劇団を憎んだ。
そして、報道をデマと決めつけ信じず、ただ脳天気に公演を楽しんでいた自分自身を恨んだ。
例え事実とわかっていたところで、無力な私には何もできなかっただろう。
それでも、何もしようとしなかったことが辛かった。

ファンを辞めることも考えた。
ひっそりと消えていくファンの姿を何度も目にした。
ファンを辞めた方が、楽なのかもしれないと思った。
そうすれば、罪悪感に苛まれることはない。
自分とは無関係のことだと思えば、単なる世間で騒がれていることになる。

でも私は残った。
贔屓がまだ好きだったから。
どんな情報が入ってこようと贔屓への気持ちだけは、好きという気持ちだけは変わらなかったから。

この1年でファンはそれぞれの進む道を見つけた。
黙って離れる人も、変わらず愛し続ける人も、憎しみを抱き接することを決めた人もいる。
私も私なりに、進む道を決めた。

決して元通りにはなるわけではない。
今までと同じように宝塚を見ることはできないだろう。
ただ楽しかっただけのファンには戻れない。
でも宙組の応援は続ける。
それが私にとっての「正しい」ことだと思うから。



最後に、亡くなられた彼女に哀悼の意を表したい。

2023年7月、私は舞台上の彼女をこの目で見ている。
エクスカリバー、奇跡的にチケットが取れて感激できた公演だった。
普段は満面の笑みが印象的だった彼女は、舞台上では迫力のある歌声を届けていた。
貫禄ある姿に、驚かされた。
当時宙組は上級生が多く退団していっていたので不安だったが、彼女のような下級生がこれから躍進していくのだと思い希望を抱いたのを覚えている。
彼女もこれから、どんどん新たな役を演じていくのだと思っていた。

私は今年の3月に、4月生まれの彼女に遅れて25歳になった。
そう、私は彼女と同い年。
でも本当なら、彼女はもうすでに26歳になっているはずだけれど、25歳のまま。
来年3月、私は26歳になる。
彼女は、もう年を重ねることはない。

きっと私は誕生日を迎えるたびに、彼女のことを思い出すだろう。
このことも、例えどんなに嬉しいことがあったとしても、忘れることはないはずだ。
例え忘れても、9月30日が来るたびに、思い出す。


二度と彼女のように苦しむ人が現れないことを願う。
二度と同じことが起きないよう、祈ります。

どうか、安らかに。

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