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大学の友人のこと

 大学二年生になったとき、初心者歓迎のテニスのサークルに入った。友達が欲しかったのだと思う。実際はコンパや麻雀ばかりやるようなサークルだった。でも、やはり周りの人とうまくなじめない。どうしても。

 そんなある日の飲み会で、隅に一人で座っている大柄で丸眼鏡のかわいい子を見つけた。私はビールの入ったコップを持って近寄っていった。

「こんにちは。ぼく、野山って言います」
「あ、瀬川です。一年生です」

 瀬川君は私立W大学の法学部に現役で合格して通っていたのだが、学費と生活費がかかりすぎるため、仮面浪人してもう一度大学受験をして、自宅から通えるこのK大学の法学部に入ったのだという。W大法学部は、文系最高の偏差値が必要だし、K大学はいわゆる超難関国立大学だ。W大に受かっても受験勉強を続けるなんて、なんとかK大に合格した私には絶対にできない。彼は本物の天才に違いない、と思った。

「ってことは、ぼくたち同い年だね」と私は言った。
 私たちは最初からなぜか気が合った。私にとって、無理なく付き合える同年代の子は瀬川君が初めてだった。私の下宿でゲームをしたり、瀬川君の自宅に泊まりに行ったりした。

 瀬川君の自宅は、大きな住宅団地の中にあった。
 瀬川君のお父さんは弁護士で、それで、瀬川君も司法試験を目指しているということだった。弁護士ならお金あるのではと思ったけど、瀬川君が仮面浪人を決意したのだから、弁護士といってもいろいろなのだろう。
「野山君は司法試験目指さないの」
「本当は文学部の哲学科に行きたかったんだ」
「今から転部すればいいんじゃない」

 あのとき、瀬川君のアドバイスを真剣に受け止めて、転部していたら、私はどうなっていたのだろう。

 私が三年のときの夏休みに、私たちは、二人で旅行に行くことにした。どこに行くかを決めるため、瀬川君はその日、私の下宿に泊まった。お酒を飲みながら、映画やアートの話をした。瀬川君の白い肌が赤く染まって美しい。本当は旅先で告白するつもりだった。でも、もう気持ちを抑えきれなくなっていた。私は、ついに、瀬川君の隣に近づき、肩を抱いた。
「なんだよ、急に」
「ぼく、瀬川君のこと、好きなんだ」
「好きってどういう意味で、え。あ、その、気持ちはうれしいけど、でも、ぼくはゲイじゃないし、付き合うっていう意味なら、っていうか、やっぱり、そういう気持ちでぼくのこと見てたんだ。ごめん。でも、ぼくたちこのまま友だちでいようよ」
 私は、肩に回した手をそっと離した。旅行は中止にした。サークルもやめた。瀬川君とは疎遠になった。

 私は卒業後、見知らぬ土地の地方公務員になって働いていた。数年経ったとき、瀬川君から電話がかかってきた。
「今度サークルのOB会があるんだ。野山君も来てよ」
「サークルって、瀬川君、今どうしてるの」
「司法試験に落ち続けて今大学七年生。サークルの大御所さ」
「行くよ」

 会場は中規模の旅館の一室だった。瀬川君がいた。瀬川君はすごく太っていて、煙草を吸っていた。
「久しぶり。なんか太ったね。煙草なんてやめたら」と私は言った。
「実は、周りには秘密なんだけど、強迫神経症になって。司法試験の勉強が最近できてないんだ」

 瀬川君は、司法試験の勉強を頑張っていたのだが、水道の蛇口を閉めたかどうかが気になるようになって、次第に、外にいるとガスの火を消し忘れたかどうかが気になって家に確認のために戻るようになり、それで勉強に支障が出てきたという。また今は、手を洗うとき、綺麗になったかどうかが気になって、長い時間手を洗ったりしているという。精神科で薬はもらっているが、体に悪いのであまり飲んでいない。あんなもの全部飲んでいたら廃人にされてしまうらしい。

「司法試験はあきらめて就職したら」
「七年生だよ。就職先なんてないよ」
「地方公務員になればいいよ」

 私はその日その旅館に泊まり、瀬川君は家に帰っていった。
 夜、瀬川君から電話がかかってきた。
「ぼくの本当の病名は統合失調症なんだ。薬の副作用ですごく食欲が出るから太ってしまった。お父さんは仕事を辞めて、カフェを開こうとしている。ぼくがそこでずっと働いていけるようにしようとしてるんだ。でも無理だよ。文字も一文字も読めないんだ。薬の副作用でのどが渇くし」
「薬が合っていないのかも。医者に相談しなよ」
「医者は信用できない。最近は薬も真面目に飲んでいないんだよ」
「病院変えたら」
「仕事もできない。本も読めない」
「きっと治るって」
「統合失調症は治らないんだ」
「一度会おう。次の週末、瀬川君の家に行くよ」
「駅で待ってる」

 始発の電車に乗り、十一時前に駅についた。待ち合わせ場所に瀬川君がいた。背が高くて周りから頭一つ出ていて、しかも、ものすごく太っているので、目立つ。顔には表情がない。ふと、一緒に遊んでいた頃と同じ眼鏡をしていることに気づいた。
「やあ」
「とりあえず、その辺の喫茶店に入ろう」と瀬川君は言って、歩き出した。とても頼もしく感じた。

 駅内の小さな喫茶店に入った。隣との距離が狭い。瀬川君はすぐに煙草を吸い始めた。喫煙席だから吸ってもいいのだが、すぐ隣の席には、何か食べている三十代くらいのカップルがいた。男があからさまにこちらを睨んでいる。私が間接視野で捉えた男は、まともな感じの人には思えなかった。このままでは因縁をつけられる。
「煙草消せよ」と私は小さい声で言った。
「なんで」と瀬川君は言った。
「いいから消せよ」と私は言った。瀬川君は、どういう了解をしたのか全く分からなかったが、煙草を消した。少しして隣のカップルはいなくなった。わたしはほっとした。また、無自覚にトラブルを招きそうな瀬川君が心配になった。二人ともコーヒーを頼んだ。
 向かい合って座る瀬川君の着ている服をよく見ると、どれも素敵だ。でも、瀬川君は、服にお金をかけている場合じゃない。
「そのコート、素敵だね」
「あ、これAブランドの。五万くらいだったかな」
「そんな金あるの」
「金はお父さんがくれる」
「でも無駄遣いしていいのか」
「安物を着ると心まで荒んでくるから」
 瀬川君の顔は首とつながって、白くてぶよぶよだった。コーヒーカップを持つ太い指もぶよぶよだった。見るからに病的な感じだった。瀬川君は冷めてきたコーヒーをキューっと一気に飲み干した。
「出ようか」というので店を出ることにした。私がおごった。

「昼飯をどっかで食べよう」と瀬川君が言った。
 駅ビルの中のレストランに入り、ボックス席に座った。
「野山君と別れてから何があったか話したい」と瀬川君は言った。

 大学五年生になって、この間話した強迫神経症の症状が出てきた。それだけなら良かったんだが、その後、家にあったギターを担いで、裸足で町の中を歩くようになった。町ではいろんな奴を殴ったよ。自分でもよくわからないが、とにかく、いつも歩いていた。
 そのころ、サークルの後輩に綺麗な女の子がいて、強引に誘ってカラオケボックスに二人で入って、無理やりキスしたこともあった。女の子は怯えて震えていたよ。あのときは本当にぼくもどうかしていた。深く反省している。
 それで、裸足でギターを担いで歩いていたある日、家に帰ろうとタクシーに乗ろうとしたら、降りてくれって言われて喧嘩になって、タクシーの運転手をボコボコに殴ったんだ。
 警察に逮捕されて、そこで措置入院ということになり、離島の精神病院に入れられた。薬漬けにされて、おむつをつけられてさ。よだれがだらだら出てしまうんだ。そこに二週間くらいいた。一か月だったかもしれない。個室なんかじゃなかった。十二人部屋だった。二十四時間ラジオを大音量で流してる奴がいた。それをだれも止めないんだ。そいつを殴ることはできたけど、そんなことをしたらここを出られなくなると思って放っておいたよ。ずっとぶつぶつ何か言いながら歩いている奴、いつもけたけたと笑っている奴、とにかく狂っている奴ばかりだったよ。治すための場所ではなく、隔離するための場所なんだ。タクシー運転手とは父親が示談をまとめてくれて、不起訴になった。で、とにかく、そこを出て、家に帰ることができたんだ。あそこには二度と戻りたくない。おむつをつけられるんだよ。戻るくらいなら死ぬよ。
 父親が探してくれた精神病院に通って治療することになった。
 二時間くらい待って、二、三分医者と話して、大量の薬をもらう。これを二週間おきに繰り返すだけ。とても治るとは思えない。ぶくぶく太るだけで。藪医者だよ。金儲けが目的で、治すことが目的じゃないんだ。

 それで、ぼくは、出された薬をネットで検索して調べた。実は、胃薬とか、薬の副作用を防ぐための薬が多く出されていることが分かった。肝心の薬は、飲むと、のどが渇くし、太るし、ぼーっとする。用量を守らないと危険だということも分かった。

 その日、ぼくは、裸足で早朝の海岸を一人で歩いていた。どうやってここまで来たのかはわからなかった。足が血だらけだったから家から歩いてきたんだろう。ジーンズのポケットには飲まずにとっておいた薬がどっさり入っていた。胃薬とかは除いてあって、効果のある薬だけだった。
 ぼくは、その薬をそこで全部飲んだらしい。
 気づくと病院のベッドの上にいた。
 父親の話によると、ジョギングで偶然通りかかった消防士が倒れているぼくを見つけて、救急車を呼んでくれた。ぼくは心停止していて、消防士は、人工呼吸と心臓マッサージを救急車が来るまでずっと続けていてくれたらしい。電気ショックで心臓が動き出したそうだった。

「これからどうすればいんだろう」
「治療はちゃんと続けろ。薬は医者の言うとおりに飲め。病院は変えてもいい。で、障がい者手帳の申請をして、障害年金をもらって家計の負担を減らせ。きっとよくなる」
「障害年金もらうくらいなら死んだ方がましだ。そんなクズになりたくない。ふざけんな」
「クズじゃない。制度があるんだから使えばいい。そのための制度だ」
「わかった。もういい」
「この状況でそんな高い服を着て、一体何やってるんだよ。統合失調症なら社労士かなんか代理で立てれば問題なく認められるよ。お父さんに迷惑かけすぎだろ。少しは周りのことも考えろ」
「わかった。考えてみるよ。今日家に泊まってけよ。酒買っていこう」

 瀬川君の家には両親がいた。私は歓迎された。四人で食事をとり、二階の瀬川君の部屋で酒を飲むことになった。

 壁には「科学的な教育法」と書かれた古い色紙が飾ってあった。色紙に書く文言としては変な気がした。色紙というのも変だ。この文言の下、スパルタ式に受験勉強をしていたかと思うとかわいそうな気がした。
 薬が効いているからか瀬川君は少しぼーっとした感じだけど普通だった。昔みたいに映画やアートの話をした。瀬川君はそのあたりの興味は失っていないようだった。
「あの子には本当に悪いことをした」
「キスまででそれ以上はしていないんだろ」
「無理やり舌を入れた。胸も揉んだ」
「そのとき謝ったの」
「覚えていない。謝ったような気もする」
「もう仕方ないよ。反省して、今後二度としないってことで」

 どんどん酒を飲んでしまい、私も瀬川君も酔っぱらってしまった。
「昔僕の肩を抱いてきたよな」
と言いながら瀬川君はふざけてぼくの肩を抱いてきた。そして、そのまま、私を押し倒して馬乗りになった。重すぎて全く身動きが取れない。食事の時、百キロ超えていると言っていた。服を脱がそうとしてくる。私のシャツをボタンをはずさないまま脱がそうとして、ボタンがちぎれた。私は上半身裸にされた。馬乗りのまま、瀬川君も上半身裸になった。大きな真っ白いお腹があらわれた。そのまま体を重ねてきた。ぼーっとした顔で笑っている。瀬川君は私にキスをして、舌を入れてきた。唇も舌も柔らかくて温かかった。瀬川君は私のベルトを外していった。

「昨日はごめん。酔ってたんだ」
「謝ることないよ。また連絡する。病院変えていいから、薬はちゃんと飲めよ。年金申請も検討しろよ」
「うん。じゃあな」

 私たちが一緒に暮らせたらいいのに。
 でも、瀬川君はゲイじゃない。きっと、途中から、私をあの子だと思っていたんだろう。

 その後、瀬川君から、少し入院することになったという電話があった。
 それ以降連絡はなくなった。
 しばらくたってから、電話をかけたら、知らない人の番号になっていた。
 
 瀬川君とは、それっきりになっている。



















だとお行っていた

・ギター事件
・心停止事件





 



 
 


 

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