『十五少年漂流記』と『蝿の王』
私はジュール・ヴェルヌが大好きだが、思えば一番王道であるはずの『十五少年漂流記』を未だに読んだことがないという状態だったのでこれはいかんと思って漸く読むことにした。
読んでみてまず、この本は子供がよく読むだけあってヴェルヌの中でもかなり読みやすい方なのではないかと思った。ヴェルヌあるあるの冒頭での長い説明が無かったので入っていきやすいのだ。そして次から次へと事態が進展していくというヴェルヌ小説における良さもよく発揮されていてテンポの良さも申し分なかった。
内容としてはその名の通り十五人の少年が漂流してしまって無人島生活を送るという物語だ。子供だけで漂流するなんてさぞ過酷だろうと思われるが、ところがどっこい子供たちはなかなか賢く、覚悟が決まっているのでやるべきことを分かっていて行動し、秩序的に生活を送ることができる。ヴェルヌの他の作品でも『神秘の島』や『ハテラス船長の航海と冒険』などサバイバル生活をする作品はあるが、大変な状況の中でもみんなで協力し合って徐々に生活をしやすいように環境を整えていく様子が見ていて楽しい。そう、ヴェルヌ作品のサバイバルモノは存外楽しそうな場面があるのが魅力的なのだ。(『十五少年漂流記』の原題は『二年間のバカンス』であるぐらいだしね)
少年たちの中で主人公にやたらと突っかかって来るキャラも居るのだが、これもヴェルヌあるあるだ。しかしそういった人間関係の問題があってもヴェルヌ作品は大概は和解するし、相手がよっぽどの悪人であった場合は何かしらのバチが当たって終わるので安心して見ていられる。初期のヴェルヌ作品は大抵ハッピーエンドだなのだ。
そんな調子で、『十五少年漂流記』は有名なだけあって読みやすく、楽しい作品だった。唯一欠点があるとするなら、同じ無人島モノである『神秘の島』(こっちは大人達のサバイバル話だ)に比べるとボリュームが少ないので若干物足りない感があるというところだろう。
さて、続いて『蠅の王』の話をしよう。
『十五少年漂流記』を読んだ後、私はすぐに『蠅の王』を読み始めた。何故なら、こちらも十五少年と同じく少年達が漂流する話だからだ。以前紹介した『デミアン』と『霊応ゲーム』のように、共通点のある小説を立て続けに読むのは楽しいのだ。
しかし、『蠅の王』を読んで思ったのはまず、この小説は設定は似ているのにも関わらず、『十五少年』とは全くもって正反対な感じがするのが面白い。あらすじとしては、無人島に漂流した少年達がなんとか秩序的なサバイバル生活を送って行こうとするものの、徐々に少年たちの間で不和が生じ、理性的では無くなっていってやがては殺し合いにまで発展してしまうのだ。最悪の展開を迎えることはある程度分かっていたが、後半の恐ろしい展開の描写が本当に真に迫っていて朝五時に目を覚まして読んでいた私は少しぐったりとした気持ちになってしまった(その後コナンの映画を見てきたのですっきりしたが)。
子供達が理性を失って凶暴になっていく感じも辛かったが、私は特に主人公ラーフが最初は子供らしい万能感に満ち溢れていたのに最終的には疲れ果て、イノセンスを失ってしまったのが悲しかった。
因みに「蠅の王」というのはベルゼブブ、悪魔の象徴という意味だ。
また、序盤からしてラーフが船に見つけてもらうために烽火を上げていなければならないだとか、小屋を作らなければならないだとか言っているのに、みんなは目先の楽しいことに囚われたり全く話を聞かなかったり話が脱線したりというグダグダ具合は『十五少年』よりもリアルだナアと思った。『十五少年』は秩序を守るどころか無人島で寄宿学校の生活を模倣した生活を送り、しかも上級生が下級生にちゃんと毎日勉強を教える時間まであるのはあまりにも優秀すぎるだろう。ヴェルヌの場合は本当にパブリックスクール的教育による理性と秩序の力を信じているのだナアと思ったし、また、この両者の違いは物語においてどこに重点を置いているかの違いであるだろうと感じた。つまり、『十五少年』の場合はサバイバル生活について事細かに書いているので冒険小説という要素が強いのに対し、『蠅の王』はサバイバルなんかほとんどせずにぐだぐだした生活を送り、それよりむしろ心理的な面に目を向けている。そういった部分によって違いが大きく出ているのだろう。
何はともあれ『十五少年』は気軽に読めるし元気を貰える小説だが、『蠅の王』は元気のある時に読んだ方が良い。私はぐったりしてしまったので次は明るそうな小説を読もうと思うのだった。
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