見出し画像

なんで幡野さんに聞いたんだろう

タイトルがあまりに露骨でごめんなさい。

それは、去年の冬のある日。
生後8ヶ月の娘を抱っこ紐で寝かせながら、ある方の人生相談に匿名希望でメールをしました。

『生後8ヶ月の娘を育てるシングルマザーです』
と。

娘がお昼寝をしている30分の間に、自分の素直な気持ちを形にしたいと焦りながら文章にしました。
送信ボタンを押したあと、自分の感情が整理されたのか大分スッキリしたのを覚えています。

そしていつも通り、慣れない育児で肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいな日々が流れました。

迎えた月曜日。
娘にミルクをあげながら、ふとTwitterを開くと

『妊娠中に旦那が自殺未遂、旦那とは離婚してシングルマザーの女性の相談にこたえました』

というつぶやきがありました。


何も思わずに無意識にリンクをクリック。
すると…

『ん…??これ、私のやつ…!!??え!!??誤字そのままだ…!?え!?本当に採用されるとかあるんだ…!?投稿数よっぽど少ないのかな…!?』

私は、驚きと嬉しさと興奮と羞恥を隠せません。
娘は私の腕の中で幸せそうにミルクをグビグビと飲んでいました。

その記事は2019年12月9日のcakesの幡野広志さんの『なんで僕に聞くんだろう。』の
『配偶者も間違えたら選び直せばいい』でした。

https://cakes.mu/posts/28119


幡野さんの回答を読み取りながら、
心臓はバクバク、
目と鼻から涙を流しました。

私の中で何かが成仏しました。

私の決意を応援するって言葉が嬉しかった。
大丈夫って言ってもらえてすっごく安心した。
空気が優しかった。
誰にも言ってもらえなかった言葉たち。
一番欲しかった言葉たちがそこに。
私は間違いなく強くなりました。
必要の無い苦しみが消えて、
迷いは微塵も無くなって、
人の目を気にしなくなりました。
あの記事は私のお守りとなりました。

幡野さんがある日つぶやいてました。

『相談者のまわりには他にうまく聞いてくれる人がいないのか?という悲しさ。
ぼくに相談をするのではなく、親しい人がうまく相談を聞ければいいのに…という願いなどが混じったタイトルです。』

私は自分でも忘れかけていた事を思い出しました。
幡野さんに相談する前に起きていたこと。


私が離婚を覚悟した時、一番仲の良い友人にだけそのことを相談しました。


友人は私に『旦那さんのことは愛してないの?』と聞きました。

すると私の口から、自分を正当化するための自分に都合のいい言葉たちが勢いよく飛び出しそうになり、それが嫌で黙り込んでしまいました。

その友人には嘘や虚勢を張りたくなかったからです。

でもその友人にとって、私の本音は納得がいかないようでした。

心配してくれる友人に感謝したいけど、とても複雑な気持ちになり、それはシコリとして残りました。


他にも、

行政の相談窓口や助産院で相談してみたこともありました。

『夫婦は忍耐』

『決断が早すぎる』

『自分が選んだ人なんだから』


私たち夫婦が離婚したことは、私の忍耐力不足とわがままが原因だったのかと、私はどんどんドン底へ落ちてゆきました。

それ以来誰にも話せなくなったのでした。


そもそも私がしたかったのは相談なのか。

話を聞いて共感してもらいたかったのか。

的確なアドバイスがほしかったのか。

説教してもらいたかったのか。

それすらわからなくなっていました。


画像2



なんで幡野さんに聞いたんだろう。


たぶん、
『なんで僕に聞くんだろう』
というタイトルにつられたんだと思います。


タイトルが疑問符だから、
一緒に考えてみようか?
みたいな親近感を勝手に感じたのだと思います。


そして、専門家やプロに相談したらいいのにそうできない理由があるんでしょう?という雰囲気を嗅ぎ取りました。

私はそれに飢えていました。

つまり『インスタント善人』の呪いにかかっていた私は、『なんで僕に聞くんだろう』というタイトルを見た時から解呪されはじめていたんだと思います。


きっと私と同じように、それに飢えている方々がたくさんいて、

自分の本音を、幡野さんの本音で受け止めてくれる人生相談『なんで僕に聞くんだろう』にどんどん吸い込まれていくんだと思いました。

みんな本当は、本音が言いたいし、聞きたい。

死ぬ間際に人間が後悔することは『もっと自分に正直に生きればよかった』が多いと聞きます。


素直に
正直に
本音で
相談しあえる世の中になればいいのに。


でも、
なればいいのに、
ではならないんですよね。

そんな世の中になるように
私はなにができるだろう。

考えても考えても、難しすぎて私の脳味噌では答えは一生出ないってわかります。


それが私の本音です。


〈追記〉
相談した時に8ヶ月だった娘も、
一歳を迎え保育園に入園し、
ありがたいことに母性たっぷりの優しい先生に出逢うことができ、
娘の育児を誰かと共有できることに救われています。

娘が笑顔、それでいい。

画像2

ライターでもなんでもない主婦?
(旦那さんがいない場合って主婦と言えないんですかね?)
が、恐れながらもキナリ杯をやってみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?