【製造業発、新人教育】 学校から社会へ
学校のなにが大切?
学校に通っていた時、つまり学生だった時に、学校の何が大切なんだろう・・・って、考えたことってありますか。
会社に入り、先輩となり、新たな社会人を迎える立場になった時のことを振り返ってみると、実は「毎日ちゃんと学校へ行く習慣を身につける」・・という至極当たり前のことをただただやることが大切だったんじゃないかなと思うんです。学校に通う事って当たり前だから、気がつかなかったのです。
製造業時代、新社会人マニュアルを担当するにあたり、いろいろな文献を読むと、学校生活でしかできない事として、身体を鍛えたり、社会のルールを学ぶこと等、書いてありました。
でも、実際の高校や大学生活の中で、それらを先生たちから正式に教わったことなど無かったような気がします。
しかし今、社会人として生きていく立場になって、当たり前だった学生時代の、どんなに眠かったり嫌なことがあったりしても「とりあえず朝起きて学校へ行く」ということを続ける事って、実は凄く大事なことなんだなと思うのです。当たり前過ぎて気づかない事って、時間が経過したり、俯瞰してみたりすることによって気がついたりするものかも知れません。
毎日の繰り返しこそ人生
会社では、仕事が速い人が「できる人」という評価で固定しがちですが、意外と「時間内にちゃんと出社する」ということもスゴイことなんだと思います。
この様に書いた理由は、当たり前のことをキチンと出来ない大人がいるということに、正直、社会人になって気付いたからです。たとえ学歴があり、実力があっても「毎日の繰り返し」が出来ない人があまりに多すぎる様に思えます。学校も仕事も毎日の繰り返しなのです。
実は、「当たり前のことを当たり前にする」、あるいは「当たり前のことを当たり前にできる」という、言うだけではすごく簡単な事が案外出来ていないかも・・・と思ったりもします。
決して「何もかも完璧にしなければならない」という意味ではなく、何か業務や作業をを成し遂げる前に、社会人において大切なことは当たり前な、習慣や行動の中にあるのではないか、という意味です。仕事の「大きい」「小さい」を言う前に、まずキチンと(期日、業務を)仕上げること・・・
社会人を数年経験しただけのちょっとだけ先輩の私が、後輩に伝える機会があるとすれば、そんなことを思います。
働くということ
例えば、最初のお給料が振り込まれた日を考えてみます。ある人は「働くってこういうことなのかな・・」と、働くことの意味を漠然と実感するかも知れません。私の場合、最初の給料が振り込まれた時、嬉しさと同時に「ずっとこうやって生きていくんだ・・・」となぜか呆然としました。
働くことによって得られるお金で日々の生活を営む。もし働けなくなったら、生きていくことが出来なくなってしまうのだろうか・・・。働くということについて考えることは、生きることに直結するとても大切なことだと思います。
「なぜ働くのか」は、漠然とした大きなテーマですが、これから何十年も社会で生きていく(働いていく)スタート地点において、改めて働くことについて考えてみる(イメージしてみる程度でも十分です)ことは、今後の人生において決して無駄にはなりません。
私自身も「働くとは何か?」という問いに対して直ちに答えを出すことはできないし、この命題はこれから長い間付き合っていくことなので、決して新入社員だけではなく、私も自分の事として考え続けています。
振り返ってみると、働く心構えを教えられることはあっても、働くことについてきちんと考えることが大事だと教わったことはあまりないような気がします。
もしかすると新入社員の頃は、この話題にピンと来なくても、今後仕事をする過程で、働くということについて悩んだり、壁に当たったりして、働くことに窮屈さや息苦しさを感じることがあるでしょう。その様な状況になって初めて、働くことや自分の仕事への向き合い方について考えると、どうしてもネガティブな思考になってしまいます。
逆にポジティブでいられる時でも、人生の大半を占める「働くこと」について、日頃から自分の事として考える習慣をつけることはとても大切です。
生きることから働くことは切っても切り離せないと思います。
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