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「論理的思考の放棄」をわれわれ常人が実践するためのヒント

「論理的思考の放棄」

テレワークシステムを2週間で構築した天才プログラマー(SoftEtherの開発者としても有名な方ですね)登大遊氏による、「論理的思考の放棄」という記事がTwitterでバズっていた。

この記事で記されている、登氏がプログラミングをする上での思考と行動のプロセスは、まとめると以下のようになる。

①まず、こんなソフトがあったらいいな、こんな機能をつける必要があるな、ということを「感覚的に」思い浮かべる。

②次に、心の中でソフトウェアの設計図やデータ構造といったものを「感覚的に」思い起こす。なお、ここまでの工程はコンピュータがなくとも、身一つでどこでも行うことができる。

③上記まででほぼすべての作業が完了している。ここまでで思い浮かべた内容を出力するために仕方なく机の前に座り、コードを書く。

④コードを書き終えたらテストを行い、微調整していく。

ここで、Twitter上の多くの人々を震撼させたのは上記③の工程に関する以下の記述である。

コンピュータの前に座って、キーボードの上に両手を置けば、後はあまり考える必要はない。自動的に手がキーボードを打ち、プログラムを入力して完成させてくれる。この処理は一切、論理的思考では行われていないので、途中で論理的思考を行うことは厳禁である (作業の邪魔になる)。ひたすら何も考えない。

私も初見でこの記述が怖すぎてむせび泣いてしまったのだが、寝て起きたらなぜかいきなり、ここで起こっている脳内の状態はこういうことなんじゃないか?という天啓が降りてきたので、メモとしてここに記しておく。

「論理的思考の放棄」で起きていること

実はこの「論理的思考の放棄」自体はわれわれも日常生活で実行している。風呂に入るときを思い出してみよう。我々は、さて次はどこを洗うのがいいかな……などとはいちいち「論理的思考」せずとも、体を洗えているのではないか?このときの状態が、「論理的思考の放棄」の最たるものだと思う。

ここで分かる怖ろしい事実は、登氏にとってプログラミングは入浴と同等に高度に身体化されすぎているために、実装内容を先に思い描いていれば、あとは考えずとも身体がコード化の処理をしてくれる、ということである(そんなことあるのか?とまだ信じがたい思いはあるが……)。

またおそらく、事前に実装する機能の内容を思い描いておくという作業が、自分の身体へのプログラミングになっている。この工程で、どう動けばいいのか先に把握できるため、あとは脳が改めて考えなくても、身体でその自分自身をプログラミングしたコードを実行したら結果が出力されるということなのだろう。

面倒くさがる脳を介入させないというハック

プログラミングのような創造的活動において、脳に身体の動きを邪魔させないというハックは有効だと考える。

脳はそれ自体では何一つ生み出すことはできない。出力としての身体運動が伴わなければ、どんなに良いアプリや小説などのアイデアが思い浮かんだところで、外界の状態は何一つ変わらない。このことを考えるとき、いつも小説『何者』の一節を思い出すが、「頭の中にあるうちは何でも傑作」なのだ。

しかし、人間の脳は基本的に面倒くさがりだ。特に、不得意なことや新しいことといった、自分の枠を出ようとする活動に対しては面倒くさいという反応を起こしがちである。脳はしばしば、身体の行動にブレーキをかける。

このあたりは、日頃自分の先延ばしグセやら怠惰さに何度も首を絞められかけ、ライフハックを模索しまくっている人にとってはお馴染みの内容かと思う。習慣化することで考えずとも行動できるようになるとか、最初は参考書を開くだけといったバカみたいに小さなことから始める、みたいなライフハックについて述べた本はこの世に多数出ている。

人間の脳は行動を引き止めたがる。無心に手を動かして出力に専念すべきときに脳が面倒くさがってブレーキをかけると、手が止まることがある。そこで、出力としての身体運動に対して邪魔になる脳のブレーキを発動させないことが、氏がいうところの「論理的思考の放棄」なのではないか。

常人が「論理的思考の放棄」を実践するためのヒント

さて、ここまでで「論理的思考の放棄」状態自体は常人でも再現可能と述べたが、できれば風呂で体を洗うときだけでなく、生産的・創造的な活動においてもこのライフハックを発動させたいものである。

登氏曰く「執筆などにも応用可能」とのことだが、とはいえ、常人にとっては、コードや文章を書くことは脳の介在する比率がどうしても高くなりやすい活動である。この辺は個人差があるが、事前に小説のプロット的な概形を用意していても、次に何をどんな言葉を並べるべきか?などと考える瞬間を完全に排することはそれなりにハードルが高いだろう。(ただし、私もごくまれにではあるが、書きたい熱量の高いテーマで文章を書くときには脳ではなく手で思考しているような状態になるので、練習次第でこの状態に持っていきやすくはなるのだと思う。)

常人にとって比較的使いやすいのは、脳の介在比率が低い活動である。例えば、部屋の片付けなんかはどうだろうか?事前に部屋のどの部分を整理する、何を捨てる、などを思い描いておき、あとは脳に「めんどくさいな〜」と思わせる隙を与えずに、先に思い描いたとおりに身体を先に動かすのだ。

また、事前になるべく具体に実行内容を心で思い描ければ、作業途中で身体が路頭に迷ってしまい脳が介入する可能性を低くできる。ただし、これも脳で「論理的に」考えだすと、あれもこれもやらないといけないのか……という面倒くさいモードに入りやすくなるので、言語で思考せずに、頭の中で身体を動かして部屋を片付けてみるといいのかもしれない。

また例えば、朝出かけるまでの支度のルーチンを、「ベッドから出る」「洗面所に向かう」「顔を洗う」…などと単語帳に書いておき、それを起床した瞬間、「めんどくさいな〜」という思考が入る前にカードに書いてあるとおりに実行してしまう、なども、常人が実践しやすい「論理的思考の放棄」にあたるだろう。

おまけ:「論理的思考の放棄」を実行する上での個人的所感

ここまで分かったように書いてきたが、私も「論理的思考の放棄」ライフハックを実行するにはいくつかの課題があると感じている。以下、もはや完全に個人的なメモだが、課題をあげておく。

- 冒頭で風呂の例を挙げたが、風呂に入ればあとは身体を洗うだけとわかりきっている、つまり自分に対するプログラミングはできているのに、それを実行するのが面倒なことが多々ある。
- 頭での自分へのプログラミングと、身体での実行の間の接続がなんかうまくいってない気がする。
- 頭でのプログラミングの指示がフワッとしすぎていて身体が路頭に迷い、頭の指示を仰いでいることがある。
- また、身体は身体で、自分自身への信頼がない。頭の思い描いた内容に対し、「そんなこといわれてもねえ…」的反応を返すので、頭の「めんどくさい」が支配的になる。もっと身体さんも私の中でプレゼンス高めてほしい。

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