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無気力にあらがう必要はない


ご訪問くださりありがとうございます。
3月は後半にあった仕事が4月以降に延期になり、レギュラー仕事は全部終わっているため、ちょっと時間ができた今、前々からやりたかったnoteを初めて今日で1週間。
読んでくださる方がいて、とっても嬉しいです。

さて、更年期やらなんやら、若干疲れが出ていたところなのでこの3月後半は少しゆっくり過ごしています。今日も、仕事部屋に置きたいなと思っていた小さいサイドテーブルを作ってくれる作家さんをネットで探したり、買っていたのに全然読んでいなかった本を読んだりしながら過ごすことができました。ちょっとしたプチ春休み感覚を楽しんでます。

仕事もたまにこうしてたるんでおかないと、後々体が悲鳴を上げることを齢50歳を目前にして知った私(遅!)。

これまで疲労困憊で無気力という状態に陥ることもしばしばありました。
無気力で、何もできなかった日もあります。
1日寝ても寝ても眠い、なんて日も。

これまでは、仕事に穴をあけたわけでもないのに、「あああああ、今日なんもしてない、せめて夕飯くらいちゃんと作らないといかーん」と罪悪感を感じていましたが、ここ最近は良い意味で開き直ることができるようになりました。

「無気力って、人間そもそも誰にでも当たり前にあるもの」と思えるようになったからです。
無気力があるからこそやる気に溢れるときがある。陰と陽みたいなもんではないか!と。

無気力だからと言って別に犯罪を犯しているわけでも何でもない。
堂々と「ああ、今私って無気力の状況なんだな」を俯瞰して認めればいい。
そこから、今何ならできる?何なら自分の機嫌をよくできる?と問えばいい。

寝ることしかできなければ、寝ればいいし、仕事は後でいいやって思えばあとでやればいい。風呂に入りたきゃ入ればいいし、散財したけりゃできる範囲ですればいい。
何もしたくなければしなければいい。
全部自分基準。自分の機嫌は自分で取れば良い。
ていうより自分の機嫌は自分でしか取れないものかもしれません。

「あの人はあんなにできているのに、自分もできるはず、やらなきゃ」とか
「誰も私のことをわかってくれない」という考えに陥るのはナンセンス。
他人と同じ人間なんていないのだもの。

今の自分の、「これでいいのだ」力を高めることが大切なのかなぁなんて思っています。

趣味の書道がもう少し上達して、自由な作品が書けるようになったら、まず「これでいいのだ」
を書こうと今から心に決めている私なのでした(笑)。

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