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うちの親、毒親ではないが、わりと困った親ではある。

こんにちは、ご訪問ありがとうございます。

今日はうちの親の話をば。
親の話も介護のこととかあるのでちょっとずつ。若い時の話から。

まず父。現在83歳。怪我をきっかけに現在老人ホームに入居中。
鹿児島の田舎町の6人姉弟の下から2番目として生まれた、ザ・九州男児。
お行儀のよい他の姉弟の中では異色のやんちゃっ子。ルールなんて破るためにある、みたいな男で、学生の頃は喧嘩とかも良くしたという。そしてすこぶる短気。

でも頭の回転はダントツに良いので、面白いことを言って人を笑わせたり、友達も多く、成績も良かったと叔父や叔母は言う。
高校を卒業して体育の教師を目指したかったそうだが、幼いころ父親が亡くなったそうで、家の商売の手伝いをしながら大学を記念受験して合格したが行けなかったそうだ。

上京して、某大手の会社に就職し、職場の先輩の奥様の妹と見合いをして結婚。奥様の妹、それが母だ。なので先輩の奥様は私の母方の叔母である。

そして母。現在80歳。私の実家で一人で生活している。
ほぼ群馬寄りの埼玉のまちで5人姉弟の下から2番目として生まれる。
農家に生まれ、ほぼ末っ子なので相当なのんびり育ち。性格もおっとりというか、むしろ天然が過ぎる。昔はとても美人だったと兄弟はいうが、今や見る影なし(笑)。勉強はできたらしい。
高校卒業後、電電公社(今のNTT)とかで電話交換手の仕事とかをしていたらしい。24歳の時で姉の紹介で父に出会い結婚。

結婚して6年ほどでようやく私が生まれる。私は一人っ子だ。
めちゃくちゃ兄弟が欲しかったが、こればっかりは仕方ない。

頭の回転が速くて社交的な父と人づきあいが下手でおとなしい母。
うまくいく夫婦もいるだろうけど、うちはそうではなかった。

母の気が利かなさに父はいつもイラついていて、よく大きな声で母にどなりつけていた。近所に丸聞こえだからヤメテー!と思ったし、子どものころは父の機嫌が悪くなるのが恐怖だった。

母がたまに口ごたえをしようものなら、「うるせー!」と散らかった家のものを投げたり、それこそちゃぶ台をひっくり返す勢いで、星飛雄馬の父ちゃんを幼心にリンクさせていた。「お父さんをぶっ飛ばしてくれるお兄ちゃんがいたらなぁ~」と矢吹ジョーみたいな兄を望んでいた私なのだった(笑)。

私の家は新興住宅街で、お子さんを私立受験させようと目論むご家庭もまあまあ多い地域だったので、父のスパークは、なんとなくご近所でも教育環境としてふさわしくないものがあったのではないだろうか。ごめんね近所の人。私も相当気まずい思いをしたけどね。

とにかく機嫌が悪い父を見ていたので子どもの頃は「お父さんは怖くて悪い人なんだ」と思い込んでいたが、物心がついてきた小学生くらいになると「そうじゃない」とわかるようになった。

一方的に父がイラついているわけではなく、母の気の利かなさっぷりと、世間知らずっぷりと、コミュ力なくて地雷ふみっぷり、家事や片づけ、段取りの苦手っぷり。
そして一度間違えたこと、注意されたことをまた繰り返すし、話していても会話がなんかかみ合わないという、母は短気な人間にとって致命的な要素をすべて兼ね揃えている。
母はアスペルガー系の発達障害ではないかとも疑っている。

父がお歳暮やお中元を贈るとき、母に「この人たちの住所を年賀状からリストアップしておいて」とか、「自動車保険の更新があるから証券出しておいて」、と1週間くらい前に言っても、いつもその当日に「あれ準備したか?」と聞かれ、ワタワタ探し始めて見つからない、しまってある場所は毎回違うところ。そして父キレる、というのは我が家の季節の恒例行事だった。

「おい、あれはどこいった?」と聞かれて一発で出したことがあまりない。
「さあ買い物に行こう」って時に事前に鍵や財布の準備やお手洗いをすましておかないので行く直前にバタバタする。
父が運転しているときに高速の料金所を出ようとするときも、助手席に座る母か気を利かせて事前に小銭を用意するという姿も見たことがない。
冷蔵庫の中はいつも賞味期限切れのものがあったり、かりんとうやお茶漬けなんかも、未開封のものがいくつもあるのにまた買ってきてしまったりとか。常に我が家は無駄なものばかりが在庫過多ぎみだった。

父は九州男児だし、昔の男なので「お母さんができないから、じゃあ俺がフォローするか」なんてこともしない。父の辞書に妻をフォローなんて、そんな言葉は皆無だ。

母はいつも「お父さんはいつもキチガイみたいに怒ってる」とかこぼしていたけど、いやいやいやいや、母にも原因はあるのだ。私が母に「こうしておけば怒られないのに」と何度言っても「弱いものいじめだ」と聞かなかった。今でも聞かない(笑)。

でも、母はとても穏やかで優しい人間なので、憎めない。ただ偏見はスゴイ。
コミュニケーション能力が高い人、派手な人、大金持ちでプライド高めの人を「悪い人」と決めつける節がある。ただ、自分が苦手なタイプなのだろうけど。母の偏見には「九州の男性は意地が悪い、埼玉の男性は優しい」というのもあった。
絶対違う(笑)。

そして父も愉快で楽しい人間だから、決して嫌いではない。会社でも身内でも父は見ていて人気者だと思う。仕事をしていた時の父は本当に尊敬する。ただ、気が短い。それは今でも困っている。

「頭の回転が速くて社交的な父と人づきあいが下手でおとなしい母。
うまくいく夫婦もいるだろうけど、うちはそうではなかった」
たらればの話をしてもしょうがないけれど、お互い別のタイプの人間と結婚していたら、もっと幸せに暮らせていたかもしれない。
今でこそ離婚は多いけど、父や母の頃はなかなか離婚に踏み出せなかった時代。
私も中学生のころ、母に離婚を進めたことがあった。でも「こんな歳で働けるところなんかない」「実家には兄嫁もいるし今更帰れない」いろいろゴタクを並べていたっけな。そこまでの覚悟もなく、今の生活を変えるくらいなら我慢して生きていけばいい、という諦めが見えたのでもう私もそれ以上は言わなかった。

その後、父の仕事で海外の赴任が決まり、以降70歳近くまで約20年間海外で単身赴任をしていた。父と母が離れて暮らせて正直私はほっとした。父が戻ってきてから10年ほどは、また元の生活に戻ってしまったけれど、再び今父がホームに入って夫婦別々の生活をしている。父と母を一緒に生活させない方が平和であるというのが私の強い思いである。

この両親のおかげで、私は「将来離婚したくなった時に自立できなくて困らないように、仕事を持とう」と考えることができたし、父と母の間に生まれた自分もきっと生まれてきた意味や役割があるから、楽しく生きよう。そう思うことができた。

家族としてはなんだか居心地悪かったけど、父単体、母単体の私との関係を考えると、やっぱり憎めず好きなところもある(時々腹も立つけど)。
母のスタンスは今でも変わらないけれど、父は年老いてだいぶ丸くなってきた。齢83歳にしてようやく「お母さんには気が利かないっていろいろ怒ったけど、かわいそうなことをしたな」と言っていた。(遅いよ~)。

だから、
うちの親、毒親ではないが、わりと困った親である、
で済んでいる。

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