自主ゼミをやると、「方向性の違い」でバンドマンが解散する気持ちがわかるよ、という話

再現答案ばかりあげていても寂しいので、ここ最近感じたことをつらつらと書いていきたいと思います。

法律の学習で効果的な勉強の一つとして、自主ゼミが挙げられます。

自主ゼミは、法曹志望の友人を数人集めて、予備論文の過去問や問題集の答案を書いて、解答筋を確認したり、答案の書き方(内容面・形式面など)についてあれこれとより良い形を模索したりするものです。
私自身も、現在進行形で自主ゼミを行っています。アガルートで知り合った人を募って始めました。ここで具体的に何をやったか、などはまた別のnoteで紹介できたらと思います。私自身、自主ゼミを通じて非常に成長することができたと感じてますし、効果的な勉強法であったことは実感しております。

ですがこの自主ゼミ、最近なかなかうまく機能していません。一体全体どうしてなのでしょうか。


①自主ゼミ結成時からの状況の変化

実はこのゼミ、令和2年の予備試験合格を目標に結成したゼミでした。この当時の状況は、全員が答案の書き方がまだ不安定で、論点に対する理解も弱い、という状態でした。検討している際にも全員が効用を得られる状態にありました。
そして、令和2年の予備を4人が受験して、それぞれがバラバラの受験結果となりました。短答落ち、論文落ち、論文合格、といった具合に。
そうすると、個々人が「何をやるべきか、何をやりたいか」が変わってきます。前3人はr03予備の対策がメインとなり、1人はr03司法の対策をしなければならない。短答落ちと論文落ちでは短答と論文への向き合い方が異なるし、やる量も違う。司法試験に向けて選択科目も仕上げねばならない。
このような状況の変化は、あえて自主ゼミを組んで勉強をすることの意義を薄めていきました。
また、時間経過により、試験に対する個々の弱点が、バラバラになったことも、やるべきことが個別化していった理由だと思います。


②題材が尽きた

私たちの自主ゼミは、重要問題習得講座の問題の起案→予備試験過去問の起案→アガルート答練の起案(→司法試験の過去問の起案)という順序で学習を続けてきました。
そして、1年目の受験で予備試験の過去問については全て検討してしまったので、新規の題材を検討することができなくなってしまいました。そうなってくると司法試験の過去問か、ともなりますが、自主ゼミで少し触れたところで、網羅することもできず、中途半端に終わる可能性が高いし、また予備受験組にとっては司法サイズを今解くべき必要性が明確に見つからなかったため、起案するということになりませんでした。
私たちは、予備試験の過去問演習が一通り終了したことをもって、絶対に潰しておきたい題材を失ってしまったのです。


③モチベのばらつき

令和2年の予備試験論文式試験の受験終了は、確実に私たちのモチベを揺さぶる契機となりました。1年間本気で勉強してきたものが終わるのですから、これはある意味当然です。全員がやり切ったという達成感とともに、試験対策へのモチベーションが一時的に低下し、その復活にはある程度の時間がかかる。そうなってくると、これは自主ゼミなんて今までのやる気でできるはずはありません。グダるってやつです。
予備論文終了後から、現在に至るまで、自主ゼミはグダっています。


何が言いたいかというと、バンド活動ってそういうことだよねということ

うだうだと書きましたが、これっていわゆるバンドマンが「方向性の違い」で解散することと構造的には一緒なんです。

そもそも論として、バンドと自主ゼミの性質は非常に似ています。バンドは、メンバーの演奏技術が組み合わさって一つの曲を奏でますが、自主ゼミも試験合格という同じ目標に向かって突き進んでいきます。ここで重要なのが、根っこの部分にあるのは自己実現ということ。それは、バンドであれば自分の「音楽性」だし、自主ゼミであれば、「自分の成績向上」です。

それで、上に書いたような理由で、「自分の成績向上」のために必要なことは常に変わるし、バンドメンバーとしてもやりたい音楽と実際にやってる音楽がズレてくることがある。そうして、音楽性の違いが顕在化してサヨナラしちゃう。

馴染みのないバンド解散に共感が持てた、そんな一日でした。

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