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優れるな、異なれ。

オリラジのあっちゃんが、何かの番組でプレゼンしていた時のこの言葉が沁みます。

ここ半年くらい、自分自身とさらに向き合う時間を作ってきました。

37歳。
34歳くらいから、毎年感じる感覚。
で、何が本当にやりたいんだっけ?

年々楽しくなっているのは間違いなくて
充実しているんだけれど
何となくずっと感じているこの感覚。

異動?
転職?
不思議とそういう次元じゃない感覚。

自分には才能が溢れていると感じるときと
自分には全く何もないんじゃないかと感じるときとがある感覚。

今日、言葉にしとかないと後悔しそうだったので
パソコンに向かってます。


この3日間くらいで辿り着いた自分のルーツ。

あっという間に別世界へ連れて行ってくれる人たちとの出会い。その出会いの積み重ねが今の自分を作っているんだとようやく気づきました。

小さい頃から、割と頭がよくて、要領がよくて、喋るのもそれなりにできたんだけど、実は何事にも興味がないというか、ムチャクチャ狭い世界観で暮らしていたんだと思います。

自分は特別って今でこそ思えてきたけど、
小さい頃から、優れることを意識してきたような気がしていて
勉強なり、部活なり、一番を目指すけどなれなくて、それなりに優秀である事に誇りを感じるような部分が多かったんだと思います。

要領の良さやそれなりに優秀に魅せる力が優れていた僕は
嫌われる事もあったけども、なんだか尊敬されることや愛される事も多くて
割と最近まで、自分に才能やセンスがあったんだと勘違いしてた事に気づきました。

どの時代にも、僕の事を気にいってくれた仲間たちが連れていってくれる世界が刺激的でユーモラスで、自分だったら全くやらない事ばかり教えてもらいました。

3月11日の回想がきっかけかもしれません。

学生時代の友達が亡くなった日です。
彼とは、上京してすぐ同じ学生寮の隣で仲良くしてもらいました。二人とも田舎から出てきていたのに、彼はめちゃくちゃたくさん色んなカルチャーに詳しくて、一緒にいると強くなったような気がして、本当に今までの自分だったら絶対やらなかったような事も何でもできる気がしてチャレンジしていったのを懐かしく思います。

不思議とそんな想いを振り返って気づいたのが、
どの時代もそうだったなぁと。
自分は、ほんとに浅くて真っ白なんだけど、周りの仲間が面白い。
その仲間のおかげで、あっという間に別世界に連れてってもらえる。

たぶん、僕の長所は、この今までの自分とは異なる別世界に連れてってもらう事を楽しめる事なんだと気づきました。

すぐに優れようとしてしまう癖があるんだけど
異なれることを楽しめる方がよっぽど強みなんだと思います。

そして、あっという間に別世界に連れてってくれる人たちを思い出すと
みんなめちゃくちゃ素敵な人ばかりです。

たぶん、こういう人たちに憧れてここまで来たんだと思います。

あっという間に別世界に連れて行ってあげられるような
人であり、仕事であり、言葉を生み出せるように
なりたいんだと改めて気づく事が出来ました。


言葉の羅列でずいぶん恥ずかしい文章になってしまいましたが
今日、この言葉を残す事にすごく意味を感じています。

今までの仲間たちに感謝の気持ちとリスペクトを持つとともに
これからの出会いも楽しみながら、異なれる人でありたいと決意しました。



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