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出町柳から大阪湾まで歩いた日

 いつかやりたいと思っていた。鴨川を眺めるのが好きなわたしは、この穏やかな川がやがて名前を幾度か変えて、海へと流れてゆくことを知っていた。

 大学2年生の夏、友人ふたりと、夜通し歩いて海を目指そうと話していた。計画するたびに誰かが体調を崩すという偶然が重なり、立ち消えになっていた。

 わたしは大学院生になった。やるならいましかない、と思った。だって、こんなに無意味で、誰のためでもないこと、なんかやってみたくなってやっちゃったー、って言って笑って許されるの、22歳までじゃない? ちなみにこれは、「22歳までじゃない?」って言うことで勝手に区切りをつけて、まだ許されることにしておく作戦。

 5月4日。ゴールデンウィークのうち、その日だけ何も予定を入れないことにした。この日、もし晴れたらやろう。雨が降ったら、それは、2年前のあのときと同じように、なんか神様みたいなだれかが、今はやめとけ、って言ったってことにしよう。こういうときだけ登場するインスタント神様。

 天気予報は、ずっと晴れマークを光らせていた。

 わたしはぼんやりと、雨降ってくれないかなって気持ちになっていた。やろうとしてることは友達に言うたびにウケたけど、若干引かれてもいた。自分でも無謀な挑戦だとは思っていたし、同行者が見つからないことも悲しかった。まるで、めちゃくちゃ危ないことを喜びいさんでやろうとするひとみたいだ。一応、自分なりにだが、危なくないように計画は立てていた。休憩の場所やタイミング、歩く場所とか。でもわたしが今まで、なんでそんなことするの?? って目で見ていたひとたちもきっと、おんなじことを考えていただろう。

 出発3日前、スニーカーを買った。adidasのランニングシューズを、観光客ばかりの河原町のABCマートで買った。シンプルなニューバランスと迷っていたが、店員さんに勧められるままadidasにした。ほんとは60キロ歩くのにおすすめの靴が知りたかったけど聞けなくて、ランニングシューズが歩くのにも適している靴なのかは自信がなかったけど、「これなら遅刻しそうなとき走るのも大丈夫」と外国人の店員さんに微笑まれたら、なんだか色々と見透かされているみたいで買わざるを得なかった。

 出発前日、とても眠たかった。最近、昼だろうがなんだろうが、座ると眠くなってしまう。唯一丸々空いている5月4日を、一日中寝ている日にする誘惑と戦っていた。一日中寝ていたことなんてないんだから、やろうとしたってできないよ、と心のなかで呟きながらバイトしていた。まぁ、きつかったら早めに切り上げてもいいんじゃない? 

 バイトが終わると、京阪電車に目を閉じたまま揺られて、大阪中之島美術館のモネ展を見に行った。会期終了間際だったけど、本当に良かった。美術館の近くを淀川が流れていて、明日はここまで歩いてきて、さらに先まで行かなければならないのだと思うと不思議だった。自分のやろうとしていることがおかしすぎて、もうなんか笑えてきた。立っている時はまったく眠くないのに、帰りの電車も座った瞬間からずっと寝ていた。

 前日の夜はそんなに早く寝られたわけではないのに、ちゃんと朝4時半に目が覚めて悔しい。もう行くしかない。

 リュックはできるだけ軽い方がいい。おさいふ、タオル、上着、日傘、カントリーマアムによく似た(けれども違う)クッキー。こだわりは、祖父から防災用にもらった太陽光パネル付きのモバイルバッテリー。日に当てておけば、充電ができるようになるらしい。一日中外を歩くひとにはうってつけだ。ちなみに祖父は帰省するたびに防災グッズをくれる。不恰好な愛情を、リュックにぶら下げる。

シャワーを浴びて、さっぱりした髪の毛は結ばないまま、帽子をかぶって家を出る。5時40分。出発予定時間を40分過ぎている。空はこれでもかと明るい。快晴。日の出を見られたら、なんて甘かった。

 でも、早朝というのは、すてきだ。たとえばアパートの階段の下に、美しい猫が座っていた。こちらを見上げた白猫と目が合う。それだけでしあわせ。あちこちから猫の鳴き声が聞こえる。まだ人間の出てくる時間じゃありませんよ、と言われているようで、心が弾む。

 最寄り駅の出町柳で、後ろを振り返ると、まばゆい光に包まれた。

 さっきまで行き渋っていたくせに、最高のスタートだ、って気分になる。品揃え豊富な気分屋。

 出町柳から京都駅までは、たぶん歩いたことがある。鴨川沿いにくだってゆく道のりも、だいたい想像がつく。遅れを取り戻すため、リズムに乗るように足を運ぶ。

 朝の鴨川は、いいところ。夜は言わずもがなだけど、春はとりわけ朝がいい。清少納言の言うあけぼのには、そもそも出発が間に合っていないけれども。川沿いの木の枝葉が朝日に照らされて、いちまいいちまい絵画のように輝いている。昨日モネ展を見に行ってよかった、とこれから何度も思うことになる。景色がまるで印象派の絵にみえる。景色が絵に見えるって変かな、でも、本当にきれいなものって本物っぽくなくみえるよね。この空と川と緑を見ていたら、あぁ、モネはこんな景色を前に絵を描いていたにちがいないと、かつてのフランスに対して恐れ多い妄想が首をもたげる。

ランニングしているひとたちがたくさんいる。わたしは走ってはいないので、彼らに比べたらなんて楽なんだろう! と自分を励ます。その辺のベンチに座っているおじいさんたちが挨拶を交わしていて、わたしにも声が飛んできた。おはようございます、と返す。鴨川共同体の朝にお邪魔できてたのしい。

 七条のあたりで、7時。休憩時間をゼロにしたことで遅れを取り戻した。強引なやり方なのでおすすめはしない。水分は取らないと危ないのでコンビニで水を買う。

 京都駅の近くでは、高架線の上を、川を横切るように走る電車が見える。鉄道ファンでなくとも、目の前をちょうど新幹線が通りすぎるなどすると、もしかして何かいいことあるかも、とわくわくする。


 ここからは知らない世界。どこまでも続いていきそうなまっすぐな道。ひとりでいるからすぐにGoogleマップを見たくなるけど、たいして進んでいなくてがっかりするだけ。1時間でどのくらい進めるのか、1時間歩くのがどのくらいの感覚なのか、わかるようになってしまったから、余計に先が長く感じる。自分で決めた次の休憩地点まで、3時間はある。水を飲むために立ち止まるたびに、気持ちが急くのと、次の1歩を踏み出す体力を使う。

 日差しが強くなってきて、日傘を差しはじめた。まだゴールデンウィークだもの、日焼けはしたくない。けど日焼け止めは持ってくるのを忘れたから塗り直せない。帽子と傘でどれだけ守れるだろう。

 そしてさっきからかかとが痛い。原因はわかっている。履き慣れていない靴は案外ゆるくて、横幅がないわたしの足は中で動いてしまっていた。足の裏が擦れて痛い。開始後、1時間くらいから痛くなった。大丈夫か。大丈夫じゃないな。できるだけ柔らかい地面を選んで歩く。気休めにしかならなくても。

 鴨川は途中で桂川に合流する。境界を知らせる看板を、なんとなく撮る。

 このあたりはだいぶ人が少なくなる。かわりに、あらゆる鳥を見た。鴨川に住んでいる鳥は全て見たかもしれない、と錯覚するくらいには多様な鳥たちと出会った。鴨、鷺、鳶、鳩、燕、(なんだか漢字クイズみたいな字面だ)、いちばんかわいらしかったのは鵜である。ひとむれで並んで川の中に立ち、どういうわけか翼を広げていた。


 休憩地、くずはモールにたどり着いたのは午前10時半。やっとか、という気持ち。くずはモールの周辺は国道の端を歩かねばならなかったのも気持ちのしんどさに追い討ちをかけた。

 しかし、モールに入ると思った以上にわくわくしている自分がいる。おやつタイムだ。どのお店に入ろうか、いつもなら全店回ってから考えるくらい悩むくせに、入口に近いタピオカに即決。タピオカ! 普段の自分ではありえないセレクション。歩いてきたのがばれないように、周りの目を気にしながら帽子を脱いで涼む。なんであのひと暑そうなんだろう、とか思われたくない。

 飲み終わるとABCマートへ。中敷きを選ぶ。中敷きなしには絶対やりきれない。店員さんに、「足が疲れやすいですか?」と聞かれる。そんなことはないからここまでこられたんですよ、と思いながら「そうですね、かかとが痛くなっちゃって」と噛み合っているかあやしい返答をする。さすがに「いま京都から歩いてきて~」などとは言わない。そのくらいの恥じらいはある。中敷きを入れたうえで、店員さんが靴紐を縛り直してくれたので、足の感じはだいぶ良くなった。

 最初の休憩まで5時間歩いた。次の休憩地、枚方T-SITEまでは2時間。ぜんぜん行ける、と思ったこの2時間がとてもしんどかった。

 枚方在住の友人が言うには、枚方は日本有数の気温の高い街らしい。そう、気温がすごく上がってしまったのだ。

 いま6月頭の京都の気温は、昼間は20度前後を彷徨っていて、夜になるとさらに冷え込む。それなのに、ひとつきほど前のGW、とくに5月4日はとても暑い日だった。朝、家族のLINEグループで父が「熱中症に気を付けて」と送っているのを見て、罪悪感がこみ上げたがスタンプを送っておいた。自ら火に飛び込むような真似をしてごめんなさい。

 そういう事情もあって、熱中症にだけはなってはいけなかった。枚方へ向かう道のりはその危険をひしひしと感じた。途中でスーパーに寄って冷え切った水を買ったが、冷房ががんがんの売り場を歩いたのに体温が下がりきらなかった。とにかく日傘に頼り、日陰を選んで歩く。でも暑い。陽炎ができている。ひどく暑い。とても暑い。どうしようもなく暑い。本気で枚方で帰るか迷った。

 T-SITEに辿り着いたとき、もはや昼食を選ぶ気力もなかった。どういうわけか心が疲れてしまっている。しかしT-SITEには、わたしの心のチャージスポットが存在している。書店だ。しかも蔦屋書店。自分の計画が最高すぎる。わたしはふらふらと本棚の間を見て回った。回復にはそれだけでいい。ほしい本があるかとか本を買えたかとか、もちろん元気なときはそれができればなお良いけれども、本当にだめなときはただ本屋でぼうっとしていたい。そんな本屋には頭が上がらないので、普段から「さん」を付けて呼んでいる。でもこのときばかりは本屋「さま」という心持だった。今日ばかりは本を買って荷物にするわけにはいかないので棚を見るだけ。本屋さまには迷惑な客だろうが、またいつか買いにくるので許して、と思う。

 なんどもエスカレータを行ったり来たりした。比較的安く済ませるならパン屋さんがある。席もほどよく埋まっているし、人気店かも。でも、化粧室の鏡で自分の顔を見たわたしは、多少お金をかけても栄養のあって健康的なものを食べなければ、ちょっと危ない、ということがわかっていた。日焼けとほてりで、あんなに真っ赤な顔をして本屋さんの店内を歩いているひと、いなかっただろうな。

 見つけたのは、この前友人と京都で行こうとして諦めたカフェの支店だった。チェーン展開していたのか、と驚くくらい、河原町では人気店のはずが、奥まった場所にあるからか、こちらではすぐに座ることができた。

 水を持ってきてくれる店員さんとなるだけ目を合わせたくない。とりあえず顔色が普通になるまで人に見られたくない。髪が乱れているのはもうあきらめた。帽子を被っていたから仕方ない。でもおしゃれなカフェなんだよな、と思いながら、プレートランチを頼む。

 生野菜のサラダが、あんなに美味しいことってあるだろうか。わたしは生野菜がそこまで好きというわけではない。別に出てくれば食べるし決して嫌いではないけど、どうせなら蒸すとかゆでるとかしてほしい。ふかしたかぼちゃとさつまいもがいちばん好き。そのはずなのに、葉っぱをむしゃむしゃ食べておいしいどころか、幸せを感じられるようになっている。タピオカに引き続き、疲労がひとの味覚を変えるという発見をした。

 お冷と生野菜とスープの力で水分と塩分を補給した。鶏肉もおいしかった。ひとりにしては贅沢な食事だったが、どう考えても必要な投資だった。もはや(まるで限界アスリートのような発言で読み返すとおかしいけれども)点滴のように食事をとっていた。

 さて、ここからどうしよう。正直心は折れていた。本棚を見て回って、折れた鉛筆にセロハンテープをぐるぐるに巻いているような状態。もういつ止めてしまっても良かった。

 しかし、そういう気持ちが、むしろスタートのハードルを下げる。そのうえ、昼ごはんを食べてから開いたInstagramのメッセージには、ダンスサークルの後輩たちから「応援してます」「頑張ってください」といったメッセージが届いていた。普段わたしのほうがきらきら見とれている、ダンスが上手でストイックな子からもメッセージが来ていた。なんて素敵な応援。これでは止められるわけがなかろう。ひとりで歩いているはずなのに、24時間テレビのマラソンランナーのような気持ちになってきた。勘違いも甚だしいが、わたしは思い込みによる幸福感を糧に、これまでの人生をまあまあ乗りきってきたので、どうか否定はしないであげてほしい。彼女の頭のなかでZARDが流れ始めようとも、ラジカセのコンセントを引っこ抜くようなことは、しないであげてほしい。いまどき誰もラジカセで音楽なんて聴いてないのかな。

 休憩スポットをあえて細かめに設定し、ここまで頑張れたら! と自分に言い聞かせることによって、わたしは再び歩き始めた。するとどうだろう。枚方から離れていくにつれて、淀川をわたる強い風が吹いてきて、気温は下がり、どこまでも歩いていけそうな爽やかな気持ちがしてきて、足取りは軽くなった。枚方の魔力が恐ろしかったということだろうか。川沿いの高い土手の上にある小径を歩けるのがとても良かった。眼下にはBBQを楽しむ家族連れも。みんないい休日を過ごしている。いい休日。「ひとりで海まで歩く」、この10文字の美しさのために費やされる時間と体力! ああ、なんていい休日なんだろう。

 晴れ渡っている。頭のなかでSEKAI NO OWARIが流れ出す。【空は青く澄み渡り、海を目指して歩く】Fukaseが好きすぎて、あの声と、歌う時の必死さと、丸い瞳と、真っ白な肌に浮かぶいつまでも子どもみたいな表情が、そう、彼はちょっとピーターパンみたいだと思う。【ペルセウス座流星群、きみも見てただろうか】ちなみに調べてみるとなんと、流星群が見えたのはちょうど前の日だったみたいだけど、たしか少し曇っていた。Saoriちゃんのピアノを弾く指先と、たまにFukaseと目を合わせて歌うときの表情と、横顔が大好き。【僕は元気でやってるよ、きみは今どこにいるの】どこにいるのかわからなくなってしまったひと、これからどんどん増えるのだろう。中学生で初めて聴いたときよりずっと切ない歌詞だ。【自分だけが決めた答えを思い出して】わたしは野外ライブでFukaseが数メートル先に来て、目の前の通路を通ってくれたことを、今後一生、運がいいことの証明書みたいに使えると思っている。たぶん海まで歩けたら、今後一生、何があっても生き延びられる証明書も手に入れられるだろう。

 土手の上の道は、あまりに見晴らしがよく、永遠に続くのではないかと思われた。摩天楼が霞んで見えて、梅田かな? と何度も思うのだけれども毎回違う。怖い。大阪にはいくつ都会があるのだろう。そして近いのか遠いのか、ビルが高すぎるために判別ができない。なんども地図アプリを見てしまった。梅田にはちっとも近づいてやいない。

 川沿いの道は基本的に歩行者天国と言っても、国道が横切るところがいくつかある。そのたびに、どうやって潜り抜ければ良いのか頭を使う。いったん川の近くまで降り、また上る、と決めたときには本当につらかった。でも、この道を歩き続きたければやるしかない。

 17時に河川敷の公園が閉鎖するアナウンスが流れてしばらくたっていた。川に沿うルートから離れることができたときには、わたしの足は棒、本当に両手でぱきっと折れそうな棒になっていた。地図で見つけていた公園の中を敢えて通り、一休みする。ああ。ここで座ってしまったら一生立ち上がれないかも、と思いながら、ここで座らなかったらいつ座るんだ、という心の叫びに従ってしまった。

 城北公園という、前にいちど来たことのある、池のある大きめの公園だった。久しぶりにみた低い位置からの景色。夕陽が眩しかった。しばらくぼうっとしてから立ち上がる。ここまで来られたんなら、もういけるよね。たとえ歩くスピードが普段の半分で、階段の上り下りがきつくても、とにかくゴールにはたどり着けそうだ、という安堵がわたしの足を前に進めた。

 おそらく南下していたと思う。大きな通りに沿って歩いていたら、酔っぱらってへろへろの恋人を支える女性とか、噂話に興じる女子高生とか、スーパー銭湯に行こうとする家族とか、とにかくひとがまっすぐ歩いていなくて、道路があれば道路いっぱいにひとがいる感じで、なんか大阪だなあ(褒めてるんだけど、大阪のひとに怒られそう)としみじみする。

 天神橋筋のほうから梅田を目指す。都会でひとが多くなってきて、川沿いとは別世界。行きたいパン屋さんがあったが、イートインがなくて諦めた。かといって夜ご飯、牛丼屋さんにはぜんぜん行きたくなかった。申し訳ないけれども、好きな食べ物以外受け付けない、という昼ごはんまでとは逆の現象が発生してしまった。困ったな何も食べる気しないけど食べないと乗り切れないからな、という気持ち。胃が空のまま計画上の最終休憩地、HEP5に辿り着く。

 T-SITEに比べればわたしの様子はいくらかましで、でなければHEP5なんて間違えても入らなかったが、なんとか耐えていた(ということにする)。建物を出ると思いのほか暗くなっていた。そうか、もう19時だもんね。梅田はやっぱり大都会だ。すべての建物が、もはやライトなんてなくたって輝いている。ひとが溢れすぎていて、誰もわたしのことを見ていない、という安心がある。けど、どこか寂しい気持ちが胸の奥でふつふつと音を立てる。梅田の夜景はいっつもこうだ。

 あと2時間半で海! よっしゃ! という気持ちには見合わないとぼとぼとした足取りで歩いていたら、魚定食の店を見つけた。今度はチェーンっぽいところが嬉しい。価格への安心感のため。

 注文は決まっていた。焼き鮭一択。鮭はわたしが常に食べたいと思う食材リストに堂々ランクインしている。ちなみに他はきなこ、わかめ、しめさば、かぼちゃ、さつまいもです。

 鮭はわたしのHPを2倍にする効果がある。鮭のホイル焼きを食べた日にはものすごく幸せに暮らせる。だからここで魚定食屋さんがいたのもまたラッキーだった。

 夜ご飯を食べ終わってすることは何か。なんでしょう。

 正解は、スイスに電話をかける。です。LINE通話って本当に便利。スイスにいるすてきな彼女は、ひとりで歩くわたしのために電話を提案してくれたのだった。そこからわたしたちは2時間半、ずっとしゃべっていた。途中ででっかい京セラドームが見えたり、港もどきがあったりしたけれど、夜道を歩いていてもまったく心細くなかったのは、電話のおかげだ。

 海はもうすぐだった。終わってしまう。このおかしくて馬鹿げていてくだらなく、でも本気でじつはなかなかなしえないことをしましたという挑戦が、終わってしまう。

 埋め立て地に差し掛かった。海の匂いがする、と思ったが気のせいかも。暗く太い道を歩いていく。さみしくない。さみしくないけどさみしい。いま思い出さなくていいことも思い出してさみしい。このまま歩くと海遊館の近くまで行けるらしいよ、と思って歩みを進める。終電の時間も気にしながら向かう。

 海遊館には大きな観覧車があって、それが光っているはずだったが、22時でライトアップが終わってしまった。わたしが海遊館の前に着いたのは、22時10分を少し回ったころだった。

 海だ!!! と叫びたくなるような感動はなかった。海は青くもなく、港湾の形のせいか、どこまでも広がってもいなく、わたしはただ電話の向こうの彼女に、着いたということを教えた。

 光のすくない夜の海を、わたしは脳裏に焼き付けた。もう見ることはないかもしれない景色だから。柵にもたれて、終電まで話をした。波の音はかすかにしていた。そのたゆたう幻影が、わたしを海のそばに引き留めていた。

 終電を乗り継ぐようにして家に帰った。出町柳駅から自宅までの道のりが、あんなに長く感じられたことはない。ペンギンの歩みだった。帰ってからマッサージを強制的にやった。なぜ明日わたしは9時からバイトを入れたのだろう? 明日立てなくなってはまずいので、足を高く上げて寝た。

 【街を抜け海へ出たら次はどこを目指そうか】

 とにかくわたしは、頑固で体力が余計にある、ということはわかった。たぶん、これから何があっても、たいていのことはこのいちにちを思い出せば乗り越えられそう。

 わたし、1日に60キロ歩いたんだよね。海が見たくって。

 そう言うためだけに使われた貴重な休日を、忘れないための記録でした。






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