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(東京#2+横浜)②

※写真は、友人の撮った横浜の港です。

東京へ来て2日目の朝。代官山へ向かった。11時から中目黒で約束があり、その前に蔦屋書店に行きたかった。

代官山の駅を出た瞬間、ここは果たして日本なのか、と思った。なんか違う。わたしが知っている日本のどの街とも違う。どちらかというと、一度だけ行ったことのあるフランスが、どこかに潜んでいるようだった。フランスの原液を日本で希釈しました、みたいな。そうやって書くとあんまり美味しそうじゃないけど、全く貶しているわけではなくむしろ逆、唯一無二の、もはや普段わたしが生きている日本とは時差さえ発生してるんじゃないかと思う街なのだ。

いつかここに住みたい、と一瞬思った。でもこのあたりに並び立つ家を見て考えなおす。だって、窓という窓すべてに大きな花瓶が所狭しと並んでいたり、わたしの目線よりも上のところにインターホンがあったり(身長160cm以下の人間は訪れてはいけないお家なのだろうか)、玄関に普通に警備員さんが立っていたりする。工事中かと思ったが違う。そんな家々の表札をまじまじと眺めてしまうわたしは、この街に住んだらすぐに不審者になってしまうだろう。そしてまた、モデルさんわんことすれ違った。今回は毛並みの鮮やかなトイプードル。

蔦屋書店に着いた。白い壁が朝日で輝いている。その直方体の中へ吸い込まれるように入る。すごい。すごい。夢の中にいるみたいだ。朝の本屋さんは静かで、働くひとの背中が動いていて、どこからかコーヒーの匂いがする。

わたしは本棚の間にいると、ものすごく息がしやすい。ピアノの曲が心地よく流れている。ヨガとかサウナと、本屋での散歩は同じジャンルに含まれるんじゃないかと思う。ヨガもサウナも経験ないけど。面白そうな本を何冊も見つけたけど、佐藤健が熊本を巡る本に、もっとも運命を感じた。ミーハーですね。でも、この前自分も熊本へ行ったもので、、、。

書きたい手紙があったのでスタバを利用する。手書きの手紙なんていつぶりか知れないが、書き始めると止まらない。全然書き終わらないまま約束のために店を出る。

約束した用事は存外早く終わり、昼にはまたひとりになった。中目黒の駅から東横線に乗る。今度は人がみんなモデルさん化している。なんだこの世界は。

車窓から一瞬富士山が見えた。東京のひとにとって、自宅から見える山は富士山かもしれないということがなんとも不思議だった。盆地と平野の違いを実感する。

あっという間に横浜へ着く。いつ県境を越えたかわからない。とりあえず昼食を、長めに滞在できる店でとりたい。駅ビルの、レストラン・カフェ案内の看板を見にいく。あとから大学1、2回生っぽい男女がやってきた。女の子は食べたいものが決まらないようで、消去法で頑張っている。男の子がカオマンガイの店を指してここが美味しいと言った。実際にはカオマンガイではなく海南鶏飯と書いてあるのだが、梅田で食べたことがあるカオマンガイのお店に似ていた。たぶん美味しい。ところが男の子は、少し興味を惹かれたような素振りの女の子に、楽しそうに言った。「これ、サラダチキンみたいなもんよ、めちゃくちゃ美味いサラダチキン」......彼はサラダチキンと言った瞬間の女の子の表情に気づいただろうか、おそらく否。明らかに陰がさしている。いくら、「めちゃくちゃ美味い」をつけたところで、昼間から甘いもの食べたくなっちゃってる、と呟いていた彼女にサラダチキンは響かなさすぎるだろう。海南鶏飯行きたいの?行きたくないの?と思ってしまう表現だが、彼はたぶん美味しいサラダチキンを食べたがっている。うーん。これが価値観の違いってやつか(大げさ)。

わたしはタリーズでホットドッグを食べながら手紙の続きに取り掛かる。いつ手紙を渡す相手=これから会う友人から連絡があってもいいように、スマホは上向きに置いておく。早く会いたいが、あんまり早いと手紙が完成しない。

15時すぎ、分厚くなった封筒を持って、みなとみらいで待ち合わせをすることに。今日はやけにあたたかい。コートの前はひらいたままで歩く。海風に髪が持っていかれる。周りのスタイリッシュなカップルたちはなぜあんなに綺麗な髪型をしているのだろう。ぬるくも強い風が、もはや春っぽくて、会うのにはとても良い日だと思った。

10日ぶりの彼女は横浜がよく似合った。自分のホームにいるときの、いちばん落ち着いて自然な感じを纏っていた。わたしたちは、クロワッサンが売りのカフェに入る。海が見える席で、午後の港は穏やかで、雲ひとつない空は、海の上ではこんなにも広いのだ、と知る。そしてわたしはきっと、海の色も波の揺れ方も、その光り方も忘れていた。そう思うくらい、真っ青な海の景色は新鮮に映った。

黒い海鳥が波間を揺蕩う。わたしはこの景色がずっと変わらなければいいのにと思った。でも次第に空は暮れてゆく。波の隙間が茜色に染められてゆく。この海を見ると、印象派の画家たちがどうしてあんなふうに水面を描きたがったかわかる、とわたしは言った。さっきまで海の青のほうが強かったのに、と彼女は言った。

「横浜と京都では、夕焼けの見え方がちがうんです」

京都はもっと燃えるような色をしているけど、横浜は水平線のあたりまで見える分、薄くピンクがかった色をしていると言われた。わたしはたしかに、と思って聞いていた。街によって夕焼けの色が違うことに気がつく感性に、丸ごと憧れを抱きながら。

日が落ちれば灯りがともる。停泊中の豪華客船にも、高層マンションの窓にも。横浜は光に包まれた街。夜もなにかの始まりみたいな街。だからわたしは昼と夜の境目で、彼女に手を振って改札を通る。このあと1年以上会えない、その最後だって思えなくて、他愛ない話にずいぶん時間を割いてしまった。もう、電車が来ることも自分が新幹線に乗らなきゃいけないことも、彼女が明日の朝には飛行機に乗ることも、ぜんぶが遠くに思えた。手紙を書いてよかったと思う。そうじゃなきゃ、お別れらしきことはきっとほとんどできなかった。手を振り返す彼女を目に焼き付けるくらいしか、わたしにはできなかったのだ。

桜木町の駅から、電車がわたしを連れてゆく。彼女が調べてくれた乗り換えをして、わたしは京都へ帰り着く。

たくさん美しいものを見た旅だった。カメラは持っていないし、スマホのカメラは壊れている。だから言葉に残したかったし、だから残せるのかもしれない。

おわり。おやすみなさい。

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