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『教育による富の循環、それに気付かない人たち』

私は生まれてから12歳の夏まで、「教育による富の循環」の、渦中にいた。

いや、渦中にいたという表現よりも、私は月に1万円のボロアパートに住んでいたから、その循環を「傍観していた」というのに近いかもしれない。

「傍観」しておきながら、目先の娯楽のことだけしか考えずに生きていた、馬鹿な小学生だった私は、その「循環」がなぜ生まれているのかも考えず、なんとなく「私の住んでる場所って頭の良い子が多いらしい」と思いながら過ごしていた。

塾に通う友達、たくさん習い事をしている友達、
多くの子が持っていた最新のゲーム機、
通学路に立ち並んだ、友人たちの住む大きくて綺麗な一軒家やマンション、どこどこの塾は進学実績が良いらしい、悪いらしいという噂、
この地域のほとんどの子どもたちが進学する公立中学校から、
今年「も」何十人が県トップの高校に合格したこと…。

そんな「たくさんのもの」に囲まれながら、それらが意味することに全く気付かず、思考を巡らせることもなく、完全にそれらを当たり前だと思いながら、楽しい生活を謳歌していた。

しかしながら、
私の家は転勤族だったために、その場所での生活は長くは続かなかった。

「本当にごめんな。ずっとこの場所に居たかったよな。」

と、涙ながらに父親に謝罪され、私は小学校6年生の夏という、かなり中途半端な時期に、今いる場所からは遥かに遠い、九州山地を超えた、南九州の田舎町に引っ越すことになった。


私を囲んでいた、友達や塾の噂、合格実績のことー。
その「たくさんのもの」の意味に気付くのは、かなり後のことだった。


引っ越し先の田舎町での生活は、葛藤と悩み多き思春期のすべてを過ごしたからか、辛く苦しいことが多かった。


しかしながら、
着実に大人になっていくという自覚があるその日々は、
何も考えていなかったかわりに、楽しいだけだった以前の生活に比べると、随分と濃密に過ぎた。

以前よりも確実に滑り落ちていったその時間はあっという間に過ぎて、
気付けば大学進学のために、引っ越し前の場所の近くに戻ることになった。


受験が終わったため、速攻でSNSアカウントを作成し、もう何年も話していなかった友達の記憶を呼び覚まし、ひたすら名前を検索にかけて、手当たり次第にフォローし、何人かとは会おうと約束して、2回目の引っ越しをした。


久しぶりに見た、小学校6年生の記憶で止まっていた友人たちは、もちろん大人になっていた。


自分の記憶の中にいる友人の姿と、目の前にいる友人の姿がかなり異なることに戸惑ったり、
久しぶりすぎて話し方を完全に忘れたりしたまま、
自然の流れで、現在の話を聞いていく。

大学進学を選択した友人たちのうち、信じられないくらい多くの人たちが、名門大学に進学していた。

浪人の道を選んだ人たちでも、
超難関大学志望だとか、医学部医学科志望だとか、
そんな人たちばかりだった。


その話を聞いた私の中では、そんな友人たちに対する畏敬の念と共に、
今まで考えたこともない疑問がいくつも浮かんでいた。


いったいなぜ、あの場所に住んでいる、私の小学生時代の友人たちはこんなに頭が良いのか?


私が思春期を過ごした南九州の田舎町からは、ほんの僅かしか行けないような大学に、なぜこんなにも多くの人たちが進学できるのか?


あの場所だけ、実は文部科学省が秘密の魔法の粉を撒いて、子どもの頭を良くしているのではないか?



少し馬鹿なことを考えつつも、
その場所に住んでいた小学生の頃は考えもしなかった疑問が、
大人になった今、自分の頭の中でぐるぐると駆け巡ってゆく。


友人たちと別れ、帰路について乗り込んだ電車の中で、
疲労から眠気に誘われ、いつしか見ていた夢は小学生時代のものだったが、頭に駆け巡るその疑問のせいで目は覚めてしまう。

あまりに気になるので、とりあえず両親に聞いてみる。

「なんでさ、あのへん(私が小6の夏まで住んでいた場所)って、
 あんなに頭良い子多いの?」

とにかく興味で聞いてみただけであったが、
この質問こそが、昔の自分を囲んでいた「たくさんのもの」の意味を明らかにする。


母は真顔で答えた。

「親の経済力よ」


母は続ける。

「あの辺はね、とっても地価が高いの。だから、家を建てるにも借りるにも、すごくお金がかかるし、ある程度お金に余裕がある人たちじゃないとあの場所に住むことは出来ないの。うちの家はパパが勤めている会社の社宅だった、物凄く古いアパートに安く住めていたから、なんとかあの場所に住めていただけ。もちろん本人の努力も絶対だけど、

その努力を促すことの出来る経済力のある親、努力する環境を整えてくれる、例えば高額な塾代を惜しげもなく出すことのできる親が、あの場所にはとっても多い」



母の言葉によって、ようやく私はかつての自分を囲んでいた、
「たくさんのもの」の意味に気が付いた。


塾に通う友達も、たくさん習い事をしている友達も、
多くの子が持っていた最新のゲーム機も、
通学路に立ち並んだ、友人たちが住む大きくて綺麗な一軒家やマンションも
どこどこの塾は進学実績が良いらしい、悪いらしいという噂も、
この地域のほとんどの子どもたちが進学する公立中学校から、
今年「も」何十人が県トップの高校に合格したことも、


そのすべては「親に経済力がある」

ことを意味していた。


「親に経済力がある」、それは一体どういうことなのか?


因果関係からして当然のことであるが、
「親に経済力がある」ということは、
その親たちは、多くの収入を得ることの出来る「それなりの仕事」をしていることになる。
(一流企業に勤めている、学校の教員をしている、医者をしている、自営業をしている…など)


現在の日本において、多くの収入を得ることの出来る「それなりの仕事」を手にするには、その仕事に似合う「それなりの学歴」が必要である。

つまり、「親に経済力がある」ということは、

その親たち自体が、子どもにじゅうぶんな教育を受けさせることの出来る、経済力のある親の元に生まれ、教育を受けてきたということなのだ。


そして、そんな親たちのもとに生まれてきた子どもたち、
つまり私の友人たちもまた、じゅうぶんな教育を受けて、
「それなりの学歴」をつけ、
「それなりの仕事」をし、経済力を持ち、
結婚して子どもが産まれたのなら、自らの経済力をもって、
その子どもにじゅうぶんな教育を与えていくー。


永遠に繰り返される、「教育による富の循環」


が、はっきりと生まれていたのだ。


私はこの「教育による富の循環」気付いた時、
自分を囲んでいた「たくさんのもの」が意味することに全く気付かず、
思考を巡らせることもなく、
完全にそれらを当たり前だと思いながら、
なんとなく「私の住んでる場所って頭の良い子が多いらしい」
という見聞だけに留まり、
目先の娯楽のことだけしか考えずに生きていた、


馬鹿な小学生だった自分が、本当に愚かな存在に思えた。


この循環の存在にさっぱり気付かず、

循環が行われている場所以外の状況に対して、
全く興味も関心も示さず無知のまま、
ただただ目の前の循環を当たり前に見つめることは、
どんなに愚かなことだろうか。



循環が行われている場所以外においては、

「努力をしても、自分の環境のために報われない子ども」

「努力しようにも生きることだけで精一杯の子ども」…。


そんな子どもたちで溢れかえっているというのに。


いくら小学生だったとはいえ、
目の前の循環を当たり前に見つめつつ、
そのような子どもたちの存在に気付かなかった私は、
本当に馬鹿で愚かな少女だった。

しかしながら、今はその循環の存在を知ったために、
循環が行われている場所以外に目を向けることができている。


そして、月1万円のボロアパートに住み、
「教育による富の循環」の傍観者だった私ではなく、

「教育による富の循環」の渦中にいる人たち…、


私が小6の夏まで過ごしたあの場所に住む、
小学生という楽しい時期を私と共に過ごし、
穏やかな幼少期を与えてくれた、優しくて大切な友人たち、
幼い私を守ってくれた、たくさんの大人たちー。

どうかどうか、彼らにも、


自分たちがその循環の中にいることに気付き、
循環が行われている場所以外で、

どのような状況が広がっているのか?


ということを、
一度は考えて欲しい。



また、私自身に対しても思うことではあるが、

親の経済力によって与えられた、
じゅうぶんな教育、環境、知識、学歴等により、
形成されてゆく自分自身の経済力を、

将来生まれる自分の子どもの教育ばかりに費やし、
「教育による富の循環」のためだけに費やしていくことが、
本当に素晴らしいことなのか?

親の経済力に支えられて身につけた、知識や学歴等は
いったい何のためにあるのか?


を考えて欲しいと思う。

























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