見出し画像

「娘役をぶち壊せ!!」-娘役転向した愛海ひかるさんに伝えたい事。

「宝塚とは?」を、深く考えさせられた「FLYING SAPA」と言う作品の中で、最も「宝塚らしさとは?」を考えさせられた存在が

愛海ひかるさんのロロと言う役だった。

初見で「あのムチムチしたグラマラスなお姉ちゃんは誰や!!」と、オペラグラスで凝視したら、愛海ひかるさんだった。

そこに居たのは、よくある「男役の女装」なんてものじゃなかった。余りにも生々しい、宝塚には似つかわしくない「メス」だった。

メス、と言う以外の言葉が浮かばなかった。

宝塚にだって、ちょっとエッチなシーンは出てくる。娼婦の役だってあるし、露出の高い衣装、すみれコードギリギリの際どい場面だって無くはない。けど、上手い事「セックスの匂いがしない範囲」で納めていたように思う。

ロロと言う存在は、完全にそこのメーターを振り切ってしまっていた。

ロロは宝塚には存在しないはずの「メス」だった。

その舞台に居たのは「生身の女」だった。そうとしか思えなかった。

ロロはそこに無いはずの嗅覚をくすぐる。場末のスナックみたいな匂い。下品な香水、タバコとアルコールが混ざった甘酸っぱい汗の匂い。(不快な表現になるかもしれないが)生理の血の匂いが漂ってきそうにも思えた。妙に嗅覚が擽られる。宝塚の舞台で感じた事がなかったし、宝塚には求めていないものだった。宝塚と一番遠い存在である「生々しさ」。愛海さんの本能なのか、ロロの役作りがそうしたのか。上田先生の中でロロの意図があったならば、その役について聞きたいと思った。

タンゴの場面、スーツ姿の留依蒔世さんと絡み合う。

あの場面、見てはいけないものを見ている気恥しさがありつつ、ずっと見ていた。ロロは完全にメスだった。留依さんのスーツに、ねっとりと絡みつく四肢。横顔から見える濡れた目つき。女性同士ではあるが、同性からあんなにストレートにメスをぶつけられる留依さんは、どんな気持ちで彼女を受け止めていたのか。私が留依さんなら発狂してしまう。毎回、あの場面に釘付けになっていた。

(あのタンゴの場面はね、春瀬央季さんと綾瀬あきなさんの情熱とは正反対のクールで無機質なタンゴ、と言う対比で成り立っている。大好きな場面)

かつて、嫁入り修業の場としての立ち位置があった宝塚歌劇団。

未婚の女性=潔癖である事を求められるコミュニティは、特に「娘役への処女性」をとても大事にしている。娘役になる人は、丸顔で童顔。いつまで経っても可愛いイメージの方が多い。

女性アスリートなどもそうだが、処女である事を必要以上に神格化する価値観は日本独特だ。成人女性に対して向けられるソレは、気持ち悪さを感じるぐらいだ。大坂なおみさんのようなアスリートでさえ、日本のスポンサーは「原宿大好き」と言う頭の悪そうなキャッチフレーズしかつけない。

宝塚の中でも同様に、娘役への過度な処女性への信仰が、トップの娘役さんへの風当たりの強さにも繋がるのではないだろうか?と言う事を、長年思っている。小林一三先生の思い描く女性像が、現代の「働く女性」の価値観と噛み合わなくなってきているのではないか。

上田久美子先生のいくつかの作品を見て思うが、上田先生自身も、同様の違和感を感じているのではないだろうか。

(これについてはね、色々思う事があるのでいつか記事にしたいな)

愛海ひかるさんの話に戻す。

ロロの役を経た「男役・愛海ひかる」は、どんな姿だろう?

今までは、元気いっぱい弾けるフレッシュなイメージの男役さんだったので、これからは色気や包容力を…と、思っていた矢先の娘役転向の知らせ。

アナスタシアで、ドレス姿で舞う「娘役・愛海ひかる」は全く違和感がなく、昔から娘役でしたけど?と言わんばかりだった。が、男役時代とは違い、オーラのようなものを感じた。

男役のままだと超えられなかったもの、自分の中の何かを乗り越えた。そんな風に見えた。何かが吹っ切れたと言うのか。思い切りの良さや、清々しさを感じる。娘役転向への決断は「私らしい道」だったのかもしれない。

愛海ひかるよ、娘役をぶち壊してやれ!!

正統派のTHE・娘役も違和感なくこなしているが、愛海ひかると言う娘役は「宝塚の性の壁」をぶち壊す、セックスシンボルになり得る可能性があるのではないかと期待している。

「FLYING SAPA」は様々なものを壊そうとしているように見えた。だから「宝塚らしくない」と拒絶反応が起きた。上田久美子先生が、今を生きる女性と言う立場で、娘役としてのセオリーを壊そうとする試み。その試金石としてのロロ、だったのかなとも思っている。それが出来るのが、愛海ひかると言う存在だったのではないか。

劇団の方も「宝塚として守るべき伝統」と「現代の女性の価値観」の狭間で、色々と悩んでいる事と思う。年々、劇団としての理想像と、世間が求めている女性像が大きくかけ離れている。娘役だって、いつまでも幼い・可愛いでは、今を生きる女性としてのファンとのギャップが開くだろう。

令和のこの時代こそ、愛海ひかるが娘役になった意味を残して欲しい。愛海ひかるだから許されるものを、在団中に残して欲しい。「これからの時代の娘役」として、一石を投じる存在になってくれたらと願っている。

アラレじゃないと出来ない事で、娘役に一石を投じて欲しい。

アラレなら、きっと出来るような気がする。