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【弾丸ワーケーション】夏休みの珍道中と原点回帰と【ノスタルジーツアー】

先日、夏休みを頂いて弾丸ひとり旅&ワーケーションしてきました。思い立った時すぐ動きたい自分は、旅はいつも思いつきです。事前に予定を立てても、その時の気分がどうなってるかはわかんないからね。


1.原点を見に行こう

上京して22年目。地元愛は強火な方ですが、年齢を重ねるごとに会う友達は少なくなり、行きつけの店の店主や客層も変わり、帰る理由は減るばかり。親の介護で二拠点を往来していたのも、もう10年前のこと。

今回の思いつき旅は、フラッと「バファローズ(野球)見に行こう」という名目で、高校を出て上京するまでの多感な時期を過ごした、大阪ミナミ周辺をフラッと散歩してきました。

原点のひとつ。相変わらず忙しい店で、今年27周年を迎えたとのこと。

18歳の頃、やりたいことが取っ散らかっていた私は、何かひとつに方向性を決めきれず、進学も捨てがたく。ワルい友達とヤンチャばっかりしていて、でも、何をしていても心は鬱屈としたままの日々を過ごしていました。

雨の中、原チャに2ケツして土手を走り抜けたり、朝まで語り明かして気づいたら知らない人の家で起きたり、遅れてきた青春というか…高校までの優等生な生き方に相当疲れてたんでしょうね。

現役で大学生になった友達は大人びて見えるし、上京した友達の垢抜けた会話はキラキラしていて、バイトとかサークルとかいいなぁって憧れて。うらやましくて。他人と違う選択をしがちなのは、この頃の思いが強いのかも。

指定校卒業生は授業料免除、という条件で通い始めた代々木大阪南校の最寄りには、OCATという出来たばかりの商業施設がありまして。休憩時間、暇つぶしにバイト募集してる店を片っ端から見学して、中の人の雰囲気が楽しそうだったマクドナルドで働きだしたのが、1997年3月。

始めてみたら想像以上に楽しくて。社員さんにも仲間にも恵まれ、小さな成功体験が大きな成果になっていって、店舗異動も挟みながら、結局大学を出るまで5年みっちり働いてしまいました。なんせ上場前やったからね、どんどん店がオープンして、数字作るための打ち手みんなで考えて。あのガッツあふれる雰囲気やチーム感、そこに居る自分がたまらなく好きでした。

もし、当時のメンバーで違う業態の何かやるってなっても、そこそこいい店と数字作れる自信あるもんな。やっぱり働くって=人なんよ。

2.商売の基本のキはここで覚えた

大学入学と同時に店舗マネジャーに昇格させてもらって、毎日「ヒト・モノ・カネ」のことを考えるのがあたり前になっていて。バイトでも社員でもやることは同じ。そこにね、当時藤田田社長は「コンピューティング」が追加されるって言ってたのにすごく惹かれてて。情報・データ・ICTとか当時から色んな表現はあったけれど、あの人はやっぱすごい預言者。

店舗の隣、ポンテ広場はダンサーの聖地。
パブリックビューイングやロッツオブファンのイベント、懐かしい。

従業員共通のプログラムでトレーニングを受け、顧客・従業員それぞれから360評価を受けていくっていう、誰から見ても納得がいく実力主義なカルチャーは自分には合ってました。性別・年齢・学歴・国籍不問、障がい者採用も力入れてたし、今に生きるヒントが沢山あります。

中国籍の留学生クルーに漢字の筆談で指示したり、車いすのバンズ職人が動きやすいように段差補正したり、ドライブスルーの誘導おじいちゃんが実は元上場会社のお偉いさんだったり、いま思えば相当カオス。いい経験。

ちょうどPOSにイントラが入ったりするタイミングで、30分毎に出てくる売上データからなにをどうすれば目標売上達成できるのか、常に考えてアクションするスピード感が、自分の性格にあってたんでしょうか。

■5年間で携わらせてもらったこと
・クイックカウンターシステム原案(注文と受渡の別レーン化)
・自動キャッシャー試験導入(釣銭受取をセルフサービス化)
・エリア別携帯クーポン導入(携帯バーコード読取機の設置、POS連携)
・トレーニングセンター(一括採用育成500名、オープン支援50店舗)
・西日本売上レコード更新(W杯イベント開催時)
・全日本クルーコンテスト(AJCC)優勝者育成

注文から受渡までのトータルオペレーションタイムをいかに短くし、単価や回転数を上げるか、ピークにどのフォーメーションだと売上が最大化出来るか、閑散タイムの集客開拓には何が出来るか、プロセスやアサインをこまめに変えて、試行錯誤すれば結果が出て来て。そういうスポーツやゲーム感覚だから、追求も出来たし飽きることなく続けられたとも思います。

毎日のシフトも同じメンバーではないので、生放送の本番みたいな緊張感も好きでした。自分はOpen担当が多かったから、朝の帯番組を進行してるような気分でやっていました。毎日同じ時間に来る常連さん、バンズ搬入おじさん、施設警備員さん、裏方にクレジットされるスタッフ等、観察対象にも困らないし、世の中いろんな仕事があるなぁって。

卒店から22年も経つけど、原点ここにありよなぁ…ってカウンター席でカフェラテを飲みながら、客単価・ハーフ売上推理とか、アピアランスとか、自然とストアレビューしまい…習慣って恐ろしいもんですね。笑

3.もうどこにもその姿はないけれど

バファローズ夏の陣。弊社も協賛ボードに載ってて嬉しい。

野球観戦。京セラはいつぶりだろう。家族の介護で東京と往来していた時、息抜きによく来ていたんです。

近鉄沿線が生活圏ということもあって、なんだかんだパ・リーグにご縁あり、野茂吉井ブライアントとか清原秋山デストラーデとか、あの辺りが原点かなぁ。もちろんブルーウェーブもホークスも身近でどれも選べない。

大阪球場・日生球場・藤井寺球場・西宮スタジアム。よく父や親戚のおじさんに連れられて行ったし、社会人野球でも、父が勤めてた会社の応援によく駆り出されたものです。

旧き良き球場も、愛する父も、かつての野球チームも、もうどこにもその姿はないけれど。私にとっての野球は、家族との記憶そのものです。

アイドル売りには賛否両論あるみたいだけど、これは売れるわ。

由伸の登板は残念ながら台風の影響で見れなかったんですが、舜平太、宮城、福也、他にも中継ぎ陣が豪華で、投手王国を満喫してきました。ホークス和田さんも久しぶりに拝見したけれど、以前より何だか球威が凄みを増してて感動。タイムマシンみたいな空間で楽しかったなー。

4.ノスタルジーもたまにはいいもんだ

今回の旅は、何か新しい刺激が欲しいわけでも、誰かに会いたいわけでもないんだろうなってことは、薄々わかっていて。

心斎橋・アメ村・堀江辺りも、知らない街になってしまった…

なんで今ここに帰りたかったのか、その理由を探すみたいに、土地勘も薄っすらとしか残らない街を歩き回ってみて、滞在は短かったけれどいい時間の使い方が出来たなぁと思います。

この街に残したもうひとつの未来を歩んでいる自分の分身が、寄り添うように隣を歩いてくれてた感じもするし、それはそれで幸せそうだったから。面影のあるものと、記憶にないものが乱立しているシーンは、時間の経過そのものを解らせてくれました。

とりあえず東京という現実から逃避したかった、でいいや。この数年は自分じゃない自分を演じるのに疲れていたしね。よくがんばったよほんと。

思う所は尽きず、とてもここに素面で書けるようなものでもないけれど、しばらくやってない物書き仕事の方で、いつか出すカードとして取っておく。結構、パラレルは好き。きっと未来はひとつだけじゃない。

It means your future hasn't been written yet.
No one's has.
Your future is... whatever you make it. 
#BackToTheFuture

9月は営業日が少なくて気忙しいですね。じゃ、また。

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