見出し画像

【日曜深夜に独り言】ノープランでも良いですか【第一夜】

みなさま、はじめまして。zukamihoと申します。
インターネットとスタートアップをこよなく愛して20年余。現在はHR企業のDX推進部門に従事する傍ら、個人でのお仕事もさせて頂いております。


1.どっちが本業かと聞かれても困る

経歴をざっくりお伝えすると、通信系ITベンチャー、SIer、広告/PR、出版/IP/EC、を渡り歩き現職は5社目になります。会社員キャリアを降りていた時期に立ち上げた個人事業を1社とカウントするなら、6社目。

今っぽい「正社員+副業」のスタイルですが、自分のなかでは会社員業も個人事業もあわせて「生業」です。プロジェクトや組織ごとに、契約形態や所得計算などの手続きが異なるというだけ。

期待される役割やミッション、相場は環境に依存しますので、その時々で求められることを理解し、演じきるまで。そのための練達は惜しみません。

世間では「副業・フリーランス・パラレルキャリア」などがバズワードになって久しいですが、それに伴い「キャリアオーナーシップを持って働くこと」への誤解や偏見を感じることも多くなりました。

質問を受ける機会も多いので、ここで少し記しておこうと思います。

2.個人で働きはじめた頃のはなし

自分が会社員を辞めてフリーランスになった当時(2008年)は、個人事業主・フリーランスといえば顧客との直契約、目にみえる成果物での納品、請負契約が主流でした。

今はどちらかというと準委託契約で、エージェントやクラウドソーシングを通じた案件が多そうですよね。この15年近くで「個人ではたらく」という景色は随分変わったと思います。

組織から独立して生きる選択をしている分、肝の据わった一匹狼も多かったですけれど、結局ひとりでは仕事にならないので、会社員とはまた違った独特な生態があるんですよね。職業に対して誇りやこだわりの強い「職人」って感じの背中を見せてくれる、憧れの先輩たちが沢山いました。

自分が資本となり商品そのものとなる働き方は、芸能界や水商売と近しい感じだと思います。人間関係が先にあって、密度も高い。たぶん、自由や責任の種類が会社員のそれとは違うだけで、なかなかめんどくさい働き方です。

意外でしょうか?

3.どんな案件で飯食ってたか

はじめてソロワークをお声がけ頂いたのは、元上司から。当時はプライベートな事情から、毎日定時出社して深夜まで拘束される会社員は難しくなっていたので、契約内容を業務提携に切り替えてもらったのが始まりです。

当時の自分は特殊かつ再現性のないミッションが多く、人間的にも信頼関係の出来るとこじゃないとうまくワークしないとは思っていて、基本的に古巣や元取引先・同僚からの紹介のみで成立出来ていたのは幸運でした。

当時は個人事業主との取引は与信NGも多く、知り合いの会社の軒先を借りることも多かったです。周りに起業家やフリーランスが多いこともあって、その辺り協力者に欠くことはありませんでした。人とのご縁あっての私です。

ただ…コンプラ的には、甘い時代ではありましたので…脇の甘さや未熟さからくる、ここでは言えない話も沢山。

「Numero TOKYO」2013年1&2月号特集。Android派として座談会参加。
ユーザインタビューは受ける方もやる方も、かなりの数をお手伝いさせて頂いてます。

現場伴走型だと、半期~1年単位で内製化したら卒業。長期契約や継続受注は課題でした。稼働率100%だと他は受けられないという当たり前の話もあり、断れない時はオーバーワーキン上等、やりたいことだけ優雅に回しているわけにもいきません。

そこで、定量的な請負で仕組み化・組織化が試せる業態を模索し始めました。コンサルで関わることの多い、広告代理店・出版社・各種メディア・エンターテイメント業界で外出しニーズを掘ると、クロスメディアプロデュースやデジタルディレクターはリクエストが多かったので、広報・編集プロダクション業務を開始。コンテンツマーケのブームにも乗って、事業は順調に伸びました。

ファッション・ラグジュアリー誌、IT・ビジネス誌、オウンドメディアなど6媒体ほどの編集部に所属し、担当記事はTU含めて月40~50本ほど。各SNSも担当。現地取材もの・インタビューが得意で芸能系からキャリア系までジャンル問わず3,000本近くは担当しているはず。

FashionTech Magazine「DiFa」編集会議での一枚。
ファッション誌時代は本当に、手間暇もかかるし気も遣うしで大変でした。愛がないとムリ。

編集者の仕事は誰かに教わったわけでもないし、何かの分野で講釈を述べるほど極めてもいません。雑誌編集者やテレビマンが居ない、ビジネスやストラテジー目線からカルチャーを伝える独自のスタイルは開拓できたかなと。

「ファクトから構造化してアウトプットする」ジャーナリストの基本ストローク、顧客理解や商談に必要な「インタビュー・データインサイト・プレゼンテーション」スキルは、デジタル時代のメディアプロデューサーとしては有用だったのかもしれません。でもこれも今振り返ればの結果論。

出版社や広告代理店は、外部クリエイターありきの世界ではあるので、扱われ方や居心地はよかった。いつでもどこでも働けて、作品や対象に相当の愛がある、そういう価値観が合っていたのは大きかったなぁと思います。

結果的に約200社近くのお取引先を、約30名の個人事業主・フリーランスのマネジメントも含め、プロジェクトベースでお手伝いさせて頂き、2023年5月には15周年を迎える息の長い活動になりました。

3.なぜ会社員に戻ったのか

そんなに長く独立してメシ食えてるのに、なぜ会社員なのか。転職活動中にも入社してからも、自己紹介をするたび突っ込まれます。

なぜか?

理由①性に合わなかった
若気の至りで起業家・インフルエンサーのようなセルフブランディングを真似てはみても、どこか性に合わなさを感じていました。プライベート優先でフリーになった自分には、そこまで引き受ける器がなかったんですね。

チームや組織への帰属意識も強いし、参謀の方が動きやすい。裏方が過ぎてちょっと前に出てるくらいの感じが自分には理想。座席やアカウントもあって、年月をかけて現場と共に成長を感じられる方が楽しかった。

理由②燃え尽きた・飽きた
ナレッジやスキルを型化して稼ぐ仕組みが出来てくると、次第に関わる案件や人間関係が限られてくるんですよね。指名を預かる有難さと裏腹に、心理的摩耗から、バーンアウト・ボアアウトもチラつくようになっていました。

自分の名前で自分を商品にして働くというスタイルは、自身の幅を大いに拡げてはくれましたが…

40歳手前で振り返ったMyキャリア年表。キャリアコーチング30分5,000円。
占いに行く感覚でキャリアコンサルタントと言語化。誇りと失意のテレコだった。

いまでも、30代の働き盛りの進路としてこれが正しかったのか悩むことはあります。何度もピボットしてリスキル・アップスキルして食い繋いではきたけれど…会社員キャリアを継続した同期達と比較しては落ち込んだりして。

「自分らしい働き方」を選択していたはずなのに、事業も順調に伸びているのに。まさかサイロ化が起きるなんて。

まぁでも、心中したいほど肝入りでもないことをずーっとしてればそうなりますよね。飯は食えるかもしれないけれど、このままではいけないというキャリアの天井を悟り、大きく環境を変えねばと思いました。40歳になる春のことでした。

4.石の上にも3年が過ぎて思うこと

どこまで話せるか躊躇するくらい、色々なことがあり過ぎて、思い出したくないことも含めて、このキャリアチェンジには強い痛みが伴いました。今でも痛いことだらけです。想像以上に真逆・対極の世界に来てしまいました。

会社員を離れて個人事業・フリーランスになった経歴が、こんなにも社会的に評価されないものだとは思っていなかったです。

一般転職市場においては、会社員ではない期間はキャリアブランク・ギャップでしかないんですよね。組織でのポジションというのは1秒でも続いてないと意味がなく、直近までの働きを再現性ある状態で持ち込んで欲しいからこそ、経験者採用というのですから。組織から組織に献血や移植を行うようなものですから、人間性や組織での立ち居振る舞いが重視されますし、内申点で決まる世界です。

それに、スキルや実績ベースで判断される組織だったら究極、会社員である必要もないよね。個人事業主・フリーランスで業務委託の方がよほど正直に正当に評価できる。これは組織内の評価者になってみて、やっとわかった。

多くの企業において評価はジョブ・スキルベースではない。この野戦育ちをどう扱っていいかわからない顔はよくされます。40歳女性・非専門技術職・自社以外で役職経験なし・英語力そこそこ。そんなスペックで市場価値がつくわけないんですが、そういった世間様から見れば当たり前かもしれないことを、改めて理解した時には相当落ち込みました。

…あんなめっちゃ仕事してきたのに、なんなん。何の努力やったん。何が積みあがったん。そうやってずっと自分を責めるターンは、未だに気を抜くとやってきます。

悩んでも現実は変わらないから、そんな時は美味しいごはんを食べる。
開く扉がわかるまでよく眠る。自分のご機嫌取りは手慣れたもの。

いまの会社はリファラル採用でお世話になり、同じ部門で4年。こんな長い間、所属が変わらないなんて未知の世界です。きれいごとでは済まない話も含め、いろいろありますが。

向こう見ずなノリのまま、旧き良き組織の作法や力学にアレルギーを起こし、何年経っても会社員ハックがままならない、そんな問題児な自分の面倒をみてくれている方々には、本当に感謝しています。よう覚えとくわ、と思うことも同じだけあるけど燃料に替えるまで。

腰を据えて礎をつくる、いちど白にして染める、そんな繰り返しを何周か経て、大人の考え方や闘い方も共感はしなくても理解はできる。このタイミングで、世界の広さや自分のサイズを再確認なんて誰でも出来ないでしょう。

自分を全否定してから再確認した強み、やってきたことへの自信を、どんどん復活させていかなくては。嗅覚だけでやってきたことを体系立ててみたり、再現性ある状態にしてみたり、この過程がいまはとても楽しいかな。

“Knowing myself is the beginning of all wisdom.”

日曜深夜の独り言は長いね。まずはこんな感じでお届け。では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?