見出し画像

信仰とは?見えないお陰様の力を頂くこと

お陰様で先日、母方の木庭家先祖供養1年間満願できた、御礼参りをしました。



先祖供養では、慰霊は神仏の力をお借りして、させていただいているので、まず最初に神仏に感謝し、その力を自他に広くもたらして下さいとお願いするためにお経を唱える「本尊回向」から始まります。

それが端的に現されている例として、一番の仏送りのお経「舍利礼文」は、釈迦如来の徳を讃え、今その神力を私の体に通していただき釈迦如来と一体となり、迷っている霊を悟りに導きますという内容になっています。
(一番の仏送りのお経で短いものなので、日々の祈りで実践してみて下さいね)



今回、「神仏の力をお借りして、供養ができているのだなあ」と感じる出来事がありました。

「本尊回向」では、観音様の徳を讃える「妙法蓮華経 普門品第二十五下」(観音経)を唱えますが、唱えている時に体が何かの力に優しく包まれていることを感じました。正に、観音様の力を自分の体に今お借りして、供養をさせていただいているのだと感じました。

御先祖様がいて私が今存在しているように
御先祖様のそのもっと先が神仏なので
神仏の力なくして、今生きることができないのだと改めて思いました。

それを、神を敬い、先祖を崇める「敬神崇祖」という言葉に集約されています。

見えないものを信じる信仰を「宗教」と一括にすると、何かの絶対的な教えに盲目的に身を捧げる危ないイメージがありますが、本来、信仰は自分で実践して感じ、その効果・ご利益に気づいていく道だと思います。

日常生活で少しでも実践して益々のご多幸に繋げていただけるように
僭越ながら、ごきげん古民家直靈 - なおひや日々の発信などでそのお手伝いができればと思います。

先人が残してくれた信仰の道や型に感謝ですね🙏

#仏教
#神社
#仏閣
#供養

よろしければサポートくださいますと、励みになります🙏