自分のことがまた一つ、わかった。
卒業研究の中間発表が終わった。
辛い思いをして乗り越えたという感じは一切ない。
毎日少しづつ、コツコツやってみて、まあこんなもんだなあという流れと結果になった。
客観的な評価がどうであれ自分にとっての出来は及第点。
・・・
何かに向けて何日もかけて準備をして発表するというプロセスは、幼少期から今まで何度もやってきた。
英会話発表会、バレエの舞台、学校行事、ダンスイベント、建築設計、他色々。
満足度や客観的な評価点はもちろん時によって違うけれど、毎回同じように何か引っ掛かるものがある。
最近、こういう発表の機会が終わるごとに自分の思考回路は同じ経路を辿ることに気づいた。
・人より努力してなかった?拙いものかもしれない
・準備したつもりだけど、要領が悪いのか?努力の仕方を間違えたか?
・私も頑張ったつもりだけど、あの人の方が上手くいってる。私の何が悪かったの?
・私も頑張ったのに、あの人の方が褒められてる。何が違った?
こんなことをいつも思っているし、今回も思った。
大学4年間で発表の機会が増えたことで、
「ついこの前も同じ気持ちになったな」
っていう、既視感ならぬ既思感があって、これらに気づいた。
内容は、自分で驚くほどネガティブだった。
しかも、他人と自分を天秤にかけて相対的評価してた。
自分で気づいて、最悪!って思った。
でも、こんなことを考えても数日後には忘れてる。
・・・
こういう機会に先生などからフィードバックをもらう時、大抵は良かったところと改善すべきところの二面について言われるのが普通だ。
けれど自分の良かったところに関してはすぐに聞き流してしまう癖が私にはある。
ものすごく心を込めて褒めてもらえた時を除いて、
良い点と改善すべき点を同じテンションで言われたら、私は改善すべき点しか心に留めていないと気づいた。
「きっと本当に言いたいのは改善すべき点であって、そればかりだと落ち込んでしまうと悪いから、そのクッション材みたいな役割で、頑張って絞り出した「良い点」なんだろうな。実際、言われた「良い点」なんてみんなできて当たり前、別に特別なことではない。さよなら〜〜!!」
みたいにな感じで、自分が言われた良い点は特に心に留めず受け流す。
実際上記のようなセリフが本心にあって私に助言をしてくれている人もいるだろうし、私の考えすぎな事例もあるだろうけど。
要するに昔から「根ネガ」。
だけど、普段は周りのポジティブな友人の影響などによってようやくポジティブでいようと努力する自分でいられることを悟った。
ポジティブが必ずしも良いこととは限らないけど、少なくともこの努力をしていると精神的には楽になれる。
本来ネガティブな性格であることは理解していたけど、成長するにつれてなんとなく前向きで居られる自分に変わっていけたと思ってたのは、どうやら違ったらしい。
でもこうして自分のことを理解していけば、同じことが起こっても自分はこういうもんだと一呼吸置いて対応できる。
こうして過去の自分と現在の自分を照らし合わせて分析できるくらいには、経験のストックも順調に詰めているのかもしれない。
と思った今回でした。
今は、このネガティブモードからいち早く脱するために、お酒飲みながら書いてる。
これも自分を理解した上での一つの対処法かもしれない。(言い訳)
・・・
私は、ネガティブ思考だけど、ポジティブに捉える術も知ってる。
ネガティブ思考は悪いことじゃないって思うこととかね。
あと私は、酒に弱いくせに酒が好き
苗字に「酒」って漢字が入ってるからかな?
いや、ネガティブな自分から脱出する術のひとつだからかもしれない!!
こうやって自分のことを理解していくんだな笑
終わり
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