見出し画像

母になれないかもしれない私への覚書

ずっと、自分はいつか母親になって子どもを育てるんだと思っていた。
子宮外妊娠を経験し、不妊治療が難航して、自分達は子どもを持つ確率が他の人よりも少ないと知った時、これからの人生をどう生きていけばいいのかわからなかった。

妊娠を希望して約3年、不妊治療をして1年半になる。始めた当初は、体外受精をすればすぐに妊娠できるだろうと、これまた当然のように思っていた。しかしそうはいかず、どん底に落ちてしまった。結果が思うようにならずに何度も泣いて、どうしてこんな目にあわないといけないのか嘆いた。最初は健気に私を慰めてくれた夫も、4回目の採卵が失敗に終わった頃には妻を慰める余裕は無くなって、お互いに傷つけ合う始末だった。

夫に余裕がなくなって初めて、自分を客観的に見れるようになった。このままじゃいけないと。

できるかどうかわからない、未来の「子ども」というまだ存在しないものに、神経をすり減らして、夫婦で傷つけあって過ごすのはおかしい。
まずは夫婦で幸せに暮らすことが一番大切なことだ。私たちは子どもが居ても居なくても、幸せに暮らすべきなんだ。
夫が辛そうにしている姿を見るのが、本当に辛かった。こんなに辛くて、ふたりが幸せじゃ無いなら、子どものことばかり考えるのはやめた方がいい、と心から思えた。

そもそも、母になれないから不幸だなんて、誰が決めたんだ。自分が勝手にそう思っていただけだ。
どんな人も、自分の人生を肯定したいだけだと思う。母になった人は、母であることを肯定していて、そして周りに肯定してもらいたくて、子どもをつくることはいいよ、と言う。毒親や虐待親のような人たち以外に誰も、子どもができた後で、子どもが居ないのが羨ましいとは言わない。
人生には子ども以外のいろんな要素があるはずなのに、親になると子どもはいいよと周りに肯定してもらいたくなるのは、それほど子どもを育てるということは大変なことで、その時の自分の人生の大部分を占拠するからなのだろう。

そう冷静に分析すると、子どもがいる人に対して尊敬はするけど、羨ましいとは思わなくなった。
子どもができなくたって、仕事や趣味、パートナーとの関係や友人関係を充実させれば良いだけだ。
何かを得ることは、何かを捨てること。彼らが持っているものは私にはないけれど、私が持っているものも、同じように彼らは持っていない。ただそれだけで、優劣は無いのだ。

では、いま不妊治療をやめたのかというと、まだ途中で、1年半の体外受精で1つしか凍結できなかった卵を、初めて移植する段階だ。
もしかして、妊娠するかもしれないし、しないかもしれない。流産する可能性は十分あるし、また子宮外妊娠になるかもしれない。
どうなったっていいと思う。ここで私たち夫婦は、積極的な不妊治療は打ち止めにする。私たちは今まで子どもを授かることを願っていたけれど、その結果がどうあれ、ここまでベストを尽くしたと思えるから。

もし妊娠したときに、マタニティハイになっておかしくなっていたら、この文章を読み返して頭を冷やしたい。
妊娠しなかったら、あまり落ち込まないで、元々自分がどう考えていたのか、この文章を読んで思い出したい。

最後に、不妊治療に悩んでいる人にとって、この冷たい視点が少しでも心を軽くするものであれば嬉しいです。

#不妊治療 #体外受精 #夫婦関係


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?