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継続は力になるのか

継続は力なり、という言葉、私は嫌いです。

とは言いつつも、何かをやめるという選択肢は比較的最近(早くても2年前くらいから)出てきた概念でした。

私は3歳の時から13年間バレエを続けてきました。
そのうちの7年ほど、辛い日々が続きました。
大好きだった先生が亡くなったあと、新しい先生と仲良くできず、まだ入っているトイレの電気を消されたりとか、週4でデブと言われたりなど…
しまいにはレッスンの日は一日中おなかが痛くなり、クラスの友人や先輩からも悪口を言われているような気になっていて、今思えばだいぶ参っていたなという印象です。

にもかかわらず、当時の私にはやめるみたいな発想自体が全く頭にありませんでした。

母は継続を美徳としていて、安西先生並みに粘り強さとか諦めないなどの言葉を多用する人でした。
両親の買う雑誌を盗み読むのが趣味だった私は、子育て本の中に「習い事は最低でも10年続けさせるように」との文章を見つけたこともありました。

彼女はバレエを通して継続することの大切さを教えたかったのかもしれません。
そうして私はやめるという選択肢を持たない人間として育ちました。

ただ結論から言うと母の思惑は失敗に終わりました。
結果ではなく、方法が間違っていたのです。

普通ならやめたい、という発想が出てくるであろう辛さや悲しみから一時的に逃れるべく、私は解離という技を身に付けました。
辛いときは精神を切り離して、体の斜め後ろに配置します。
自分を俯瞰しているような形になるのですが、これなら怒鳴り声や悲しみは遠く、水の中から音を聞いているような状態になります。

そうした一時的な逃げ方が得意になっただけでした。

母が人より劣っていることを恥としていたのも良くなかったと思います。
どうせ頑張りが足りないと怒られるだけなので、私が彼女に教室でのことを伝えることはありませんでした。

100日後に死んでしまう運命にあるワニの漫画は毎日連載を続けた結果として有名になりましたが、あの連載自体の目的は続けること自体ではなかったはずです。
私のバレエは継続「そのもの」を目標としてしまったがゆえにうまくいかなくなったように思います。

継続のすばらしさは行為の成功の一因として後から捉えられるべきであって、継続すること自体を目標にした行為は無意味だと考えています。
痩せたい、身体を作りたいから筋トレを続けるのであって、誰も筋トレを続けたいから筋トレを続けるわけではないでしょう。(堂々巡りみたいですね)

仕事しかり勉強、習い事しかり、力になった理由の一つがたまたま継続だっただけなのです。
他の要因を無視して継続だけを抜き出し、継続さえすれば必ずうまくいくと考えることはあまりに雑な思考だと思います。

以上の理由から、私は継続は力なりという言葉が嫌いです。


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