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【10/24】「こなれる」って悪いこと?

一昔前、会社でとある人と話す機会があって「最近みんな少しこなれてきちゃってるよね」と言われた。
言い方的に、悪い意味で使われているんだろうなあと。
確かにうちのチームは運営に入って2年近く経っており、クオリティラインは超えているけれど、それ以上の成果は出していないような気がする。
クオリティラインを超えればいいよねという風潮が蔓延しているのも事実。

その日の夜、一人で言われたことを思い返してみた。
そこで「こなれていることって悪いことではないのでは?」という疑問を抱いた。

ということで、前置きが長くなってしまったけれど、今日は「こなれる」について考えてみたい。

「こなれる」って何?

「こなれる」の意味を調べてみた。

こなれる【熟れる】
1.食べた物が消化される。
2.世慣れて円満になる。かどがとれる。
3.物事に熟練する。無理なく思いのままに運用できるようになる。
4.調和の取れた状態になる。
5.動きがおさまり、落ち着いた状態になる。
※俗に、「小慣れる」と書いて、「少し(感じよく)慣れる」の意で使われることがある。

まず意味としては5番になるのかな?
てか「こなれる」が「熟れる」と書くことを初めて知った。

「こなれる」って悪いこと?

この問いは前提として、状況や求められていること、仕事に対するスタンスや価値観などで変わってくると思う。

今の自分を考えたときに特に重要としているのは「成長機会の損失をしないこと」。
自分がやることで仕事が回るとしても、それが自分の成長、ひいては目的達成に繋がらないのであればやるべきではないと思っている。

目の前の仕事に自分の100%を注ぐ必要があるのかが重要だと思う。
もちろんすべての力をそれに注いでしまえば、体験する人が驚くようなものを作り、「こなれているよね」と言われることもないだろう。
けど、目の前の仕事のクオリティをあげることだけに集中して、果たして成長するのだろうか。他にもやるべきことがあるのではないか。
自身が成長するために、目標を達成するために。なりたい自分になるために。

成長機会というのは目の前の仕事から得るものだけではない。
仕事については、ある人のいう「こなれている」状態、例えば80%の力を注ぎ、クオリティライン以上の制作を維持する。
残りの20%を使って、それとは関係のない、関係の薄い制作をすることにより、目の前の仕事に100%を注ぐよりも、より多くの成長機会を得られるという考え方もあるのではないかなあ。

個人的な結論

前提として、周りと自分の状況による。
けど、クオリティラインを達成している以上、目の前の仕事にそれ以上の力を注ぐことが重要ではない。
大切なことは、それをすることで自身の成長や目標達成につながるかどうか。なりたい自分に近づけるかどうか。
目の前の仕事にすべてを注いで近づけるのであれば、やるべき。自身のすべてを総動員してやるべき。
近づけないのであれば、求められているクオリティライン以上のものを作り、余裕の出た時間を他のことに使うべきだと思う。

「こなれる」ことは悪いことばかりじゃない

これが僕の結論。
この先も、自身の成長と目標を達成するための道を選択していきたい。

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