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【3/26】プログラムをかじっていて良かったこと

はじめに

僕は少しだけプログラムが書ける。
大学時代に独学でAndroidアプリをたくさん作っていたときに習得した。
当時使っていたのはEclipseとかAndroidStudio。言語はJava。
Webサイト等も作っていたのでJavaScriptやPHPも少し。
卒業間近くらいからUnityを触り始めたので、その時からC#がほとんど。

新卒のゲーム会社にはプログラマで入社したのだけど、配属後すぐくらいに企画に転向した。
理由は元々企画志望だったことと(その会社には企画入社がなかった)、少し有名なディレクター兼プロデューサーが隣の席だったことが大きい。

今はゲームのディレクターやゲームデザイナーとして働いていて、趣味でもインディーゲームを作っている。

そんな僕がプログラムをかじっていてよかったなあと思うことを、いくつか紹介する。

プログラムをかじっていてよかったこと

モックを1人で作ることができる

現職でこれをやることはほとんどないが、趣味では非常に有効。
特に趣味のゲーム開発は、作りたいゲームをゼロからリリースまで1人で作り切ることは個人的には非現実だと思っている。
企画をして、実装方法を考えて、パラメータの調整をして、絵を描き、モデルを作り、プログラムを書く。
本当に小さいゲームだったり、仕事を捨てて頑張ればできなくもないとおもうけれど、それもなかなか難しい。

じゃあどうするかというと、人を誘う。
とはいえ、面白さの分からない企画では協力してくれる人は少ないと思う。
何より、協力してくれるのであれば面白いゲームを作りたいし、協力してくれた方が協力して良かったと言ってくれるようにしたい。

そうなると重要になってくるのが、モック制作。
これが1人で完結できるのはかなり大きい。
企画書を書き、モックを作り、面白さの判断をする。

これができるだけで、ある程度の面白さの担保ができる。
そして、人を誘うハードルが下がり、それにより完成する可能性が上がる。
現に今作っている『Robstar(仮称)』というゲームは、この手法で制作している。

論理的に物事を考えられる

プログラミングを学ぶと論理的思考力がつく。
効率的なコードを書こうとすればするほどそうなる。
サブルーチンの考え方とかがまさにそう。

しかもこれは何事にも転用ができる。
組織の作り方にも、人員の育成に関しても。
業務の進め方や取り回しについても同じく。

論理的に物事を考えられるのはそれだけで武器になる。

プログラマと視線を(ある程度)合わせることができる

当たり前のようで、かなり武器になる。
特にゲームデザイナーにとっては大きな武器。

仕様書ひとつをとっても、プログラムを書いたことがある人の仕様書は、良い意味でプログラム的に書かれていることが多い。
正しい順序、必要十分な条件分岐など。

そもそも仕様書とはプログラムを組むための設計図なわけで、プログラムのスキルが有効ではないはずがない。

また、仕様書以外にもマスターデータの構造なんかもそう。
どんなデータが必要で、それはどこにあるべきなのかが少しでも想像できるのとできないでは雲泥の差があるように思う。

おわりに

最初に書いた通り、僕はディレクターやゲームデザイナーという所謂企画職として働いたり趣味に勤しんでいるので、そういった視点からの意見。

書き始めて思ったけれど、プログラムをかじっていて良かったことは無限にある。

今回書き出したものについては、別にコーディングができるようにならないと身につかないものでもないので、UEのブループリントやUnityのビジュアルスクリプティングでも身につきそうな気がする。

特に最近思うけれど、ゲームデザイナーはゲームデザイン以外のある程度の一芸を持っていた方が圧倒的に強い。
本業の人に勝る一芸とまでは言わないが、ある程度プログラムを書けたり、絵を描けたり、音楽を作れたりすることは重要な要素な気がする。

そういった話は別途いつか書きたいと思うけれど、そんなことを考えながら今日の記事は書いていた。

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